第二章 紅い魔獣ー2

 長い滞在は望まれていないようだったので、彼らは手早く身支度を整えると、村人たちへ礼を告げ、朝のうちにそこを後にした。祥雲がもたらした知らせによると、伽月はいま海路をとり、四人のいる地域近くの半島部で栄える港町、シャーディンを目指しているらしい。透夜たちもスティルへ向かう道のりを逸れ、少し北に進めば同じ場所に辿り着ける。祥雲づてに合流の地をその港町と定めて伝え、彼らも旅路を急ぐことにした。海流の影響もあって、伽月が渡ろうとしている海は冬の間は荒れることもあるが、順調にいけば彼の方が早く着く。ただでさえ追手という妨害も考えなければならない四人には、あまりのんびりと旅路を過ごす時間はなかった。


「しかしまさか、追手の一部が俺狙いだったとはな……」

 先を行くピユラとユリアを見守りながら、隣の透夜へ蒼珠はこぼす。ちらりと透夜が見上げたその指先は、手持ち無沙汰なのか、左耳の白銀の耳環をいじりまわしていた。今朝がたユリアが伸びきった髪を切ってやっていた時もそうしていた気がする。あまた連なる金の中に一つだけ混じるそれは、簡素だがいやに目を引いた。


「余計なことに巻き込んじまって……。ほんとに、迷惑かけたな」

 蒼珠はうなだれた。

 思えば、初めて彼とピユラに追跡の手がかかり、透夜たちと出会った時から、すでにおかしかったのだ。追手はユリアを追うことなく、ひとり蒼珠が残った前に留まった。あの瞬間に蒼珠が覚えた違和感は、あながち間違ってはいなかったということだ。

「別に構わない。元を辿れば、どっちがどう巻き込んだかも微妙な話だしな。今更だろ」

「透夜、お前、いい奴なぁ!」

「やめろ、重い!」

 肩を抱いて体重をかける蒼珠の腕を鬱陶しそうに透夜ははたく。秀麗な双眸が、どけよ、と訴えて睨み上げてくるが、その距離は棘を交えるには程遠く、親しみに実に近い。


 蒼珠があのように姿を変じても、その脅威と刃を交えても、そして彼が自身の身の上を語ったのちも、透夜の態度は変わらなかった。ユリアにいたっても、驚きました、の一言で済ませられ、拍子抜けをしたほどだ。そこに救われるし、助けられる。首筋がなんともこそばゆいのは、今朝がた切りそろえてもらった髪先が、くすぐるばかりではないだろう。


「いい奴ついでに、ちょっと聞いてもい~い? 透夜くん」

「くんづけやめたらな。あと、だから重い。離れろ」

「了解、了解。んでな、透夜」

 肩に回していた腕をほどき、軽快に笑った蒼珠は、表情はそのままにすっとわずか身をかがめた。真摯な声音が、透夜の耳元に囁く。

「……ピユラ、なんかあったか?」

 ユリアと話している横顔は楽しげではあるが、どこか昨日までとは違う気がした。いつもの彼女より力なく、その輝きが儚く見える。

 ピユラをうかがう蒼珠の顔を見つめ、透夜はやがて小さく溜息をついた。

「本人がいわないなら、とは思ったんだがな……」

 声を潜めて、彼は昨夜のピユラのことを短く語った。


 帝国の前でいかに自身が無価値なのかを嘆いていた。外から戻ってきた時、本人は落ち着いたといっていたが、あれほど分かりやすい嘘もないだろう。

 蒼珠は透夜の話に、顔を曇らせ、そうか、と短く呟いた。

「……そいつは、いまのピユラには堪えるだろうな」

 蒼珠としては、仇討ちの方法探しにつきあっていたのも、本当にさせたかったわけではない。ただ、それすら奪ってしまっては、彼女は立っていられなくなっただろから。あの日すべてを捨ててまで逃げたのは、故国のためなのだと、故国の仇を討つために逃げたのだと――そう思っていなければ、彼女は立っていられなかった。自分のために逃げたのでは、彼女は彼女を許せなかっただろう。だから、仇を討つことは、亡国の王女としての彼女の楔のような矜持であり、支えなのだ。

 それを無意味と、当の憎き相手に切って捨てられたと感じたのならば、心が揺さぶられもしよう。


(あいつには……仇を討たないと、幸せになることに罪悪感があるだろうしな……)

 愛しいなにもかもを置き去りに生き延びた王女の己が、幸せを享受してよいのかと。誰もがそれを望んだとしても、きっと彼女自身が、まだそれを正しく受けとめられない。

 帝国への報復――漠然としていようと、いかに無謀であろうと、それはいま、彼女が前に進む寄る辺なのだ。だから、奪えない。憎しみの力でも、前を向いてくれればと願って、蒼珠は仇討ちのための旅を共にしていたのだ。

 本当に仇を討つことが出来るのか。その行為は無意味ではないのか――そう突きつけられるのは、いまの彼女にはまだ早すぎる。憎しみの存在意義を、悲しみの在り方を、彼女から奪わないでいてほしかった。

(いまのピユラには、きっと……どんな形だろうと、復讐は為せるものじゃなくちゃならねぇんだ)

 それが皮肉にも、辛い過去を踏みしめて、立ち上がる力を与えるのだろうから――。


「そなたら、なにを話し込んでいる! 遅いぞ!」

 前を行くピユラから声がかかった。ふわりと長い髪を風が舞わせて通り過ぎ、朝陽がきらきらとその背から射している。少し影のかかった面差しは見えづらいが、深い紫に鮮やかに光が散り、陽光に彩られた髪の深い黒が、吸い込まれそうに目を奪った。

(ああ……こんなにも、お前はそっちにいる方が似合うっつうのにな……)

 胸に溢れた言葉と、かすか過った彼女をそのままにさせてしまう罪悪感を覆って、すぐ行くぜ、とおざなりな調子で投げ返し、蒼珠は透夜を伴い歩調を速めた。

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