第31話 甲乙つけ難い

『うふふぅ~。実はここにね、魔導袋をしまってあるのよぉ~』


 無反応な俺に対し、そう言ったオリンダは重そうな肉塊の斜め下に両手を置き、おもむろに持ち上げる。

 すると、押し上げられ潰されあった肉塊の間に、深い谷間ができたのだ。


『な、なるほど。魔導袋だったんですね』


 どうにか納得の言葉を出せたものの、俺の視線は未だにそこから離れない。

 いや、俺としては視線を逸しているつもりなのだが、9:1くらいの割合で胸を見ていると思う。

 それもそのはずで、オリンダの着ている服はイド服ではないが、リズのメイド服にもある最近の流行りだという乳袋仕様――しかもデコルテラインが大きく開いている最先端仕様なのだ。


 夢が詰まっている乳袋と魅惑の谷間がそこにあって、見ない男がいるか?

 いやいないね!

 むしろ正常な男なら、眼福と思うに違いないから!


 俺は自分を正当化しようとあれこれ考えているが、不意にとんでもない違和感に気づいてしまった。


 ちょっと待て、なんでエルフに胸の谷間があるんだ?


 そう、エルフという種族は顔の造形も然ることながら、長身でスレンダーな芸術品のような体型をしている。

 しかしながら、こと胸に限っては、俺からすると物凄く寂しさを感じてしまうほど薄いのだ。


 初めての娼館でエルフに天国へ導いてもらった際、何一つ不満を感じなかった俺。

 だがその後に安い娼館で人間の娼婦を抱いたとき、エルフのような天国を味わえずに落胆したが、唯一満足できたのがどたぷんとした柔らかな胸だったのだ。

 それでも俺は、エルフの方に魅力を感じてエルフの奴隷を欲した。

 胸なんて飾りだ、そう自分に言い聞かせて。


 思考が逸れてしまったが、俺を天国に導いてくれたエルフのみならず、エルフ女性というのは総じて絶壁だ。

 今までに例外はおらず、胸の大きいいエルフがいるという話も、たったの一度でさえ聞いたことがない。

 にも拘わらず、目の前のエルフ女性には、エルフにはあり得ないほどけしからん胸がある。

 意味が分からなくなってきてしまった。


『それでねぇ~、これは私特製のハーブミードなのよぉ~』

『…………』

『ザン? 聞いてるかしらぁ?』

『え、あ、すいません。……えっとー、ミードと言うと、もしかしてあのハッチを使って蜂蜜を集めてるんですか?』

『正解よぉ~』


 俺は思考を戻す。


 ミードと言えば、通常は昆虫の蜂の巣から採取した蜂蜜で作る酒だが、昆虫の魔物であるハッチの巣から採取した蜂蜜で作るミードは、希少性も然ることながら、味そのものが素晴らしいらしく、高値で取引されているので、俺のような冒険者が飲める代物ではない。

 しかもハーブミードと言うことは、なんらかのハーブを原料に使っているはず。

 通常のミードであれば、そういったアレンジがあるのは知っている。

 だがハッチのミードともなれば、下手に手を加えて価値を損ねないよう、そのまま飲むのが主流だと聞いているだけに、オリンダのやっていることが恐ろしく感じてしまう。


 俺が飲んだことのない高級酒に萎縮していると、オリンダは物凄く雑にそれぞれのゴブレットにハーブミードを注いだ。


『このハーブミードはね、美味しいだけではなく、嫌なことも忘れられる・・・・・・・・・・効果があるのよん。遠慮せずに飲んでねぇ~』


 そんなことを言いながら、オリンダは客である俺らをそっちのけで、ハーブミードをガブガブ飲み始めた。

 だが俺は、オリンダの行動より”嫌なことも忘れられる効果”ということが気になってしまう。

 高級なハッチのミードに、わざわざハーブを調合したのは、おふくろの死から逃避するための手段だったのではないか、そう思えたのだ。


 そもそもの話、オリンダの様子がトーマスから聞いていたものとは違っていた。

 おふくろの死にショックを受け、引き篭もっているという話だったのに、俺の目に見えるオリンダはとてもそうには見えない。

 だがそれこそが、ハーブミードを飲んで現実逃避をしていることの証明であると思えた。


 しかしそれは、あくまで俺の推測にすぎない。

 実際はどうであれ、目の前にあるのは高級酒だ。

 だから俺は、とりあえず考えるのを後回しにし、注がれたゴブレットを手にすると躊躇ためらいなく口に運び、ゆっくりと高級酒を味わう。


「なにこれ! めちゃくちゃ美味い!」


 あまりの美味さに古代語を使うことも忘れ、俺は素の感想を共通語で言ってしまった。


「このハーブミードは、自慢の逸品なのよん」

「お世辞とか抜きで、本当に美味いです」


 気を良くしたのか、オリンダが共通語で普通に対応してくれたのはありがたい。

 正直、古代語をマスターしてないリズがいるので、俺的には共通語で会話をしたいのだが、トーマスから古代語で会話するように言われていたため、敢えて古代語を使っていた。

 しかし、共通語で会話ができる状況なら、リズも会話の輪に入れてあげられる。


「リズ、オリンダさんがハッチの蜂蜜で作ったこのハーブミード、凄く美味いから飲んでみな」

「ん、貴女はリズと仰るのかしらん?」


 俺がリズにミードを勧めると、何故かオリンダが反応した。

 とはいえ、元々リズのことはおふくろの弟子として紹介する予定だったのだ、オリンダが絡み酒の人でない限り、特に問題もないだろう。


「そうです。彼女はおふく――」

「ちょっとフードを取ってくれるかしらん」


 オリンダは俺の声を遮り、リズにフードを取るよう言ってきた。

 言われたリズは、チラッと俺に視線を向けてくる。

 俺は逡巡するも、特に問題はないと判断して頷く。


 そしてリズが丁寧にフードを降ろすと、それを見たオリンダがガバっと立ち上がり、ローテーブルを飛び越えてリズへ向かう。


「貴女があの・・リズなのね?」


 リズの前に立った小柄なオリンダは、今までのにへらと笑った顔ではなく、少しだけ引き締まった表情で、座っているリズを見下ろしながらそう言った。


 一応リズは165cmほどの身長で、人間の女性としては長身の部類だ。

 胸部も一般のそれより大きいのだが、今は置いておこう。

 そして155cmくらいのオリンダだが、さすがに座っているリズなら見下ろすことはできる。

 しかも、胸部サイズはリズに引けを取らない。

 どちらも甲乙つけ難いが、身長との比率を考えると、サイズ感はオリンダの方が優勢に思える。


 いやいや、何考えてんだ俺は?!


 何かと溜まっている俺の思考は、つい方向性がズレてしまうが、今はそれどころではない。

 危険はないと判断していたオリンダが、予期せぬ突飛な行動をとったのだ、そちらに集中する必要がある。


「オリンダ様の仰る”あの”が何を指してのことか存じませんが、私はリズと申します。以後お見知りおきを」


 俺が場違い思考から現状復帰すると、リズは毅然とした態度でオリンダに話しかけ、淑女らしい所作で挨拶をしていた。

 王国の王太子の婚約者で聖女だった女だ、多少のことでは動じないのだろう。


「エリザベスとは名乗らないのね?」

「え? どうして私の本名を?」

「ふふ。レイラから聞いていた感じと随分違うわね」


 再度柔らかい笑みを浮かべたオリンダが、少し膝を折ってリズと視線を合わせ、なんとも意味深な言葉を吐いた。

 その言葉に、俺とリズは目を見開く。


「それでも聞いていたとおり、スノーホワイトの髪にレイラと似た紅い瞳なのね」

「レイラ様が、オリンダ様に私のことを?」

「ええ。レイラは貴女のことを凄く気にかけていたわ」

「あ、あのレイラ様が、私のことを気にかけてくれていたのですか?」

「そうよん」


 すっかり元の調子に戻ったオリンダは、しっかりローテーブルを迂回して自分のソファーに戻ると、ゴブレットにハーブミードを注ぎ直して口にする。

 そして、ぷはぁ~っと一息つくと、おもむろにおふくろのことを語り始めた。

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