3 眠り姫


 アカはクロを連れ、奥の部屋の前に立つ。

 すこし大きめのノックを。


「シロ、シロ。私です、起きていますか?」


 呼びかけて三秒ほど沈黙を保っても、返答はなし。

 やはり寝ていると判じて、アカはあっさりとノブを握ってドアを開く。


「あれ」


 覚えずクロが呟く。


「どうかしましたか?」

「鍵は、かかってないの?」

「ああ、シロは自分で起きられなくなることがありますから、こちらから呼びかけてあげないといけませんので基本的に開けっ放しです」


 瞬きひとつ。

 クロは大きな疑問に、言葉を繰り返す。


「自分で、起きられない?」

「はい。ああ、いえ、呪いではありませんよ?」敏感な話題にすこしだけ慌てて「彼女の呪いは既に私が解呪しました」

「じゃあ、どうして?」


 不安になることはないとアカは笑う。


「……シロは眠り続けても衰弱死したりはしませんよ。むしろ寝ていたほうが彼女は――ああ、いえ。ともかく、寝て起きないのはシロが怠惰だからであって、そう心配したものではありません」


 言いながらドアの敷居を跨ぐ。

 クロはいまいち話を理解できず、不思議そうな顔ながらも続く。


 その部屋にはなにもなかった。


「え」


 さきほど、自室として案内されたそこよりもなお家具が少ない。

 というよりベッドがひとつあり、それだけ。本当に他になにもない。

 ただよく見遣ればそのベッドには引き出しが備え付けてあり、衣服などはそこに収納されているのだろうか。


 いや違う。


 見るべきは、論ずるべきは――そのベッドで安らかに眠る少女だろう。


 名前の通り「白い」と思わせる幼げな少女だった。

 なによりもまず綺麗な純白の髪の毛が目を引くからだ。

 なにせ長い。

 脚にまで届く長さは、仰向けで寝ているため広がってベッドの半分以上が髪の毛で覆われている。

 まるで白雪に抱かれて眠っているような眠り姫。


 そんな少女に一切の躊躇なく、アカは呆れた風情を隠すこともない。


「こら、シロ、起きなさい」

「ん……んん……?」


 耳元で声をかけると、流石に身じろぎで反応が返る。

 目元が揺れるように動き、ゆっくりとその瞼が開いていく。

 白銀色の瞳が、うっすらと開く――アカの姿を捉える。


「あれ……せんせー?」

「はい、私ですよ。おはようございます、シロ」

「ん、おはよー」


 気だるげな声がやんわりと伝わる。

 眠そうに何度も瞬きをして、話しているのに起き上がりもしない。


 気にせず、アカは続ける。


「それでシロ、私が今朝した話は覚えていますか?」

「おー、覚えちょるよ。たしかー、新しい弟子ができるかもしれんから、起きて待っちょれって……ありゃ、いま何時じゃ?」

「もうすぐ日の入りですよ」

「ほうほう……なんじゃ、もしかして寝過ごしたんじゃろか」

「ええ、とても」


 やけに神妙な口調でわかりきったことを言う。アカはなんだか頭痛を覚えた気がして額を押さえる。

 気にした風もなくシロは笑う。ふにゃりとした、緩い笑みだった。


「ん、ほいじゃあ、起きにゃいけんね」


 言いながらようやく身体を起こす。

 ベッドに腰かけ、一度全身をほぐすように伸びをする。


 起き上がってみると、白いの次に小さいと感じる。身長はクロと同じくらいだが、長い白髪が身を覆うように見えて、なんだかさらに小さく見えるのだ。

 同い年くらいかな、とクロはすこしだけ安堵する。

 アカはもちろんだが、下の階の姉弟子たちも年上で、ほんのりと気後れしていたのである。


 していると、シロは不意とクロのほうへと目を遣る。眠たげな眼で、じっと見つめられる。


「シロは、シロじゃー」

「え」

「シロ。せんせーの一番弟子じゃ」


 見つめられて戸惑った矢先の言葉に、クロは一瞬意味がわからなかった。

 すぐに、ああ名乗られたのだと理解できると、では次はと思考が正常に稼働する。


「わっ、わたしはクロって、先生に名づけられたわ」

「おー、クロー。シロと反対なんじゃねぇ、縁深いねぇ。よろしくー」

「よろ……しく」


 マイペースだ。

 喋り方もゆったりとして独特で、なんとも捉えどころがない。


 気になったのは、その口調。クロの知識が確かであるならば。


「ええと、シロ?」

「んー?」

「シロは、もしかて東の国の出身かしら」

「ちょっと違うんよ。西生まれの東育ち、じゃ。そのせいで言葉ばっか訛ってまって、そいで聞き取りづらいっちゅうんなら謝るけぇ」

「べつにそういうわけじゃないわよ。そうじゃなくて、その、わたしは東大陸から来たの」


 訛りの強い地方ではないにしても、クロは東の出身。

 同郷ではなくとも近しいものであると知れると、シロのほうもわずかに嬉しそうに頬が緩んだ気がする。いや、彼女はいつでも緩いか。


「ほー、そうじゃったかぁ。この屋敷にゃ東のひとは少ないけぇ、ちぃと肩身が狭いと思っとったんよ」

「シロに肩身の狭いという言葉は不似合いでしょう」

「ほうじゃろか、ほうかもしれんね」


 人聞きの悪い言い分に、思わずアカが口を挟んでしまう。

 少女同士の会話を遮りたくはなかったのだが、ついうっかりである。


 アカの懸念とは裏腹に、それは冗談であろうと初対面のクロにもわかった。

 というかこのマイペースな少女が肩身の狭いなどという感性をもっているとは思えない。


 それより、今の発言で推測していたことがほぼ確定した。


「アカ、海を越えたってさっき言ってたわよね。じゃあやっぱりここは西大陸であってる?」

「ああ、そういえばちゃんとした場所の説明を怠っていましたね」


 これは失礼しましたと置いてから。


「まず東西に大きな大陸がふたつあるのはご存じですね? あなたの住んでいたのは東大陸の中心部で、ここは西大陸の西端付近、辺境の田舎村にほど近い場所です」

「……ほんとに海を越えたのね」


 あまり詳しい地理を口頭で解説されてもわかりはしない。

 わかるのはやはり、海という境界線を飛び越えてしまったということ。


 想像もつかないほどの遠い――いや、広い場所へと来たということ。


「……上等よ」


 その言葉は誰にも届きはしなかった。

 それでいい、クロの独白は自分に向けた言葉でしかないのだから。


 聞こえたわけではない。

 だが、なにかを感じ取ることはできたらしいシロはほんのり胸を張ってクロに優し気に微笑む。


「まー、大陸が違うとちぃと不安かもしれんね。ほいなら同郷……みたいなもんのおねーさんに頼ってもええけぇ、そがーに縮こまらんでもええよ」

「え」

「んー?」


 今。

 今、酷く理解しづらい言葉があった。


 聞き間違いではないのか。クロは慎重にその言葉を繰り返した。


「おねぇ、さん?」

「違ったかいの。クロは見たところ、十二、三歳じゃろ?」

「そうだけど、いえ、見たところシロ、もそうじゃないのかしら」

「ありゃりゃぁー、せんせーから説明されちょらんの?」


 シロの問いかけは、口ごもるクロではなくむしろアカへと向かっているようだった。

 当の先生は目線を逸らして返答する。


「女性の年齢というデリケートな話題は避けるようにしております」

「ほーか。シロは気にせんけど」

「気にしなさい」


 言われ、すこし考えるようにシロは上を見遣って、目線を下してこう言った。


「シロは五歳のときからせんせーに拾われて、もう十四年は一緒なそ」

「え゛っ」


 一応、アカの忠告を受けて直接的な明言は避けた物言いである。

 だが、そのせいで逆に浮き彫りになるものもある。


「じゅう……よん?」


 十四年。

 それだけで、クロの年齢よりも長い年月である。それ以前も含めると……


 衝撃であった。


「でっ、でも全然そんな風に見えないわ!」

「よう言われるけん。若作りなんじゃ」

「高位の魔術師は老化を遅らせることがあります。そういう体質と思っていただければ」

「そう、なの……」


 いまいち納得いかない風情のクロであったが、それ以上の追及を遮るようにシロの小さな口から可愛らしい欠伸が漏れ出る。


「ふわぁ……。ん、眠い……シロ、もう寝るぅ」

「え、ちょっと」

「おやすみー、せんせー」

「はい、おやすみなさい、シロ」

「おやすみー、クロ」

「あ、うん、おやすみ。って」


 クロになにも言わせず、シロはまた横になって穏やかな寝息を立て始めた。

 もう、ぐっすりと眠りこんでいる。


 クロの伸ばした手が、わずかに震えている。


「……」

「その、すみません、うちのシロが」


 謝罪すると、クロは一瞬なにか言うべく口を開くも、すぐに閉ざして唇を尖らせるにとどめた。 


「べつに、怒ってないわよ。ただ――」

「ただ? どうしました」

「ただ、他人っていうのがこういうものだって思い出しただけ」


 なにを考えているのかわからず、勝手に動いて、思い通りにはいかない。

 そういう複雑怪奇な存在こそが自分じゃない誰かというもの。

 ひとりきりの時には忘れていたこと――思い出さないといけないこと。


「そう、ですね。自分ではない誰かというのは、わからないものです。そこが、人間関係の面白いところでもあるのでしょう」


 わからないだけの不気味じゃない。

 わかるところがあって、想像できるところがあって、そして不明も混ざり合わさって――だからこそ手を繋ぎたいと思える。

 わからないを、わかりたいと思う。


「そうね。まあ、シロは特にわからない子だと思うんだけど」

「それは……すみません」


 すぐに低頭する師匠がなにやら可愛らしくて、クロはまた笑った。

 なんだか――今日は笑ってばかりだ。

 それがなんとも言えずうれしくて、やっぱり笑みは濃くなって。


 からかわれていると勘づき、アカは咳払い。


「と、ともかくこれで紹介も終わりましたし、あとは自由になさってください」

「じゃあ荷ほどきしないと」

「手伝いましょうか?」


 何気なく言った言葉に、クロはすこし強張った顔つきで首を横に振る。


「いい。頼ってばかりじゃ嫌だもの。それに、たぶん先生の術が効いたんだとおもうけど、体の調子がいいの」

「それは幸いです」

「うん、だから大丈夫よ」


 強がりではなく、本当に体調がいい。

 ここ数年には感じたことのないほど活力もあって、なんだか浮足立つ。


「では私は部屋にいますので、なにかありましたら声をかけてください。あと、夕食時には声がかかると思いますので」

「夕食。そっか。誰が作るの?」

「今日はアオとキィです。ささやかながらクロの歓迎の意味もこめていつもより豪勢にするそうなので、期待してもいいと思います」

「……なんか、照れちゃうわね」

「彼女たちも家族が増えてうれしいんですよ」

「かぞく……」


 わずかに目を見開いて、クロはその言葉を繰り返す。

 他意なく、アカは断ずる。


「はい。この屋敷で私の弟子として暮らすのですから、みな家族のようなものです」


 その言葉が、ただクロには嬉しくて仕方がなかった。






    □


 方言はなんちゃってなのでご了承ください。

 というかファンタジー方言なので……。

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