迎え女

みこも祭

 ある日、ある家の前に、黒い着物を着て、両手で縦長の黒い包みを持った女性が立っている。

 その家の前を通りかかった時、その女性に「申し訳ございません。こちらは、誰々様のお宅でよろしいでしょうか?」と尋ねられたら、その時は――。



 小学校二年生の頃、学校に行く途中で、知らない女の人に声をかけられた。

 聞き取りづらい、ボソボソとした声だった。


「申し訳ございません。こちらは、サトウ様のお宅でよろしいでしょうか?」


 振り返ると、ある家の前に髪の長い女の人が立っていた。

 いつの間に来たのか分からない。さっきまで、この家の前にも、わたしの後ろにも、誰もいなかったのに。

 女の人は真っ黒な着物を着て、縦に長い、黒い包みを両手で持っていた。よく晴れた夏の日だったのに、女の人の顔はぼんやりとしか見えなくて、よく分からなかった。

 その女の人からは、線香の匂いがした。

 女の人が聞いてきた、この家のことは知っている。おじいちゃんのお友達の、佐藤さんのおうちだ。

 知らない人や、怪しい人に声をかけられたら返事をしてはいけません、大人の人を呼びましょう、と、困っている人がいたら助けてあげましょう、の二つの間で悩んで、わたしは助けを求めて周囲を見渡した。

 けれど、わたしたち以外には誰もいなかったため、黙って頷いた。

 女の人は知らない人だけど、怪しい人には思えなかったからだ。


「ありがとうございます」


 女の人が頭を深く下げると、線香の匂いが強くなった。

 女の人はお礼を言っただけなのに、わたしは急にその人が怖くなり、小さく頭を下げると逃げるように走り出した。

 角を曲がる時、そっと振り返ると、女の人は誰かを待っているかのように、静かに立っていた。


 両親は仕事だから、わたしは学校が終わると、近くに住むおじいちゃんとおばあちゃんの家に行っていた。

 その日、おじいちゃんは朝から出掛けていた。おばあちゃんが用意してくれた、おやつのホットケーキを二人で食べながら、おばあちゃんに今日一日学校で起こった話をして、最後に朝会った女の人の話をした。

 それまで笑顔だったおばあちゃんは、今まで見たことのない、厳しい顔をした。それでも、わたしの話は最後まで聞いてくれた。


「……あん、本当に嘘はついてないんだよね? 黙って頷いただけなんだね?」


 おばあちゃんの声は固く、わたしは自分が悪いことをしてしまったのではないかと思った。

 口の中に残っていた、ホットケーキとメープルシロップの甘さが、感じられなくなった。


「……うん。おばあちゃん、あの女の人、悪い人なの? 佐藤さんのおうち、大丈夫?」

「悪い人じゃないよ。……杏奈が会った女の人は、むかって言うんだよ。聞いたことは、ないね?」

「ない。なに、それ?」

「この辺りに昔からある言い伝えでね、亡くなる人を迎えに来るんだよ」


「迎え女」は黒い着物を着た女性で、六日後に亡くなる人が出る家の前に立ち、通りかかった人に、その家のことを尋ねる。

 朝、わたしが体験した通りの内容だった。


「……佐藤さんのおじいさんは、最近体調が良くないんだよ。いいね、杏奈。もしまた迎え女に会っても、絶対に嘘をついたらいけないよ。迎え女は聞いてくるけど、本当は全部知っているんだ。知っているおうちだったら黙って頷く、知らないおうちだったら、黙って離れるんだよ。嘘をつくと、迎え女が迎えにきちゃうからね。……朝、杏奈がしたことは、間違ってなかったんだよ」


 そう言って、おばあちゃんは深いため息を吐き、悲しそうに小さく首を横に振った。



 忘れなさい、とおばあちゃんは言ったけれど、わたしは次の日から一ヶ月くらい、佐藤さんのおうちの前を通らないように、勝手に通学路を変えていた。

 佐藤さんのおじいさんが亡くなったのは、わたしが「迎え女」と出会った六日後の朝だった。

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