社畜だったボクは豊穣の女神とゆったり農業生活をすることにした

中七七三/垢のついた夜食

1.祠にお供えしたら女神に会った

 深夜二時である。草木も眠る時間だ。

 丑三つ時か?

 ああ、呪いてぇ。この社会を、全てを!


「うぇぇぇぇぇ!! 仕事やめてぇぇ! 疲れたぁぁ! 暇がねぇぇ!」


 終電を逃したボクは、深夜バス(いつも利用している)を降りると、闇に向かって吼えた。

 空には上弦の月がぽっかりと浮かび、星はちらほらとしか見えない。

 人気もない。

 都心から自宅のある鮒橋までの深夜バスで帰宅。


 街灯が闇の底を照らす道をとぼとぼと歩く。二〇分ほど歩けば、自宅のアパートに着く。


「ああああ、くそ、なんでこんなに忙しいんだ。やめてぇ、仕事やめてぇ! 会社爆破してぇぇ! 木端微塵に!」


 と、誰もいないことをいいことに胸の中の毒を吐き出す。

 ボクの会社は金払いが良いという意味ではブラックではない。給料は悪くない。

 が、人使いが異常に荒いのである。

 終電で帰れればラッキーという感覚に毒されてくるのだから末期的だ。

 死ぬ…… 酷使病で死ぬ。

 

「あら? 小さい神社? ほこらか…… こんなとこに?」


 歩いている途中。であったのは祠であった。

 要するに神社の小さいの。

 ボクはなぜか――

 いや、本当に出来心で、パンパンと手を叩いていた。

 そんなことで何かがどうなるということもないのだろうけど、思わずやってしまった。


 溺れる者は藁をもすがる。

 苦しいときの神頼み。


「あ―― 会社辞めたい! もっとゆったりした人らしい生活をしたいです! お願いします! 田園でスローライフとか最高です!」


 で、夜食用にもっていたプリンを祠にお供えした。

 プリン程度で、希望がかなうほど、世の中甘くないのは知っていたが。

 あははは、田園でスローライフとか、夢のまた夢だ。


「ま、少しは仕事が楽になってくれれば……」


 と、ボクは再び帰路につこうとした――


「え? あれ? なに?」


 急に視界が歪んだ。

 あれ? なにこれ? え?

 ぐらぐらと景色が歪み、意識が頭蓋の外側に染み出ていこうとしている。


(やばい、仕事のしすぎて、過労死か! 酷使病か! 脳出血かぁぁぁ!)


 薄れゆく意識の中、ボクは「まだ死にたくねー!!」と思いながら気絶した。


        ◇◇◇◇◇◇


「なに? あれ? えっと……」


 気づくとボクはどこかの部屋の中にいた。

 六畳くらいの板間である。

 ちょっと、薄暗い。


「ふむ、なかなかに美味なお供え物であるな。というか、お供え物が久しぶりであるのだが……」


 と、声のするほうをみやる。

 ボクは戦慄を覚えた。

 びっくりした。

 息を飲んだ。

 ついでに、鼓膜の近くで心臓がなっている感じ。


「あのぉぉ~」


「ようこそ、我の神域へ。この供物は美味いぞ。気に言った。もぐもぐ」


 そこにはプリンをほお張る女の人がいた。

 着物―― それもなんか古代風の着物を身につけてる。極彩色だ。

 亜麻色の長い髪――

 瞳は潤んだ黒曜石のようで、長い睫が影をつくりだしている。


(なんちゅー、美人…… え?)


「美人」「美女」というワードで検索したらTOPに表示されそうなレベルの美女がそこにいたのだ。

 いや、このレベルの美女は見たことがねーので、見つからないかもしれない。

 おまけに、胸が凄まじく大きい。目が釘付けである。


「あの~」


「ここは我の神域である、楽にせよ」


「神域? 神様? あなた、神様?」


「おう、そうだ。自己紹介がまだであったな。我は豊穣の女神・イルミナという」


「で、ボクは死んだんですか?」


 いきなり核心を突く。

 過労による脳出血かなにかで倒れて、神様に出会っているのかな――と、まだうすらぼんやりしている頭で思ったのだ。


「いや、死んではおらぬ」


「そうですか」


「オヌシの願いをかなえてやろうと思う、転職じゃ」


「え?」

 

 ボクはどうやら死んでいないらしい。

 転生ではなく「転職」とはっきり口にした。


「オヌシは、我の神域で農業しながらスローライフを送ることができる。ま、望むならばということではあるがな――」


「マジですか!」


「うむ、昔は我の神域で農業をする者もおったのだが、今は耕作放棄地の荒れ野になってしまったのじゃよ」


「その『神域』というのは『異世界』ですか?」


「異世界? はぁ? 千葉の山奥じゃ」


 どうやら異世界に転移するという話ではないらしい。


「我の力の及ぶ土地よ。この地を耕すならば、豊穣の恵みを与えることを約束しよう」


「そうですか……」


「いやか? 拒否する権利もある」


「いえ! やらせてください。転職します」


「ほう、やるか」


「もうですね、一日中、PCに向かって数字と納期に追われ、毎朝早くから深夜まで働いて、心が折れそうになると『ボクは機械だ。メールを読んで記憶する機械だ。ボクは機械だ。仕事をする機械だ。機械だ。機械だ。ボクは機械だ』と念仏のように唱える日常とは決別したいんです。農業! 最高です。自然の中で仕事したい! マジで!」


「おお! そうか!」


 女神はゴミ箱(なぜかあった)にプリンの容器を捨てた。


「オヌシ、名はなんという」


「新地高作です」


「なんとも、農業的な…… 素晴らしい名であるな!」


「で、今すぐその『神域』に行くんですか?」


 異世界ではなく千葉の山奥らしいが、そこで生活するのは悪くない。


「うむ、神域には我の結界が張ってあり、容易に人は踏み込めん。まずは、今の会社を辞めてることよ。オヌシの帰属を明確にせねばならぬ」


「辞めます! 辞めます! 辞めます! 絶対にやめます!」


 ボクはスマホをとりだし「辞表の書き方」を検索する。


        ◇◇◇◇◇◇

 

 気がつくと、ボクは祠の前に立っていた。

 今のは「幻覚」か?

 過労による幻覚か?


 いや違う。

 そこには、空になったプリンの器があった。

 しかも……

 封を開けずに空になっていたのであった。


 翌日――

 

 ボクは部長に辞表を出した。

 部長は「何これ」とボクを見つめ言った。


「会社辞めます」


「まじ?」


「まじです。完全に本気です」


「仕事が忙しくて疲れてんじゃない? 今日はもう帰って休んだ方が……」


「もう、辞めます。直ぐやめます。辞めさせてください」


「いや、そんなこと言われても」


「もうこんな会社は無理です。とにかく、忙しすぎるんですよ! なんでボクひとりに仕事が集中するんですか!」


「いや、君が優秀だから……」


「関係ないでしょ! もう、でも今回はお言葉に甘えて帰ります!」


 ボクは事務所を後にして帰宅した。

 そして、あの祠に向かったのであった。

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