夢の先のユメ

まり雪

夢の先のユメ

「今年の全国大会は、正式に中止が決まったそうだ」


 部活動中は絶対に無表情を崩さないあの青野先生が、顔を歪めながら言葉を絞り出す。


 放課後。いつもなら、外から運動部の騒がしい声が聞こえてくるはずなのに。


 今の音楽室を包むのは、永遠にも思える静寂。


 その中で、自分が吹奏楽に捧げてきた3年間が崩れ去っていく。その音だけが、耳障りなくらいにはっきり聞こえた。


 


 部員数170人を抱える凪浜高校吹奏楽部は、全国大会3連覇中のいわゆる強豪校というやつだ。


 そして4連覇という重責を背負っていたおれは全国大会中止という知らせを聞いてからというもの、文字通り完璧に腐りきっていた。


「ほーら、部長がいつまでも腑抜けててどうすんの」


 夜のベランダ。物心ついた時から変わらない街並み。


 いつものように、柵に寄りかかりながらお互い部屋着で駄弁る。


「……うっせえ」


 ぶっきらぼうにそう言うと、小さなゲンコツが仕切り板越しにニョキっと伸びてきておれの頭がぐりぐりとえぐられる。痛い。


「んだとぉ。せっかく、人が、心配して、やってるのによ〜。うりうり」


 それを払い除けるのも億劫おっくうで、されるがままにしていたらそのまま髪の毛をくしゃくしゃにされてしまった。


 まあいいか。昔ほど容姿に気を使ってるわけでもないし、何よりこいつ相手に今更カッコつけたところで意味がない。


 隣でだらしなく柵にもたれかかっている彼女は、幼馴染の理紗。同い年で幼稚園からの腐れ縁、しかもマンションの部屋も隣ときた。


 小中の頃は夫婦だの熟年カップルだの、散々からかわれたっけなぁ。


 そのせいで、一時期は疎遠になったりもしていたが。


「もう! シャキッとしろ!」

「ちょっ、痛ってえなあ」


 今ではこの通り。


 時たま、こうしてお互い暇つぶしをしている。


「部活中はちゃんとしてるし」

「あのねえ、吹部の子達は騙せても、あたしはそうはいかないのよ」


 ない胸を張りながら、自信満々にそう言う理紗。


 いや、まあ昔よりかは……あるかもしれんが。


「めんど」


 目線を逸らし、そっぽを向く。


「なによぉ。せっかく人が気ぃ使ってやってんのに」

「頼んでねーよばーか」

「ああ?! こんにゃろ!」

「おわ! ばかばか落ちる!」


 今更こいつ相手に異性を意識するなんて、それこそ隕石が降ってくるよりありえない。小さい頃は一緒に風呂に入ることもあったのだから。幼馴染というよりは、もはや兄妹に近い。


 それに、陸上で鍛えられ引き締まったその身体は、どちらかというと美しいという言葉が似合いそうな気がする。


「はぁ……。おれらは、おれは何のためにあの鬼のような練習を……」


 理紗にベランダへ呼び出されたのが、たしか日付の変わる少し前くらいだったはず。互いの家族も、もう寝静まった頃だろう。周りに理紗しかいないせいか思わず弱音を吐いてしまった。ここが学校なら絶対やってはいけないことだ。

 

「……先輩」

「え?」 


 言動や行動こそはちゃめちゃだが、腑抜けたおれを不器用なりに元気付けようとしてくれていたのだろう。さっきまであんなに威勢の良かった理紗の声に、急に影が差した気がした。声量も小さくてよく聞き取れない。


「竹本先輩には、相談したの?」


 こいつは竹本先輩の話をする時、なんでかいつもこういう顔をする。


「……した」

「なんて?」

「最後までちゃんとやりきりなさい」

「あー、なんか言いそう。そういうこと」


 わかってたんなら聞くなっての。というか、若干とげとげしくないか?


「やりきれって言われても、大会も演奏会もねえのに……」 


 竹本先輩は先代の吹奏楽部部長だ。そして高校に入るまでやんちゃばかりしていたおれが、男子でありながらフルートという楽器を始めたきっかけの人。憧れの人。


 正直、ひとめぼれだった。


 あの人に早く追いつきたくて、隣で演奏したくて、何より自分を見て欲しくて。それこそ毎日死ぬほど練習した。楽器なんてそれまでやったことなかったから、誰より早く登校して、誰より遅くまで学校に残って。


 結局先輩の隣で演奏することはできなかったけれど、気付けば自分が部長なんて柄でもないものになっていた。


 よく考えてみれば、何かにここまで熱中して打ち込んだのは、生まれて初めてかもしれない。


 多分、それもあの人のせいだ。


「あんたさ。結局あれから先輩に好きって言ったの?」

「うっ」


 急に痛いところを突いてくる幼馴染に、思わず身体が固まる。


 おれは昔から理紗に隠し事ができない。「あんたのことなんて何でもわかるんだから」とよく言っているけれど、あながち間違いでもないので困ってしまう。


「……まだ、ですけど」


 卒業式から一度も会っていないのだから、当然答えはノー。


 連絡先は知っているが、大学生というだけでなんだか別世界の住人のように感じてしまう。


 ちょくちょく向こうから連絡をくれるが、それも部活のことばっかりだった。


「ぷぷ。やーいヘタレー」

「うっせえ、ほっとけ」


 頬をつついてくる理紗の手を、今度はパチンと払い除けた。


 どうせこれも知ってて聞いてきたんだろう。ほんとに意地の悪いやつ。


 全国大会のメンバーに入れたら言おう。いつか先輩の隣で演奏できたら言おう。先輩が卒業するまでには言おう。


 そうやって後回しにし続けていたら結局、卒業式でも言えなかった。プレゼントと、くっそ恥ずかしい手紙まで用意していたのに。


 理由なんて知らない。わからない。ただ、一歩が踏み出せなかった。


『吹部のこと、頼んだよ。部長』

『任せてくださいよ、今年も全国優勝いただいちゃいますから』

『お、言うね〜。このこの』


 そんないつも通りの会話で、終わってしまった。


 今となっては、部活で毎日先輩と顔を合わせていたあの日々が幻のようにさえ感じる。

 

「ねえねえ、悠斗」

「んだよ」


 嫌なことを思い出してしまったせいで、知らず知らずのうちに口調がキツくなる。


 あの時告白しておけば、もしかしたら今頃先輩と付き合えていたかもしれない。大学生になってさらにキレイになった先輩と、私服でデートとか……しちゃってたのかも。


 そんな妄想ばかりが膨らんで、自分の情けなさを思い出してはしぼんでいく。いつものパターン。ここに理紗がいなければ今すぐ頭を抱えて転がり回りたい気分だ。


「はぁ。これ以上からかうなら、もう戻るぞ」


 ため息をつきながら、なぜか仕切り板の向こうに隠れてしまった理紗に声をかける。もうこれ以上この話題は勘弁して欲しい。それに、どちらにしてもそろそろ寝ないと。明日も平日だし学校が──


「あたしじゃ、だめかな?」

「……は?」


 正直、それからのことはよく覚えていない。


「ごめん今のなしやっぱ忘れて」


 まくし立てるようにそう言いながら、理紗は部屋に戻っていった気がする。


 うだるくらいの暑さだったはずなのに、その夜は冷房がいらないほど寒々しかった。



 

「本当ですか!」


 放課後、おれは青野先生に呼び出されていた。


「ああ。屋外であれば、条件付きで演奏会をやってもいいそうだ」

「そうですか……よかった」

 

 これでとりあえず、頑張る理由ができた。


 そして、目を逸らすための言い訳も。


「すまない。お前たちの最後のステージだというのに」


 先生のその表情から、悔しさが滲み出ているのがありありと伝わってくる。


 部活中は鬼のように厳しいこの人も、職員室ではちょっと気難しいだけの優しい先生だ。


 きっと、部員たちのためにいろいろな人に掛け合ってくれたのだと思う。


「いやそんな。演奏会ができるだけでもありがたいです」


 強いて言うなら、真夏に屋外で演奏するという経験があまりないのが心配ではあるけれど。


 それでも、このまま区切りもつけれず終わってしまうよりかはずっといい。


「……有賀? おい、大丈夫か」

「あ、ああ、はい。すみません」


 青野先生の前だというのに、呆けた声で返事をしてしまった。


 あの夜以来、どうにも頭が冴えない。霧がかかったみたいにぼーっとしながら日々を過ごしている。理紗も、まるで何もなかったかのようにいつも通りを装っていた。


 この状態が、きっと良くないというのはわかる。


 でもどうするのが正解なのかは、わからない。


 ああもう。わからないことだらけだ。


「……なぁ、有賀」


 青野先生は部員の体調や精神の不調にすぐ気づくことができる。その先生が、おもむろに立ち上がりおれをまっすぐに見つめて、言った。


「目標だった全国大会がなくなった今、おまえは、おまえ達は、何のために演奏をする?」



 

 ついに、部長として、部員として、最後の演奏。


 演奏者全員が、制服ではなくコンクール用の白いジャケットに袖を通している。


 陽炎が揺らめく、炎天下の校庭。歓声は一切なく、パイプ椅子に座る観客の数だってホールよりも遥かに少ない。素晴らしい演奏をしたところで、何かの賞がもらえるわけでもない。


 それでも、今ここに立てる自分たちはものすごい恵まれているのだと思う。


「それでは、演奏をはじめます」


 本当なら顧問である青野先生や部長である自分の挨拶があるはずだったのだけれど、グラウンドに響くのはそんな簡素な一言と蝉時雨だけ。


 それも、仕方がない。だって今この時代を生きる誰もが、何かを我慢しながら、何かに耐えながら必死に生きている。


 先日、ニュースで同じように目標を失った高校生たちを見た。


 高校生活を、青春を全て捧げたのに、それを突然奪われた。その行き場のない怒りとやるせなさに涙を流している彼ら、彼女たちを見た。


 そんな中で、自分たちは沢山の人に助けられて、支えられてこの日、ここに立っている。


 ならば、そんなおれ達の演奏する意味って、一体なんだろう。


 自分自身の中で、そしてみんなと考え抜いたその答えを、音に込める。

 

「曲名は」


 息を吸い、身体を空気で満たす。楽器と、周りの音と一つになる準備をする。


「あなたのためのエール・マーチ」


 演奏時間は、たったの5分。


 夢見ていたステージには遠く及ばない。


 でも、それでもいいと、そう思える5分間だった。




 演奏後、おれは友人たちに取り囲まれていた。


 この暑い中、休日にも関わらず見に来てくれたこいつらにも感謝しかない。


「……あ」


 すると、視界の隅に青野先生と話している竹本先輩の姿が。


 服装も容姿もまるで大人びてしまっているけれど、間違いない。演奏を見に行くと連絡も貰っていた。


 そして。


 おれの隣に立つ理紗も、とっくに気付いているようだ。


「あのさ、理紗」

「ん?」


 結局あれからぎこちないままだったこいつとの空気も、今日で終わらせる。そう決めていた。


「おれ、フルート続けるよ」

「……そっか」


 その一言で察したのか。理紗が、おれの隣から一歩離れる。 


「あの大学でもう一度、夢の続きを見たい。今度はもっともっとたくさんの人に向けて、先輩の隣で、演奏がしたい」


 本当は、フルートを続けるか悩んでいた。


 先輩が好きだからフルートを吹いていたのか、それともフルートが好きだから吹いていたのか。自分でもよくわかっていなかったから。


 でも、今日やっとわかった。


 おれは自分の為だけじゃなくて、誰かの為にも演奏ができる。したいと思える。


 音楽が好きだ。フルートが好きだ。自身の感情を言葉にするのが苦手な自分でも、音を通して気持ちを伝えることができる。


 だけど、その原動力はやっぱり。


「うん、そっか」


 そう言いながらさらに、もう一歩。理紗はおれから離れていく。


「だからごめん。おれ、やっぱりおまえとは……」

「あーもうわかった! いいから! ほら、行ってこい!」


 明るい声と共に、思いっきりおれの背中に平手が叩きつけられる。

 

 ガキの頃から変わらない、相変らずの手癖の悪さ。


 でもこれは、きっとあいつなりの精一杯の強がり。


「お、おう!」


 背中の痛みが、おれをあの人のもとへと向かわせる。


 もう充分に視界は開けている。


 進め。進め。一歩を踏み出せ。


 目に見える結果としては何も残せなかったけれど。


 あの時言えなかったことが、今のやりきった自分になら!


「あの、竹本先輩!」

「わぁ! 有賀君、久しぶり! 演奏すっごいよかっ……」

「おれ、先輩のことがずっと──」

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