靄を払う
時和 シノブ
一寸の狂いもない人生
僕の人生計画には一寸の狂いもなかった。
物心付いた時、初めて聴いた音楽はクラシック。
ピアノの軽やかで優しい音色が心地良く感じた。
胎教にいいからと、母が僕の
流石、僕の母さん……
その効果があってか僕はあまり怒ることもなく、いつも周りの皆に穏やかだねとか、いつも笑顔だね、などと言われてきた。
近所の大人達も僕に良くしてくれた。
見ず知らずのおばあさんから「まぁ、可愛らしい!」なんて頭を撫でられたりもした。
僕は母に似て髪の毛の色など色素が少し薄く、幼い頃は「ハーフ?」などと尋ねられたりもした。
それに本もよく読んでいたので、年の割には早熟で、勉強も特にこれといった努力をせずとも成績が良かった。
「優秀なお子さんで羨ましいわ」
と母はいつも周囲に言われていたようだし
「
と僕も友達の母親や担任の先生に言われたりした。
どの顔を見ても同じようなわざとらしい笑顔、誉め言葉ばかりで半分嫌味もこめられていたりするのかななんて卑屈になったりもした。
僕は、そんな大人達の気持ちが手に取るように分かるから
「そんなことないですよ。手先はちょっと不器用なんで図工とか苦手ですよ……」
なんて、謙遜する事も忘れない。
そういうちょっとした処世術みたいなものを自然に会得してしまう自分が、我ながら素晴らしいと思ったし、ちょっと恐ろしくも感じた。
あまりに幸せな事が続くと、その分、いつか不幸がやってくるんじゃないか……
というような得体の知れない不安が常に頭の片隅にあったんだ。
その不安は喫煙室に突如放り込まれてしまったみたいに、僕の目の前を灰色の靄で埋め尽くす。
――どうにか必死に払いのけようとする。
その靄がかった不安を取り除く為には、僕も少し苦い思いをして、バランスを取らなきゃいけない気がしてくる。
それから僕は
『自分が得るはずだった小さな幸せを誰かにそっと譲る=お裾分け的な行為』
をすれば不幸を回避できるのでは?という見解に至る。
例えば学年一位をテストで取り続ける事なんて造作もないのに、敢えて少しだけ間違えて解答を記入する。
一、二問だけ間違えるような。
万年、二位の子にも一位になるチャンスをあげるんだ。
すると「章君も間違ったりするんだね」と、
僕が皆にとって完全無欠の人間ではなくなり、親近感が少し湧いたりもするだろう。
この時、間違っても空欄なんかには、しちゃいけない。
即座に担任の先生が異変に気づいてしまうから……
僕がそんな単純なミスを犯すことなんて、先生の中ではあり得ないことなんだ。
ほんの少しの嘘なら、特に疑うこともなく、自然に受け入れてしまうのが世の常だろう。
人間関係を円滑にするうえでも、自分ばかり注目を浴びぬよう、そっと一歩下がって周囲の人達に場の主役を譲る……
人に妬まれない丁度良い塩梅でバランスを取ることが重要だ。
そんな細部まで抜かりのない心配りが、子供の頃から今日まで、僕が周囲の人間に愛され、妬まれず、仕事までもが順調な要因だろう。
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