第12話 慟哭

「――ライアンは1年程前に亡くなっている。そしてレイラは、ついひと月程前に亡くなった」

「え? トーマスさんは、何を……言って…………」


 トーマスからの報告は想定外……いや、ありえない言葉だった。


「すぐには受け入れられないだろうが、ふたりが亡くなったのは事実だ」

「や、やだなー。そんな冗談、これっぽっちも笑えないですって。――え、もしかして本当、ですか?」

「…………」


 意味がわからなかった。

 それは、現実を受け入れたくないという逃避ではなく、ただ信じられないのだ。

 誰よりも強い剣士の親父と、誰も敵わない魔導師のおふくろ。

 殺しても死なないようなふたりが死んだ。

 簡単には受け入れられない。


 それでもわかっていたことがある。 

 人は誰しも、いつか必ず死ぬ、ということだ。


 たとえ”英雄”と呼ばれた最強の両親も例外ではない。

 考えてみれば、今年で60歳の親父と59歳のおふくろだ。

 60歳まで生きれば大往生と言われているのだから、いつ死んでもおかしくない年齢だった。


 それでも俺の両親は”英雄”なのだから、という変な信頼が俺の中にあったのかもしれない。

 いや、”英雄の息子”と呼ばれることを嫌った俺が、両親から目を背けていたいただけだ。

 そのくせこうして逃げ出してきた俺は、今まで意識に入れないようにしてきた両親の世話になろうと、のこのこルイーネまでやってきた。

 勝手に、両親は今でも元気に過ごしている、そう決めつけて。


「……俺はな、人の生き死にを冗談で言えるほど器用じゃない。……アレックス、辛いだろうが受け入れてくれ」


 凄まじく力のこもった視線でそう言ってきたトーマスだが、言い終わるや否や、スッと俺から目を逸らした。

 俺の知るトーマスは、俺如きから視線を逸らすようなことはしない。

 だからわかった。


 本当に両親は亡くなったのだ、と。


――ギュッ


 俺の左手が強く握られた。


『どうしてご主人さまは泣いてるの? どこか痛いの?』


 その言葉が聞こえて、俺は自分が泣いていることに初めて気づく。

 そしてそれが引き金になったのだろうか、俺の口から叫びにも似た声が漏れた。


 俺は受け入れたのだ。

 意識することのなかった、両親の死というものを。


 そして頭によぎるのは、”英雄”と呼ばれた両親のこと。


 ”英雄”と呼ばれた両親のように、いつか俺もああなりたいと憧れた。

 ”英雄の息子”と呼ばれ、両親の名に泥を塗るまいと頑張った。

 ”英雄の息子”と呼ばれ、両親と比較されるのが辛かった。

 ”英雄の息子”と呼ばれるのが嫌になった。


 そして今、俺は”英雄の息子”であることから逃げ出してきた。


 確かに俺は、”英雄の息子”として生まれたことに、腹立たしさや苛立ちを覚えたことがある。

 どうして俺の両親は”英雄”なんだと、両親を恨んだこともある。

 俺がアレクサンダーという個人として認められないのは、全て”英雄”である両親の所為せいだと憎んだことなど数え切れない程ある。


 だがそれでも、死んでほしいと思ったことはない。


『大丈夫、ご主人さま? 困ったことがあったら、ボクに言ってね。ボクがご主人さまを助けるから』


 言葉のわからない世界を連れ回され、俺と手を繋いでいなければ外を歩けないフェイが、俺を助けると力強く言ってくれる。

 その言葉が俺を優しく包んでくれているような気がして、俺は堪えきれず、小さな奴隷少女にしがみついた。


 まさか自分が、両親の死を受けて、こんなに泣いたり叫んだりするなんて思わなかった。

 無意識下に、心のどこかで両親が亡くなれば”英雄の息子”という呪縛から逃れられる、そんな風に思っていた自分がいたのかもしれない。


 それでも結局、俺は”英雄”であった両親が好きだったんだ。


『何でも言ってね? ボクが助けるから大丈夫だよ』そんなことを言いながら、フェイは俺の髪を撫でてくる。

 いつも見下みおろしているフェイが、上から俺を撫でてくるのは殊の外座りが良かった。


 だからだろう、俺は知らず識らずのうちに意識を手放していた。


 ◇


「――ん、……あれ、俺は何を……?」

『あ、ご主人さまが起きた』

『フェイ? ん、ここはどこだ?』


 あまり寝心地が良いと思えないベッドで目覚めると、イスに座って俺の手を握っているフェイがいた。


『うんとね、ギルドの救護室って場所だって』

『ギルドの救護室……』

『うん。あのね、お姉ちゃんも泣いたまま寝ちゃったけど、さっき起きたよ。――あ、ボクはずっとご主人さまを見てたから寝てないよ』

『リズも泣いて……あ、そうか……』


 両親が亡くなったというのが、夢ではなかったのだと気づいた。


『なあフェイ、トーマス……って言ってもわからないか。さっきの部屋で――』

『ん、トーマスってトムおじちゃんのこと?』

『トムおじちゃんって……え? なんでフェイがトーマスさんのこと知ってんだ?』

『トムおじちゃんはお父さんの仲間だよ。お父さんの言葉でお話できたもん』

『マジで?! ――え、トーマスさんってドワーフだったのか……』


 確かにトーマスは、背が低くてゴツい体つきをしている。

 それでも身長は155cmくらいあるように見え、ドワーフであれば些か高すぎる。

 それよりなにより、ドワーフはエルフと同じように耳が長くて先が尖っているはずなのに、トーマスの耳は大きさも形も人間と同じなのだ。

 だがスキンヘッドで髪こそないが、焦げ茶色でふさふさの長い髭が昔から変わらず生えている。

 それこそドワーフのような髭だ。


「どうやら起きたようだな。気分はどうだ?」

「あ、トーマスさん」


 トーマスについて考えてると、当の本人がリズと一緒に救護室へ入ってきた。

 起きたリズが呼びに行ったのだろう。


「気分は……あまり良くはありませんね」

「だろうな」

「でも、少し落ち着きました。両親の死も、全てではないですが、とりあえず受け入れられましたし」

「まあ、簡単には受け入れられんだろう。少しずつ飲み込んでけ」

「そうですね」


 厳つい印象しかないトーマスだが、今は少しばかり優しく感じる。

 彼なりに気を遣っているのだろう。


「そういえば、トーマスさんはフェイの言葉がわかるようですが……」

「まあそれは追々として、先にライアンとレイラの件を伝えておきたい」

「ああ、そうですね」

「とはいえ、今日はもういい時間だ。とりあえず宿を手配しておいたから、細かい話は明日しよう」


 そういえばルイーネに到着したのは、閉門には余裕があったとはいえかなり陽が傾いていた。

 どれくらい寝てしまっていたのかわからないが、それなりの時間になっているだろう。


 トーマスが手配してくれていた宿は、ギルドからさほど離れておらず、同じ通りにあるとのことで、今日はお暇させてもらった。


 ◇


「悪かったな。まさかこんなことになってるとは……」


 冒険者御用達だという宿に着き、そこでも上級な部屋へ通された俺はソファーに腰掛け、3台あるベッドの一番奥の隅に所在なさそうに腰掛けたリズに謝罪した。


「いいえ。むしろ私の方こそ、このような大変なときにご迷惑をおかけしてしまい、本当に申し訳ございません」


 俺は自分のことで精一杯で、リズも泣き崩れてしまっていたことを知らない。

 だがよくよく考えれば、”英雄”に憧れ、魔導姫レイラから直接指導を受けたリズも、”英雄”の死は辛かったに違いない。


 それから意味のない謝罪合戦をしばらくしていると、部屋に料理が運ばれてきた。

 たとえ親の死を知らされた後でも、軽い昼食の後に戦闘して、更に歩いてきたのだ、生きてる・・・・以上腹が減る。

 だが気分的に”食事なんていらない”と思ってしまう。


『ご主人さま、ちゃんと食べないと元気でないよ』


 あまり状況をわかっていない……いや、そもそも死の概念すらわかっていなさそうなフェイは、目の前の料理をもりもり食べている。

 それでいて、彼女なりに俺の心配をしてくれてるのだ。


 裏表のない純粋なフェイの優しさが素直にありがたい。

 同時に、泣いて叫んで落ち込んでる姿を見せ、心配させてしまったことを恥ずかしく思う。

 だから今の俺は、虚勢を張ってでも、落ち込んだ姿を見せてはいけないような気がする。

 そこに下心はなく、31歳であっても見た目通り無邪気な子どものようなフェイに、これ以上心配をかけたくない一心だった。


『確かにこれは美味いな』

『うん! あ、ボクもこれ好きだけど、……ご主人さまにあげる』


 虚勢を張ってみたが、それでもまだ気を遣われているようで、食い意地の張ったフェイが、俺にそれを差出してきたのだ。


『気にしないでいいから、フェイが食べろ』

『いいの?』

『いいんだよ。なんだったら、俺の分もフェイが食べていいぞ』

『ホント! ――あ、でも、それはご主人さまが自分で食べてね』


 フェイには本当に癒やされるし、助けられている。

 だから少し気持ちに余裕のできた俺は、リズに意識を向ける余裕が生まれた。


「リズもあまり食欲ないだろうが、食べなきゃ体が持たんぞ」

「ですが……」

「俺たちは生きてるんだ。生きてる者が死者に囚われ、食事をしないで倒れでもしてみろ? そんなんじゃ死んだものも浮かばれない。リズが倒れておふくろが喜ぶとでも思ってるのか?」

「――っ! そう……です、ね。では、私もいただきます……」


 ようやくリズが食事を口に運ぶと、フェイがドワーフ語でリズに話しかけていた。

 どんな会話かわからないが、ぎこちないながらもリズは笑顔を浮かべている。

 フェイは相変わらず自分の皿から料理を渡そうとしており、リズがそれを苦笑いで断っているのを見て、俺は心の中が暖かくなるのを感じた。


 両親の死について、まだ詳しいことも聞けておらず、簡単に咀嚼することはできない。

 それでも俺は、独りぼっちではないことを実感できている。

 出会ってまだ半月の、フェイという押し付けられた奴隷のおかげで。

 しかも今では、単にツベルゲルフェンという有用な種族というだけではなく、俺の心を癒やしてくれる大事な存在になっている。

 もはや切り離せない大事な仲間……いや、家族だ。


 俺はこれからもフェイを大切にしよう、そう心に誓った。

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