とっちらかった脳ミソ
久世 空気
思い出の怪談
「ある男性が出張先のホテルの休憩所のソファに座っていた。時間は深夜近く。仕事で疲れ切ってぼんやりと窓の外を見ていた。窓は全開で、そこから満月が見えている。綺麗だな。そんなことを考えていたら、窓の外をスーツを着た男性が通りかかり、目が合った。スーツの男性は彼が月を見上げていたことに気づいたようで『月、綺麗ですね』と言った。彼は『本当に綺麗ですね』と返した。スーツの男性は会釈をして去って行った。その後彼はしばらくして気づいた。そこは3階だったのだ」
これが私の記憶の中で一番古い怪談だ。話してくれたのは母。小学生の低学年の時だったと思う。話に出てくる男性と同じように、旅行先のホテルで休憩していたときに聞いた話だ。当時は兄弟と「ひぇぇ」と怖がったものだ。そして「梯子に登っていたとか?」「月が好きな幽霊?」と兄弟でああでもないこうでもないと想像した。短い話だが今でも好きな怪談だ。怖くもあるし、ちょっと面白くもある。
最近母に覚えているか聞いたら、うっすら思い出してくれたが、誰から聞いたか覚えていないという。母はそれほどホラーや怪談が好きではないし、当時はネットも普及していなかった。おそらく母の兄弟や友達から聞いたのだろう。
私自身は怪談を積極的に人から聞き出そうとすることはあまりないのだが、たまに会話している人がぽろっと怪談をこぼすと嬉しくなる。以前読んだ怪談収集家の本に(誰の何の本かは失念してしまったが)「話すような怪談はないと言ってた人もしゃべっているうちに『そういえば、こんなことがあった』と怪談を話してくれる」と書いてあった。自分が体験したことにしろ、聞いたことにしろ、怪談は普段、心の奥底にしまい込まれているのだろう。忘れた訳ではない。ふとした瞬間に浮かび上がってくる。その誰しもがひっそり持っている怪談が、大げさな言い方かもしれないが、世界と異界を結ぶ鍵なのではないかと思うことがある。私たちは異界のことをほとんど知らない。でももしかしたら、この鍵を使ってちょっとだけ扉を開いて異界を垣間見ることが出来るのではないだろうか。そんな期待をしてしまう。私にとって怪談とはそういう物なのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます