夢に酔う

とぅる

第1話

「こんな荒療治、許されるのだろうか…」

「君は堂々としていればいい。責任は私がとる」


少しの沈黙の後、ソウダルフォンは覚悟を決めて、頷いた。翳した手に光が宿り、眠る三島紗理奈の額に落とされる。紗理奈の顔が光の熱さに歪み、それにソウダルフォンも些か動揺してしまう。ウイングがソウダルフォンの手に手を重ねる。無言の「続行せよ」にソウダルフォンは顔を背ける。ウイングは、高熱に魘されるような苦しげな紗理奈の顔を監視し続けた。


「彼女は私が守ってみせる。絶対に」


口に出した誓いの言葉は、重くウイングの腹に沈んだ。




三島紗理奈が目を覚ましたのは、学生マンションの一室。見慣れない天井に戸惑うが、覚醒と共に春先にここに越してきたことを思い出す。ああそうだ。私は、大学生になったのだ。

 今日は9月22日、秋分の日で、授業はない。ついでに予定もなかったはず。壁のカレンダーを見ると、5日前の17日に意味深な赤丸がついているくらいで、他は見事に空っぽである。なんだか虚しくなって、気怠い身体を再びベッドに沈め、目を閉じようとした瞬間に。


「おはよう、紗理奈」


飛び起きた。私の知らないイイ声が、頭に響いたからだ。テレビか?ケータイか?幻聴か?周りを見渡しても誰もいない。単身での上京だ、まだ家に入れるほど仲の良い友達もいない。


「おや、忘れてしまったかな。このウイングのことを」


何?ウイング?私の狼狽を無視して語りかけられ続ける。頭の中に声が聞こえるなんて、アニメじゃあるまいし、大体私はウイングなんて名前聞いたこと…。

いや、ある。あるわ。どうして忘れていたんだろう。思い出した。スッと呼吸が再開する。鼓動が鎮まる。なんだ、ウイングか。驚かせないでほしい。


「何?ウイング。私休みだから寝たいんだけど」

「そうはいかない。朝日は毎日浴びなければ」

「うわっ」


私の身体が引っ張られる。正確には身体に宿っているウイングにコントロールされている。私の腕は勝手に窓のカーテンをシャッと開ける。注がれた眩しい光が瞳孔に刺さる。気力で右腕のコントロール権を取り戻し、即カーテンを閉める。


「ハイ浴びた!これで満足ですか?!」

「ふふ、そんなに興奮していてはもう眠れないだろう」

「こんにゃろ…」


体内(正確には精神の中?よく分からん)に潜むウイングのムカつくところは、こういう時に殴れない所だ。しかしウイングの言う通り、もう寝られそうにない。そうなってくると、やけに遮光性の高い紫のカーテンのせいで部屋が真っ暗すぎるのが心地悪くなる。何かへの敗北感と共に部屋の明かりをつける。


「お、偉い偉い」


イチイチなんかこう癪に障ることを言うウイングは、春頃から私の中に住み着いている。理由とか、経緯とかは、…成り行き。というか正直ぼんやりしている。つまり多分それくらいのことで、あんまり大したことじゃないんだろうし、何より私は過去は振り返らない主義だから。とりあえず今コイツが私の中に存在する。それ以上でもそれ以下でもない。…慣れた今となっては、ダイナミックな二重人格的なアレなのかなって割り切ってすらいる。いやまあ、私、多分、ちょっと人より脳みそが欠けている気がするのだ。だからいざ、精神の異常ですなんて言われてもあんまショックは受けないと思う。あと、困ってないし。ちょっとコイツの軽口に腹立ったりはするけれど、生活に支障はないので。なんなら、その、…寂しく、ないし。


「偉い紗理奈はこのまま朝食を取るんだろうなぁ。今日はパンとコーンフレーク、どちらにするんだ?」

「うるさいなホントに…」


なんならウイングは私の健康に嫌と言うほど気を配ってくるので、何にもないと堕落してしまう私には丁度いいのかもしれない。絶対に言ってやらないけど。

こんな調子で私の毎日は過ぎていく。特に何かイベントがあるわけでもなく、トキメキもなく、いつも通り。ただ物足りない日々が私をかすめていく。でも何かこの日常に違和感があるのは気のせいなんだろうか。




「…カゲロウはまだ見つからんのか」


骸鬼の声は重くアジトのフロアを這った。後ろに控える部下が縮みあがる中、アーグネットは淡々と続けた。


「5日間連絡を寄越さず、誰の前にも現れておりません。無論、カゲロウの部下からの報告もありません。」


骸鬼は脚を組み替える。その様子をアーグネットは跪きながらも睨みつけていた。


「お前は、どう見る」


骸鬼がアーグネットを睨み返す。アーグネットは回路を回しながら、ゆっくりと口を開く。


「…奴は自由を愛する男だと、記憶しています。それに、純粋な悪だとも。特に問題はないかと。カゲロウはカゲロウなりに何か策があるのだろうと、私はそう見ます。」

「フン、そうか。もう下がって良いぞ」

「失礼」


アーグネットはゆっくりと立ち上がり、その部屋を後にする。骸鬼がくつろぐ部屋からでると、ゆっくりと空気を取り込み、排出する。廊下を進み、角を曲がった所で指を鳴らせば、2人の部下が闇から現れる。


「カゲロウの居場所は」

「未だ掴めず」

「他は」

「少し、不可解なことが」


部下に手渡されたメモリに自身のプラグを繋いで読み込む。そこにあったのは画像データだった。


「調査を続けろ」

「ハッ」


部下を払い、アーグネットは画像を確認しようとした。が、不意に花の香りがして顔を上げると、傀儡子ちゃんが立っていた。


「…おやおや、傀儡子ちゃんじゃないか」

「ご機嫌よう。アーグネット」


自分としたことが、こんな目の前の人の気配に気づかないだなんて。アーグネットは顔を逸らす。


「骸鬼殿に何か用だったのかな」

「ええ、あまりに退屈なので何か面白そうなことはないか聞きにきたんですの」


でも、と傀儡子ちゃんは人差し指を唇に寄せる。


「でもタイミングが良かったようですわね」

「…」

「分かりますわよ、貴方が考えてることくらい。だって貴方を作ったのは私ですもの」


人差し指が唇からメモリに移る。それはまるで花から花へ飛ぶ蝶のように優雅で、確信的だった。傀儡子ちゃんの左腕の中でベティちゃんがおもちゃのようにケタケタ笑う。


「骸鬼殿は裏切り者には容赦ないってウワサだぜ」

「…カゲロウが我々を裏切ったとでも?」

「5日、ムホンを企てるには充分な期間ダゼ」

「疑わしきさえ斬り捨てる。戦国の世に生きた骸鬼殿ならやりかねませんわね」

「…」


アーグネットは傀儡子ちゃんからメモリを奪い、握り締める。傀儡子ちゃんは愉快そうに笑う。


「こりゃ迷子の子犬ちゃんを早く見つけないとなァ!アイツがおもしろそーなこと企んでんならボクも加わりたいし!」

「協力してあげてよ、アーグネット」


傀儡子ちゃんと自分との温度差を感じながら、アーグネットは逡巡する。


「…必要ない。こちらの動きを骸鬼殿に勘づかれたくない」

「あら、信用ないのね。悲しいですわ」


大袈裟なジェスチャーで悲しむ傀儡子ちゃん。アーグネットが傀儡子ちゃんを無視して脇をすり抜ける瞬間。


「それとも、何かあるのかしら。貴方とカゲロウの、秘密が」


コードをするりと撫でられて、思わず大仰に振り払う。キッと睨みつけると傀儡子ちゃんは両手をあげた。降参のポーズをしているものの、その実ただからかわれているだけであることを嫌なほど感じた。


「そのメモリの中身、イイモノだといいですわね」


傀儡子ちゃんはベティちゃんを撫でながら、来た道を引き返した。トゥシューズの足音が廊下に響く。アーグネットは傀儡子ちゃんに疑惑の眼差しを向けざるを得なかった。

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