第4話 さよなら

「大事な祖母に会いたいんです」


都内の雑居ビルの2階の小さな部屋に、死者と1度だけ再会させ、その対価として死者との記憶が全て消される仕事をする、タチアイ人、通称裁ち会い人(たちあいにん)、日和見タイカ(ひよりみ たいか)がいる。



黒いハットを目深にかぶり、長身の細身の体は白いコートを纏い、磨き抜かれたビジネスシューズを履いている。



部屋の中には、ブラウンの小さなテーブルとその上には、手のひらサイズの獏の置物、二脚のパイプ椅子しかない。


日和見タイカの目の前には、20代後半の細身の女性が座っていた。


「祖母は、10年前に老衰で亡くなりました。両親が機能不全の家で大学を出るまで祖母に育ててもらったんです」

うつむき気味に話す依頼人、佐藤ゆかりは話すと黙った。


「その、左の頬の傷はどうしたのでしょう?ずいぶん昔のようですが、話したくなければ、お好きに」

日和見タイカは、珍しく人の事情に踏み込んだ。普段は、死者と再会させ、仕事は終了だ。


だが、今までたくさんの依頼人に会ってきたが、佐藤ゆかりは何かが違い、置物の獏がやたらつぶらな黒い瞳でタイカを見る。


「子供の頃に、父親に殴られた時に倒れて、その場所に硝子の時計があって、切りました。その日から、流石に目をそらしていた祖母が見かねて、私を引き取ってくれたんです」


佐藤ゆかりは、左の頬の古傷に触れながら呟いた。


「報酬は、このビルのヒヨリミさんのへやのポストに入れてあります。10万円ちょうど」


テーブルの上の獏がやたらと騒ぐ。タイカは白い細い長い人差し指で撫でた。


なんだ、この胸騒ぎは。無表情で獏と佐藤ゆかりを見るも、他の依頼人と変わりはない。


「では、獏、目の前の置物に2回呟いて下さい、私の悪夢を食べて下さい、と」

仕方なしに、日和見タイカは、佐藤ゆかりに言った。


佐藤ゆかりが呟くと同時に、タイカは獏の置物の上でパチンと指を鳴らす。



佐藤ゆかりの横に、小柄な依頼人に似た80代くらいの老婆が立っていた。


老婆が、タイカを見て1つ会釈をした。その瞬間、置物の獏が部屋中に響き渡る咆哮を上げた。


しまった!タイカが思った時には遅かった。

佐藤ゆかりが立ち上がり、触れないはずの祖母の手を握り、タイカを見た。


「ヒヨリミさん、ありがとう、さよなら」


次の瞬間、佐藤ゆかりは祖母と一緒にタイカの前から忽然と消えた。


獏が珍しく、苦しそうにうめいている。タイカはもう1度、獏の上でパチンと指を鳴らすと、獏はつぶらな黒い瞳をタイカに向けた。


「いいんだ、彼女はきっともうこの世の人間ではなかったんだよ、私が見抜けなかった」


タイカは、部屋を出てビルの自分の部屋のポストを開けた。


そこには、古い雨風に晒された茶封筒に10万円が入っていた。


中には、一筆がきの手紙が入っていた。


日和見タイカ様


このようなご無礼お許し下さい。10万円を貯めるまでは何とか生き延びたのですが、もう私は祖母のいない世界では生きてはいけません。


もし、私がこの世を彷徨っていたらお訪ねします。さよなら。


日ずけは、1年前の春になっていた。


「人間という生き物は、哀しいな」

久しぶりに部屋を出た、日和見タイカの上には、どこまでも高い秋の空が広がっている。




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