【 夢の途中 】
自宅のマンションまであと300メートルのところに、白瀬川という河川がある。
その堤防に車を止めた。
何となく、このまま家に帰る気になれなかった。
そして何となく車から降りて、河原に下る石段に腰を降ろした。
対岸の向こう側に、しろくまドームが見渡せる。
南洋ツインドームシティ。
今や東京ディズニーランド、大阪ユニバーサルスタジオと並び、日本三大アミューズメントパークの一つと言われている。
ドームを囲い込むように、高層ビルがひしめいている。
JR南洋駅からドームをつなぐシロクマモノレール。
世界最大級規模のアトラクションスタジアム。
銀色に輝くテーマパークドーム。
高校の頃、ここから見えたランドマークは、駅前百貨店のビルだけだった。
人口30万足らずの地方都市。
それが、10年そこそこでまったく違う街に生まれ変わった。
今では人口も50万を優に超える。
それを10年で成し遂げてしまったのが、ホワイトベアーズのオーナー秋庭聖一であり、それを陰で支えた久住恭平だと言われている。
「・・・なつかしいな」
河原で小学生が野球をしていた。
低学年だろうか、4年生の朔よりも幼い感じに見える。
野球と言っても全員で5人、リーダーらしき子が好き勝手に打ち、守備係の2人がずっと走らされている。
・・・おれもあの場所で、あいつのボールを毎日暗くなるまで受け続けた
(やっぱり秋時の構えっていいね)
(別に普通だろ)
(よくわかんないけど、投げれば投げるほどウキウキする)
(言ってる意味がよくわからん)
頼りなさそうな秋の夕日が、川面をオレンジ色に照らしている。
おれはこの川の5キロほど上流にある、南洋北高校に通っていた。
この川の堤防は野球部のランニングコースだった。
この先の海見橋で折り返して、往復15キロのコースを毎日走らされていた。
長距離走が苦手だったおれは、いつもどんどん小さくなるあいつの背中を死ぬ思いで追いかけていた。
おれは高3の夏にちょっとした暴力事件を起こしてしまった。
おれの軽はずみな行動が学校で大きな問題となった。
高野連が調査に入り、北高は夏の地区予選の出場停止処分を受ける寸前まで問題はエスカレートした。
その時おれは一度、野球を辞めた。
何もかもがどうでもよくなり、全てが面倒臭くなった。
その頃、学校をサボってここに来た事がある。
当時は石段もなく、土と草の匂いでむせ返るような土手だった。
ここに寝転んで煙草を吸っていた。
煙草を吸うことで、野球から離れる自分と折り合いをつけようとしていたのかも知れない。
初夏の陽射しが眩しかったので、掌で目を覆っていた。
いつの間にか横に菜都が座っていた。
当時、中学生だった菜都は、おもむろに草の上に置いてあったセブンスターに火をつけて勢いよく煙を吸った。
おれは最初、菜都の行動が火をつけた振りの冗談だと思っていた。
菜都は「めちゃめちゃまずい」と言って涙を流しながら盛大に咳き込んだ。
おれは慌てて菜都の背中をさすりながら、煙草を奪い取った。
死ぬほど驚いた。
菜都は背中を丸めて咳を続けながら「これは無理」と言って笑った。
その笑い顔の瞳は濡れていた。
咳が治まっても、菜都は唇を噛みしめて静かに涙を流していた。
おれは戸惑いながらいつまでも馬鹿みたいに、菜都の背中をさすっていた。
随分と長い間そうしていた。
「夢の途中」
菜都がポツリと呟いた。
涙目がおれを睨みつけていた。
おれの心の中を、菜都の無音の涙が支配していた。
煙草はあの日以来、吸っていない。
ここはおれが野球を諦める事を、諦めた場所。
あれから20年も野球を続けて来れた。
あの日、菜都がここにいてくれたから・・・
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