第一章 遭遇ー1

「蒼珠、まだか?」

「ほいほい、待ってろよ。おやじ、ありがとな」

 露店の店主から小さな紙袋を受け取り、蒼珠はさわやかな笑顔を見せた。そのままその袋を隣できらきらと目を輝かせていたピユラに渡す。ピユラは嬉しそうに袋を抱え持つと、水を吹き出し続ける噴水へと駆けより、そのふちに腰かけた。ふわりと彼女の真っ直ぐな長い黒髪が、動きに合わせて楽しげに舞う。


 鮮やかに降り注ぐ秋の日差しが、水晶のように水しぶきを彩っていた。ここウェッツアは、ロギアナ地方でも大きな街のひとつで、豊かで賑やかなうえ、治安も悪くはない。そのためかこうした広場が街のそこかしこにあり、屋根のある立派な店だけでなく、移動式の荷車を利用したような菓子や装身具を売る小さな店も数多く営まれていた。特にいまは祭りの最中ということもあり、賑わいはさらに華やかさを増している。


 ピユラが蒼珠にせがんで購入してもらったのは、この街の名産という砂糖菓子だ。袋をのぞき込めば、淡い彩の小さな丸い菓子が宝物のようにつまっていた。

「なにがそんなにいいかね」

 明らかに胸を高鳴らせている様子のピユラに蒼珠は優しく苦笑する。もちろん、理由は分かっている。風羅は穏やかで優しい国柄だったが、一方外へは閉ざされた国だった。かつては小さな城と街だけが世界のすべてだった王女様には、どんな些細なことも物珍しく、心を惹いて映る

のだろう。


「菓子というものは、心躍るものじゃぞ。こう、あれじゃ、幸せがぎゅっとしておる」

「幸せねぇ。ま、それなら確かにいいもんだ」

 蒼珠は金色のたれ目をゆるく細めた。ささやかでも、それを彼女が幸せと呼ぶなら、消えぬ傷痕と復讐心の上へだろうと、積み上げていってほしいと願う。


 菓子を口へと運ぶ彼女をじっと見守って、蒼珠は視線を注いだ。しかしそれが、どうも違った意味に捉えられたようだ。ピユラはふと蒼珠へ紫の瞳を転じると、にっと口角を引き上げた。

「食い意地の張っておる騎士じゃ。妾が食べる前に欲しいと見える」

「違ぇよ」

 柔らかに、ため息交じりに蒼珠は肩を落とす。

「む。いらぬのか? 幸せのおすそ分けじゃぞ。特別に妾より先に受け取ることを許す」

「あ~、へいへい。ご下賜ありがたく」

「感謝が足りぬ……」


 おざなりに差し出された大きな掌へ、ピユラは唇を尖らせながらも薄紅色の菓子をひとつ手渡した。彼の黒髪に混じる紅色ゆえか、その名が示す蒼よりも、彼には赤の印象が強い。つい彼へはその色を選んでしまう。

「しかし、祭りの時にここに来られたのはよかったの。道中散々道草をしただけのことはある」

「道草じゃなくて、路銀稼ぎな?」

 ひでぇ言われよう、とこぼしながら、蒼珠は訂正した。


 砂漠への目標を、帝国寄りのロギアナ地方へ変えてから辿り着くまでに、あっという間に夏を通り過ぎ、気づけば秋も深まりきっていた。だが、無為に時を過ごしていたわけではない。それも仕方のないことなのだ。ほぼ身一つで風羅を出たピユラと蒼珠には、一切先立つものがなかった。そのため、その日その日の稼ぎを重ね、旅の資金を得ているのである。そうなると自然、目的地への歩みは遅くなった。


「採石運びに、酒場の厨房、一日限りの要人警護、はては迷子の猫探しまで……あらゆることで稼ぎに稼ぐ俺の努力、もっとありがたく受け取ってくんねぇ?」

「褒めて遣わす」

「そういうんじゃねぇ」

 よしよしと自分よりずっと年上の男の頭をなでる少女に、蒼珠は大きくうなだれた。彼女はいま十五、彼は二十三だ。八年の差がまだまだ大きい年の頃である。大人と子どもといって差し支えない彼女に、大人しく頭をなでられている自分は周囲にどう見えるのかと思わなくもないのだが、ピユラは満足げに笑っている。それに、ならばいいかと思ってしまう自分は、やはり相当彼女に甘いのだろう。彼は小さく自身へ苦笑をこぼした。


「だがまあ、確かに、祭りの時に来れたっていうのは運がいい。純粋に賑やかでいいし――人の気も緩みやすいからなぁ……。再誕祭だっけか?」

「うむ。そうじゃ。この時期、海風が陸へと吹き寄せるらしい。じゃからだと聞いたな」

「海の向こうの死者の国から、魂をこっちに戻してくれる風ってわけか。これ、どの地域いっても似たような話なの面白れぇよなぁ」

「そうじゃな。各地を巡り、神の形も、話も、祈りも、まるで違うことすら知ったが、この死の国と蘇りの物語だけは、どこも同じようなものなのは、興味深い」


 死者の国は川の流れの先、海の向こうにあり、そしてそこにいる神がたまさか気が向くと、その吐息の風に魂をのせ、生者の世界に返してくれる――。翡翠鳥の雛を見送った地域しかり、いままでピユラが聞いてきた他の地方の話も、小さな差異はあれ、大筋は同じ内容だった。


「――……先祖の再誕を祈る祭といえば、我が国では春先であったからな。同じ祭りで時節が違うというのは、不思議な感じじゃのう」

 懐かしむにまだ遠い、切ない響き。かすか潮騒さえ聞こえそうなしょっぱい香りの風が、ピユラの黒髪を梳いていった。

「心地いい、風じゃの……」

 微笑んでいるはずなのにともすれば泣き出しそうに見えて、蒼珠は声をかけあぐねた。


 だが、そこへ――あっという幼い叫び声とともに、ピユラが持っているのと同じ砂糖菓子が、彼女の足元に袋ごと石畳を跳ねてすっ飛んできた。中からいくつもの鮮やかな欠片が、地面にころころ転がり出ていく。見れば、子どもが地面にべしゃりと伏して、大きな目に涙をため、その無惨な菓子袋の残骸を見つめていた。菓子に興奮したあまり、転んだらしい。さあ泣くぞ、と、いままさに口を大きく開けんとしている。


 泣き声が轟く寸前。立ち上がったピユラは、子どもの前に屈みこむと、己の砂糖菓子袋を差しだした。

「のう、娘。食べかけなのじゃが、腹が満たされてしまった。そなた、ちょうどよいからもらってくれぬか?」

 ぽかんと涙たっぷりの大きな緑の瞳がピユラを見上げる。そしてそれは、見る見る喜色に染まって、輝いていった。

「うん! もらう! ありがとう!」

「うむ。どういたしましてじゃ。きちんと礼が言えて偉いの」

 しっかりとピユラからの袋を両手で握りしめて、幸せたっぷりに幼子は笑った。その頭をよしよしとなでてやる。慌てて駆け寄ってきた親たちが、申し訳ないと遠慮するのを丁寧に止めて、ピユラはそのまま菓子をもらってもらった。


「ありがとうございます。お嬢さんに、聖ロディナス様の祝福がありますように」

 手を振る子どもとともに、そう頭を下げて去る両親を見送って、ピユラは首を傾げた。

「聖ロディナス……?」

「確かこのあたりで再誕祭ん時に、一緒に祀られる聖人じゃなかったか?」

 事と次第を腰かけたまま見守っていた蒼珠が、背後に歩み寄ってきてひょいと言う。


「数百年前、大地が割れ、海が押し寄せる大災害があった時に、人々の救済に尽力した……とか、そんな話がされてた気がするぜ」

「ほぉ、例の大災害ものであったか」

「大災害ものってお前……。まあ、こいつも必ずどこいってもある話だがな。数百年前に街が暴風で全部吹っ飛んだだの、大地から火が溢れただの、太陽が落ちてきただの」

「さすがに太陽はないと思うのじゃがな。まあ、昔、各地でなにやら語り草にしたくなるほどの、大きな災いがあったのは確かなのじゃろう。風羅も、春が来なかったという話が残っておった」

「ピユラ。聞く耳はどこにあるかわからねぇぞ、って言ってんだろ」

「あ、すまぬ……」


 思わずこぼれてしまった故国の名に、ピユラはいまさらながら口を覆った。身の安全のため、その名を人前では出さないようにしているのだが、つい油断すると口をついてしまう。


「ま、いまのは大丈夫だろうけどな」

 失敗したと眉をさげるピユラの頭をひとなでして笑い、蒼珠は残されたままになっていた、落ちてしまった方の菓子袋を拾い上げた。

「さて、こぼれちまったもんは小鳥の餌にするとして、ほとんどないが、ちょっとは残ってんな、これ」

 がさがさと袋を振ると、三、四個ほどの砂糖菓子が蒼珠の手の上に転がった。それをまとめてぽいっと無造作に口に放り込む。

「拾い食いする騎士とはの」

「だって勿体ねぇだろ?」

 咎める言の葉に反して可笑しそうに笑うピユラに、蒼珠もがりがりと菓子を噛み砕きながら相好を崩した。


「じゃ、足りなくなってきた物を買い足しに行くぞ。祭りのおかげでお安くなってる店も多そうだしな、買いだめできるもんはしとこうぜ」

「蒼珠、そなたこういう方面、生き生きしとるの」

 生活に密着すればするほど、彼はどこか輝いて見える。生きる力が強いのだろう。好ましいところだとピユラは思う。王女としての暮らしから、いきなり流浪の旅人にされたピユラにとっては、そんな彼の存在は、心の支えとしてはもちろんながら、実質的な部分でも大いに助けになっていた。


 出来るかぎりたくさん回りてぇな、と、蒼珠が宿で借りた街の地図を広げる。日はまだ高いが、秋は冷たい風に誘われて落ちるのも早い。あまりのんびりしすぎると、あっという間に暗くなってしまう。

 また海風が吹きすぎ、ふたりの髪を煽って流れていった。靡く髪先の間から、蒼珠の耳に通された装身具がのぞく。金色ばかりの中で、ひとつだけ目立つ白銀の耳環が、より明るく陽射しに煌いた。風はそのまま彼のマントを浚い、地図の端をはためかせていく――その時だ。


 ピユラははっとして、広場の向こうを振り返った。緊張が彼女の体を駆け抜ける。いま、吹き抜けた風に音がのってきた。常人ならば分からない音。ピユラだから気づけた音だ。

(剣戟の音……それに――)

 不安を湛えた女性の声が混じっていた気がした。ピユラは拳を握り締めた。誰かを傷つける音――それが聞こえてしまったのなら、無碍にすることは出来ない。


「おい、ピユラどうした?」

 様子のおかしい彼女に気づき、問いかける声に応じきる前に、ピユラは駆け出した。

「助けに行かねばならぬ! 蒼珠! ついて参れ!」

「あ! おい!」


 駆けながら、彼女は口の中で小さく言の葉を紡いだ。それは、彼女の内にある魔力を揮るわせ、魔法を操らせる、古からの呪文。風が彼女の足元に吹き寄せる。戸惑いながらも彼女を追った蒼珠が追いつけないほどの速さで、飛ぶようにピユラは街を駆け抜けていった。

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