あなた達、ヤバイよ

「こんな所で何やってんの?」


 すずりが訝しげに拓に聞いた。相変わらず、すずりからは意味不明な良い匂いがした。


「知り合いか?」


 タコが赤ら顔を向ける。


「おととい、こちらのお方に花を持っていただいて」


 すずりがタコに説明した。


「おお、そうかそうか。小野寺君、どうだったウチのエース、穂積すずりちゃんのテクニックは!」


 拓は返答に困った。

 タコ男は佐田との会話は弾んだが、拓とはほとんど口を利かなかったからだ。拓も数度殴られて以来、タコ男と会話をするのにプレッシャーを感じていて、この食事会の最中もほとんど口を開かなかったのだった。


「エース」


 嘲笑うようにジャバザハットが小声で言うのが聞こえた。拓の右隣がすずりで、その更に右隣がジャバザハットが座っているから、すずりに聞こえている筈だった。


「そんなエースだなんて。あたしなんて、まさみさんに比べれば遠く及ばないカスも同然です」


 すずりは謙遜して見せた。そこでジャバザハットは「まさみさん」という名前である事を拓達は知った。ジャバザハットの外見に比べれば、すずりは可愛らしく、フレッシュ感に溢れていたが、この二人の間には何かしらの確執がある事を伺わせた。


 佐田は内心、穏やかではない。このジャバザハットが「佐田にSMプレイを強要された」と嘘をついたせいで、朝から叩き起こされ、裸に剥かれて暴力を振るわれ、何だか分からないが、多分インターネットを使いこなしているという理由だけでこの場に生きて座っていられるのだ。


「ハハハ、すずりちゃんはとってもナイスな子だからな! 先輩をたてるのも、男のアレを立てるのも上手上手、天性のミッドフォルダー! スルーパス!! ガハハ!!」


 タコ頭が大声で笑った。周囲はそれほどウケてはいなかったが、そんな事はお構い無しだった。


「小野寺君、どうだ凄かっただろうすずりちゃんは! リピート率ナンバーワン! 間違いなく福島全体いや、東北全体の男という男の精を吸い尽くせるサキュパス! オンリー・マイ・サキュパスになれる逸材だ! な、すごかっただろ!」


「えっと、えっと」


 拓は何も言えなかった。

 すずりの全力虚しく、結局何も出来なかったと言えば、何を言われるか分からない。


「ちょっと、トイレに行きたいです」


「あ? トイレ?」


 ギロリとタコ頭が一転、拓を睨んだ。


「あの、あと、電話を……」


 突然の雲行きの悪さに拓が小声になった所で、すずりが声を被せた。


「トイレ? 初めてだから場所分かんないんですね。一緒に参りましょう」


 そうしてさっと席を立つと、拓の席を後ろに引いて、拓を立たせた。


「こちらです」


「あ、ありがとう」


「ちょっと待て!」


 タコ頭が大声を出した。


「いまお前、電話するって言わなかったか?」


 ヤバい、とすずりは内心顔を顰めた。


「こいつ、9年間引き篭もってたんですよ」


 今度は佐田が助け舟を出した。


「最近社会復帰したばかりで、親が旅行に反対してて、唯一出した条件が『毎晩実家に電話を掛けること』だったんです。あ! もうこんな時間!」


 佐田がわざとらしく腕時計のGSHOCKを目の前に上げて言った。


「便所ついでに電話してこいよ」


 拓はコクリと頷いた。


「電話で余計な事言うんじゃねーぞ! すずり、隣で見張ってろ!」


 タコ頭ががなった。


 拓とすずりが佐田の後ろを通る時、佐田は初めてすずりの顔を見て、驚いた。今まで照明が暗すぎてよく見えなかったが、すごく可愛い。というか、本当の愛瀬まみに見えた。しかし愛瀬まみは今、AVデビューし、●川恵那という名前で月に一本ペースで新作を出している売れっ子だ。こんなところにいる筈がない……が、とても良く似ている。


 拓とすずりは個室から外へ出た。


 ◆


「9年引き篭もってたって、マジか?」


 タコ男が佐田に聞き直した。


「マジのマジです。僕と一緒にアルバイトするまで、拓は家でずっと引き篭もっていて、中学も高校も、ろくに通ってはいないそうです」


「すげえな!」


 タコ男が大声を出した。


「9年間も引き篭もって、あいつは何をやってたんだ?」


 さぁ?、と佐田は肩をすくめて見せた。


「引き篭もりなんて甘えだ甘え」


 タコ男がイラついた声を上げた。


「生きるか死ぬかの経験をしてないから、鬱だとか何とか言って引き篭もるんだ。食う為に動かない動物なんて、欠陥品だ! 食わなきゃ死ぬのに、何で自らの足で立って動かねえんだ! あいつ、どっかぶっ壊れてるに違いない」


 佐田はタコ男の事を、やはり所詮タコだと値踏みした。

 インターネットの時流に乗ろうとする柔軟性は買ってもいいが、引き篭もりに対する反応がステロタイプに過ぎる。佐田は拓の事を否定されると、胸の奥が微かに震えた。あいつは良いやつだ、と佐田は思った。9年もの時間をボヤッと生きて、何も成し遂げていない俺より、むしろガッツがあるんじゃないか。


「そうですね」


 と佐田は一応調子を合わせておいた。


「ところで、まさみ」


 タコがジャバザハットに話を向けた。


「こちらの男の人、見覚えあるだろ?」


 ジャバザハットが目を凝らして、暗い照明の先にいる佐田の顔をじっと眺めた。


「あっ」


 昨日の夜、ブスだチェンジだと騒がれ、何もせず不貞寝をした客だった。あまりにも腹が立って、タコ男たちに「乱暴された、SMプレイを強要された」と嘘をついた。


「その男! 乱暴したのはその男よ!」


 ジャバザハットが立ち上がった。


「佐田先生は、そんな事はしていない、と仰っている」


 タコ頭が重々しく言った。佐田は先生呼ばわりされて驚いた。潮目が変わった?


「どっちが嘘を付いてるんだろうね?」


 目配せされた黒服が、ゆらりと立ち上がった。


 ◆


「あんた達、早く逃げた方がいいよ」


 部屋の外に出て、豪華だが暗く照明を落とされた静けさに覆われているレストランの通路を拓とすずりが歩いた。


「どうしてタコと飯食ってるか知らないけど、あいつとは関わらない方がいい。これはマジ。早く逃げな。車のキーはあるの?」


「ある」


 拓は先程黒服から手渡されたのを思い出した。


「じゃあ、あんただけでも先に逃げな。もう一人の男はあたしが何とか逃すから」


「嫌だ」


「え?」


 すずりがキョトンとした。


「佐田さんと一緒じゃないと、嫌だ」


「正気なの?」


 拓がコクリと頷いた。


「僕には免許もないから、運転できないし」


「あんたね、いい年して車の免許くらい取っておきなさいよ! せっかくのチャンスなのに……あのタコはね、頭がホントに逝かれてんのよ? 絶対に関わらない方が良い。これはマジだから。あなた達、ヤバいよ?」


「家に電話する」


 拓はすずりの忠告に耳を貸さず、フロントの脇に公衆電話に向かった。すずりは肩で大きく溜息を吐いた。それから、まぁ、別にどうでも良いんだけど、と思い直した。どうしてこんな奴に、あたしは肩入れしているのだろう?







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