いつかの頁

有里 ソルト

序章

ジンジンと蝉が鳴いている。





何度目の夏が来た?

何度目の、お前の来ない夏が来た?



もう、忘れてしまったのだろうか。




あの日交わした一つの約束を。

共に過ごしたあの瞬間を。



目まぐるしく鮮やかな時間の何処かに、失くしてしまったのだろうか。





ぺらり、ぺらりと。



独りで頁をめくっても、虚しい音が響くだけ。


まったく腹立たしい、大声で名前でも呼んで驚かせてやろうか。





……あぁ、そういえば名前を知らないな。



追憶の向こうで屈託ない笑みを浮かべる、優しい花のようなお前の――いや。






「あなたの、名前は」




それはずっと言えないままの言葉。

言えなくて、色褪せてしまった言葉。




「名前は……あなたの名前は、何だ?」



蝉よりも弱い、虚しく響く細い声。

受取人のいない言葉は、頬の雫と共に開いた頁に染み込んで消えた。


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