第3話 いかめしい刑事

 二杯目のワインを注いでいると、警察がやってきた。既に十五分は経っていた。


 数人の制服警官の先頭には、ソフト帽とダークグレーの背広を着た刑事がいた。ネクタイはそこに流れている液体のように真っ赤だった。

 腕も足も首も太く、体は屈強だった。手には濃い毛が生えていた。表情もいかめしい。姿だけ見れば、警察というよりもマフィアの方がしっくりとくる。


 刑事は鋭い視線で私たちを見渡すと、小声でバーテンダーとなにかを話した。もう一度こちらにいかめしい顔を向けると、

「誰か犯人を取り押さえようとする奴はいなかったのか?」と言った。


 金髪の男も寂しい女も、刑事に目を合わせようとしなかった。刑事は勝ち誇ったようにふんと鼻を鳴らした。


「──そうして、ここにもう一つ死体ができるわけだ」と私はワインを飲みながら言った。「そしてあんたはこう言う。誰か取り押さえようとするやつはいなかったのか?」


 刑事は顎を引き眉根を寄せ、私をぐっと睨みつけると、床に唾を吐いた。そしてまた睨みつけてきた。その睨みはそこらのヤクザよりもヤクザだった。

 バーテンダーは、自分の店に吐かれた唾を顔をしかめ見ていた。だが、刑事に文句を言おうとはしなかった。それで正解だ。ヤクザに文句を言うのは得策ではない。


 なおも睨みつけたまま、刑事が近づいてきた。私は椅子から立ち上がり、一歩出た。

 目の前に来ると、私は視線を少し上げなければならなかった。刑事の身長は私よりも高く、胸板も充分に厚かった。かないそうにはなかった。

 だが辛うじて、私の方がまだいい男であった。こんないかめしい顔では、子供にも女にも好かれない。


「気に食わんな。俺に睨みつけられたやつは弁明を始めやがるのに、お前は落ち着いてやがる。気に食ねえな」と刑事は刑事らしくないことを言った。

「気に食わないから、公務執行妨害で殴るか? よしてほしいな。このバーにはもう随分と血が流れているぜ」

「生意気な野郎だ。お前、名は」

 私は上衣のポケットから名刺を取り出し渡した。

「私立探偵……。はん、探偵(いぬ)がァ」


 刑事は舌打ちすると、また床に唾を吐いた。くるりと背を向けると、死体のもとへ向かい、制服警官となにやら話し始めた。

 バーテンダーはまた顔をしかめ、唾を眺めていた。好きなあの娘(こ)とは違い、眺めていても面白いものではないだろうに。


 私はタバコを取り出すと、マッチを擦りタバコに火をつけた。煙を吹き出すと視界は白くなり、タバコ独特の匂いが口と鼻腔に広がった。

 同時に、刑事がもう一度こちらに体を向け近づいてきた。

 白い煙のヴェール越しに、私たちは数秒見つめ合った。ゆったりとした時間が流れている気がした。


 だが恋は始まりそうになかった。私たちは同時に視線を外した。


 刑事はソフト帽を脱ぐと、ポリポリと頭を掻いた。

「殺害方法は訊いているが、犯人の特徴を教えてくれないか」そう言うと、帽子を被り直した。先程よりも目深だった。


 バーテンダーは、犯人の特徴を答えた。どんな服装であり毛むくじゃらで革手袋をしていて、背格好はどれくらいなのか。人相は、ヒゲや髪や帽子で隠れ良く分からなかったと。捜査の役に立つかは解らないが、色々なことを話していた。


「人相は解らないか……」刑事は苦い顔をしていた。

「男は店にやってきた時から、ふらふらし酔っているようでした」とバーテンダーは言った。「そしてカウンターテーブルのその席に座ると、いきなり突っ伏し、酒を注文してきました。ボソボソと喋り聞き取り辛かったですが、案外声は高いようでした。ですが思い出してみれば、男は酒には一口もつけていませんでした。律儀にも、テーブルには代金が置いてありましたが……」

「ただ飲みはしないが殺人はする、か……」と刑事は独り言のように言った。


 私はタバコを灰皿に押し付けると、刑事に言った。「しかし、酔ってはいないだろうな。あれは演技だろう。逃げる時も酔っぱらいの動きではなかった、やつの後ろを通ったときも、酒のにおいはしなかった」

「男を待ち伏せ殺すため、一芝居打ったということか。酒場で突っ伏してるやつは、そう珍しくもない」

「計画的犯行だろう。その女性が店に入って来たときも、顔を上げ誰だろうとチェックしていた。変装である可能性も高い」と私は言った。

「ふむ。確かに話しを聞く限りは、変装で間違いなさそうだ……。では殺された男のことを知ってるやつはいないか」


 誰も答えるものはいなかった。刑事はバーテンダーに指をさすと、

「じゃあ、男がこのバーに来たことはないのか」

「いえ、一度来たことがあります。ですが、名前まではちょっと……。すぐに帰ってしまいましたし、職業もわかりません」


 私は二本目のタバコに火をつけた。どこかで見たことがあるのは、黙っておいた。そこまでの義理はなかったし、どこで見たのかと訊かれても答えられないからだ。


 寂しい女が、いつになったら帰して下さるんです? と言った。

 刑事は、もう少し話を聞き、あんたらの住所やらを訊いたあと、帰してやると言った。

 そのあと刑事が言ったように、住所や職業、バーに来る前はどこにいたのかと各々訊ねられた。

 それらを聞き終わると、鬱陶しそうに手をひらひらと動かし、帰っていいぞと言った。


 バーテンダーは、しばらくのあいだ営業停止を言い渡されていた。バーテンダーはたいそう顔を青くさせた。哀れに感じ、私は代金を多めに支払っておいた。

 寂しい女は私を振り返ることなく、そそくさと帰っていった。確かにもう、そんな気分にはなれやしなかった。

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