カラフル・マギフテッド~魔法使いの弟子は四姉妹~

うさ吉

プロローグ・黒


「ではひとまず、あなたの身に刻まれた呪いについて読み取れたことを説明しましょう」


 白い青年は冷静さを強いた声音で粛々とそう告げた。


 ある屋敷の応接間。

 些か手入れは怠っているようだが、未だ客人を招くに相応しい風格を保ったその部屋に、向かい合うふたりの男女の姿があった。


 ――客席、主に語りかけているのは白い青年。

 纏うローブから頭髪、その面立ちまで、瞳の赤を除けば白一色の美丈夫だった。


 ――主席、青年の言葉を聞き入るのは黒い童女。

 着飾るフォーマルドレス、サイドアップの長髪とそれを結わうリボン、さらに瞳の色合いまで黒一色のまだ幼い少女だった。


 大きな窓から差し込む暖かな陽の光に反して、青年の言葉はどこか重苦しい。

 その重圧感に、少女はすこしだけ不安げな顔つき。

 偽らざる感情表現を顔に映してしまう素直な少女のようだ。


「ひとつに、あなたを孤独に陥れる作用」


 青年はそんな少女だからこそ、できるだけ丁寧に繊細に言葉を綴る。

 たとえどれだけ気を遣ったところで深い苦味は消せないとわかっていても、配慮だけは欠かさない。


 彼女に語るべき真実は、そんな配慮など吹き飛ばすほどに残酷だ。


「あなたの周囲の人たちを不幸にし、傷つけ、果ては殺してしまう。身に覚えはありますか?」

「うん。わたしの父と母は馬車の事故で他界したわ。兄弟たちは術の暴発や魔力の低下によって併発した流行病、屋敷の使用人たちはいろんな理由でみんないなくなっちゃった。

 わたしはひとりぼっち」

「心痛お察しします」


 事実を平坦に並べようとしているだけ――しかし少女から漏れ出ている寂しいという思いの強さは痛いほどに伝わってくる。

 顔に出さないようにと努めているからこそ、震える肩や揺れる瞳、固く握りしめられた小さな拳は余計に際立つ。

 それが、青年にはなにより悲しかった。


「ふたつに、あなたは大人になれない」


 彼は逃れるように話を進める。

 苦しく辛いことしか語れない話を。


「あなたは十五の歳に至る前に苦しんで絶命する。失礼ながら、御歳は幾つになりますか?」

「十二よ。あと、三年も生きられないのね」

「…………」


 その通りですと、返答はできなかった。


 可能な限り正確なことを伝えねばならないと思っている。

 けれど同時に、なるだけこの少女を傷つけないようにと言葉を選びたいとも思う。

 そのせいで、青年の言葉はどこかたどたどしい。時折、言葉選びに時間をとられてしまう。


 そうした間隙において、代わって少女が問いを述べる。

 物心ついた頃からはじまったこの理不尽について、質問が許されたのははじめてだったから。


 ずっと疑問に思っていた、根本的なこと。


「ねぇ、どうしてわたしはこんな呪いを受けているの? 誰かをそんなに怒らせたかしら、なにかをそんなに侮辱したかしら。覚えがないの」

「…………」


 その問いかけは、事前に予測がついていた。


 なのに、青年はそこで口を噤んだ。

 答えを待つ少女の視線から逃れるように目を伏せる。迷いを悟られぬように。


 問いを予測できていても、返答の用意はできていなかったのだ。


 いや、それもすこし違う。

 返答はある。けれどそれは、ひどく言葉にしづらい事実であって、どうしても喉元で留まってしまう。

 優しい嘘に変えて濁すべきではないかと懊悩が巡る。


 けれど、やはり青年は偽ることもなく――喉を切開するようにして言葉を取り出す。


「あなたを呪った男は、この世界で二番目に優れた魔術師――名を翠天スイテンのルギスといいます」

「二番目。そんなすごいひとが、どうしてわたしを?」

「彼は非常に嫉妬深い方です。そして、あなたには魔術師として天賦の才がある」


 世界で二番目という自分の人生とは無関係であろう言葉と、嫉妬という卑近な言葉が組み合わさって、少女の困惑はいよいよ抱えきれないものとなっていく。

 彼が言わんとすることを察して、まさかと思いながら口に出す。


「世界で二番目の彼よりも?」

「現時点では不明としか言えません。しかし嫉妬深い彼は、未来において自身に匹敵しうるという可能性をも、妬むのです」


 現時点では足元にも及ばない。未来においても不確実極まる。

 なのに妬む。だのに羨む。

 もしかしたらと、ただそれだけで幼い娘に強烈なまでに嫉妬を催し、そして最悪の呪いを刻み込む。


 そういうおぞましい人物。


「なによそれ……そんなの、ばかじゃないのっ」


 今までどうにか冷静さを固持していた少女ですら、その真実には平静ではいられなかった。


 そんなくだらない理由で父母も兄弟も死んだというのか。

 そんなどうでもいい理屈で自分は孤独と不幸に貶められたというのか。


 そんな――そんなのってない。ないだろう、ふざけるのも大概にしろ!


 憤怒と悲痛に満ちた金切声は、青年を打ちのめす。

 彼は、かの魔術師の行動に責任があると感じていた。


 重く深い感情を吐き出し終えると、その申し訳なさそうな青年の顔に気づく。それだけのことで、心優しい少女はどうにか気を鎮めることができた。

 幼くも少女は気品高き淑女であった。


 少女はではと尋ねる。


「じゃあもしも世界で一番の魔術師がこの場にいたら、わたしの呪いを解くことができるの?」

「いえ、それも難しいでしょう」

「どうして」

「この世界で最も魔術に優れた三人をして「三天導師」と呼びます、そしてその三人の実力にさほど大きな差はありません。強いて順列をつけるのならといった程度の些細な差で、だから、翠天スイテンのルギスの得意分野である呪詛に対抗するのは、同じ三天導師であっても難しい」

「……じゃあわたしの呪いを解くには」

「現状、術師である彼に解呪をしてもらうか、もしくは彼を殺害する他ありません」


 人を呪わば穴二つ。

 呪いを差し向けた者は死ねばその呪いが解ける性質上、呪われた者に常に命を狙われる危険を伴う。

 しかし。


「ふっ、ふふ」


 少女は笑った。

 泣いているかのような笑い方だった。


「ただの嫉妬でわたしとわたしの周囲を無茶苦茶にした狂人を説得するか、世界で二番目の魔術師を殺すかですって?」静謐な言葉は一転、迸るほど感情的に「――そんなの無理に決まってるじゃない!」


 それは、紛れもない事実だった。

 翠天スイテンのルギスという魔術師はこの世誰の説得に応じるような人間でもないし、まして殺すなど同じ三天導師でもなければ不可能だ。


 地より手を伸ばして天に届くか?


 その答えと等しく不可能。不可能。絶対に不可能。


 つまりが絶望だ。


 もはや希望はどこにもない。

 誰も助けてくれない。いや助けに入ったとしてもルギスに勝てるわけもなく意味がない。どころか彼女の呪いに巻き込まれて傍にあるだけですぐに死んでしまう。

 寄る辺なき少女は孤独で寂しい死だけが待ち受けるのみ。


 知らなかったからこそ可能性が残っているのではないかと思い違いをしていて、だからこそ突きつけられた真実に、少女の心は容易く握り潰されて――

 


「――そんなことはありませんよ」


 青年の力強い言葉が、少女の心の崩壊を止めた。


「え……」

「そんなことはありません。あなたは必ず、私が救います」


 断言した。

 迷いなく、歪みなく、確約を期すようただ真っ直ぐに少女の目を見つめて。


 彼女に希望を信じて欲しかった。

 彼女に命を諦めて欲しくなかった。


 青年の切実な思いが伝わったのかわからない。けれど、少女はどうしてか否定を口にできなかった。

 代わりになんとか紡いだ言葉は、一番最初の疑問だった。


「あなたは、誰なの……?」 


 突然、屋敷に来訪し。

 世界で二番目の魔術師を知ったように語り。

 今こうして、少女に全力で手を差し伸べようとしている。


 このひとは――いったい?



「私の名は赫天カクテンのアーヴァンウィンクル。先ほどお話しした三天導師、その末席を汚す者です」



 つまり彼は、世界で三番目の魔術師だった。


 驚愕に目を剥く少女に、アーヴァンウィンクルは謝罪のように続ける。


「あなたを呪ったのは、私の兄弟子なのです。袂を別ち、姿を晦ましたあの人を見つけ出すことができず、あなたのその不幸は私が彼を止められなかったことが原因とも言え――だから、私のせいなんです」


 申し訳ありません、と世界で三番目の魔術師は頭を下げた。

 ただの小娘にも真摯に、全面的に非を認めて謝罪した。


 少女は絶句から立ち直ると、彼の謝罪を一旦受け取らずに横に置く。


「あなたは、わたしに謝りに来たの?」

「そうでもありますが、それだけでもありません」

「じゃあ、なにをしに」


 顔を上げ、真っ直ぐと少女の瞳を見つめる。

 今日この日の訪問は、ただこの一言のためにあった。


「提案を」



「――私の弟子になりませんか?」



「で、し……?」

「私は今、三人の弟子とともにある屋敷で暮らしています。その家に、あなたも来ませんか?」

「それは」


 少女は一度、発言を飲む。

 ゆっくりと言葉を選び、もう一度口を開く。


「それは、死にたいということかしら」


 傍にある者を不幸にし、殺してしまう呪い。

 そんな少女とともにあるというのは、つまりが自殺志願でしかなくて。


 青年はゆるやかに首を横に振る。


「私の力であなたの呪いを解くことは叶いませんが、それでも私は彼と等しいだけの魔術師であるので、その効力を弱めるくらいは可能です。そして私の術式の下にある屋敷にいる間ならば、完全に呪詛を抑え込むことが可能でしょう」


 だから自分は死なないのだと。

 だから自分は隣にいられるのだと。


 少女は、顔を俯かせる。

 一度に押し寄せてきた光明が眩しすぎて目を逸らすように。あまりに唐突な救いを安易に信じていいのか迷うように。


「それは、同情? それとも、贖罪?」

「そのどちらでもあり、しかし、一番は私の我が侭でしょうか。あなたには生きてほしいと、話していてそう思えたから」


 そうとも思えない相手を助けるほどに彼も善人ではない。

 魔術師とは、本来自分勝手なものだから。


「呪詛というのは持っている魔力が多ければ多いほどに被害が大きくなってしまうものです。そのため、あなたのように魔力量の多い方はご自分でも呪いに抗する術を覚えなければなりません。そのための方法を、私がお教えします」

「呪いに、対抗する術……」


 常に自らを脅かすものにただ蹂躙されるだけではなく――反撃するための手立てを学ぶ。

 それは大事なことだ、命をすこしでも長らえさせるために。


 不意に赫天カクテンのアーヴァンウィンクルは立ち上がる。

 そして、その手を少女へと差し出す。


 びくりと、少女の全身が震えた。

 向けられた手のひらから逃れるように泣き叫ぶ。


「でも……でもわたし、箱入りで世間知らずだし、病弱で体力ないし」

「サポートしますよ。これでも私、けっこうすごい魔術師ですから」

「なにもできないよ? 迷惑、たくさんかけちゃうと思うし」

「既にこちらが多大な迷惑をおかけしています。これはその清算で、あなたが気にすることではありません」

「それに、それにわたし……わたし、すぐ、死んじゃう……」

「死なせません、絶対に――我が赫天カクテンの名に懸けて」

「っ」


 なにを言っても真正面から打ち破られる。

 どれほど絶望的な現実も希望に彩ろうとする。


 彼はきっと、少女にとって御伽噺おとぎばなしの魔法使いそのものだった。


 それでも少女は――救いの手を真っ直ぐには見られない。


「でも、わたしはあなたに返せるものがないよ。ただおんぶにだっこで助けられるだけなんて、そんなの嫌だ」


 ふむ、と魔法使いはほんの少しだけ考え込む。

 少女はその高潔さから、無償で奉仕されることを拒んでいる。

 寂しさで死にそうなくせに、代価もなしに自分が救われることに罪悪感を抱いている。


 彼としては兄弟子の愚行のツケだし、なにより助けられる命を助けることに尽力するのに迷いなどないのだけど。

 とはいえ、無理矢理救いを齎すのもまた傲慢――代価が必要なら、欲しいものを要求するだけだ。


「あなたはきっとすごい魔術師になれます」

「……?」


 突然そんなことを言われても、少女は困惑してしまってよくわからない。

 だからなんだというのだろうか。

 だから、それができることなのだと彼は言う。


「あなたはあの翠天スイテンのルギスが妬むほどの才能を持っています、なんなら私など超えてしまうかもしれません」


 彼の目から見ても、彼女の資質は目を見張るものがある。

 その才能に目を付けられ、今の災厄が巡ってきたということを考えれば複雑だろうけれど。


「私の弟子として良い魔術師に育ってくだされば、そのあと、きっと多くの手段であなたは私に恩返しができると思います」

「……先の恩返しのために、今は恩を受け入れろってことかしら」

「そうなります。ですがそれは、あなたにしかできない恩返しになるでしょう」


 けれど。

 だからと彼女の魔術の才気を、彼女自身に否定して欲しくはなかった。


 なぜならその才もまた彼女の一部であるのだから。

 自分自身を否定するのは、とても悲しいことだから。


 今となっては過去は変えられない。

 ならば疎むよりも前向きにそれを使ったほうが、ずっと健全だろう。

 割り切るに難しいことだとわかっていたが、それでも、そのほうがいいと彼は思うのだ。


「私はあなたを助けましょう。ですから、どうか私を助けてはくださいませんか?」


 もはや願う側すら逆転して、青年のほうから少女に頼み込むように言うのだった。


 彼は世界で三番目の魔術師であるのに。

 彼はなにひとつとして悪くはないのに。


 どうしてそこまで、なんのために――考えれば、きっと少女のためなのだろうと自然と理解できる。


 それがなんだかおかしくて、同時に強がるのも馬鹿らしく思えてきて、随分と久しく、少女はほんの微かに笑った。


 ごちゃごちゃと難しく考えても仕方がない。

 ただこのひとを信じたいかどうか、それだけのことじゃないのか。


 だとすれば、答えは簡単だった。


「じゃあ、お願い先生――わたしの傍にいて」

「約束しましょう」


 そうして少女はようやっと、アーヴァンウィンクルの手をとるのだった。


 小さく暖かな手は、確かに生きている熱量そのもので。

 失わせてはいけないものだと、アーヴァンウィンクルは強く思う。


「ああ、そうだ。最後にあなたに名を授けましょう」

「名前?」

「はい。魔術師として生きると決めたのなら魔術師としての名が必要です。それは師が弟子にする最初の贈り物でもありまして、まあ、そういう慣例です。お嫌でしたか?」

「いいえ、ちょうどいいわ。もうわたししかいない一族の名を背負うのは辛かったし、前を向くにはちょうどいいもの」

「では……クロと。これよりあなたは魔術師のクロと名乗りなさい」


 ――それが赫天カクテンのアーヴァンウィンクルと、呪われた少女クロのはじめての出会いだった。





 □


 この作品において

 魔術師とは現実的に存在する魔術を行使する者の総称。

 魔法使いとは御伽噺など創作上の架空の存在。

 くらいのニュアンスとなっています。

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