そうは言っても

「顔射がしたいなら、あたしに好きなようにしていいのよ?」


「何を、どうすれば」


「ナニを、どうすればいいじゃない」


 すずりはパカっと口を開けた。


「ほほにひれひれしてひゅっひゅしてもいいひ」


 拓はすずりの綺麗な歯並びを確認して、再び目を逸らした。


「歯医者なの?」


「ちがう」


「じゃあ何なの」


「分からない」


 拓はモジモジした。帰りたい、という気持ちが強くなった。ここは、多分自分が居て良いところではない、と思った。恐らくこのすずりという女性を不快な気持ちにさせてしまうだけだ。


「あたしには顔射が分かる」


 拓の肩を両手で掴むと、すずりは拓をゆっくりと押し倒した。いい加減、煮え切らない態度にイライラしてしまったのだ。


「あなたはここで気持ちが良くなる権利がある。あたしはそのお手伝いをする。それでいい?」


 正面から見下ろされて、拓はガクガクと頷いた。


「痛かったりしたら、『やめて』って言っていい。でも、恥ずかしいってだけなら、黙って耐えて。気持ちが良かったら、『気持ちが良い』って言って。それさえ守れば、あたしが責任をもって顔射させてあげる」


 顔射させてあげるって。

 すずりは自分で言ってて吹き出しそうになった。だが真顔だ。


「わかった?」


 ガクガクと拓が頷いた。


「よおし」


 やるべき事が決まれば、すずりの手際は一流だった。


「覚悟しなさい」


 拓の上着のボタンを外していく。無駄な贅肉がついていない、しなやかな肉体だ。悪くないが、やや白過ぎる。あ、そうだ、とずずりが思い出した。


「ねえ、キスしていい?」


 拓が頷こうとした瞬間、すずりの形の良い唇が拓の上唇を既に挟んでいた。


 ◆


 しかしながら、すずりが持ち得るありとあらゆる技巧を駆使しても、拓の拓がシュヴァルツシルト半径を拡げる事はなかった。光をも飲み込むブラックホールの重力は鈍重に拓のアイデンティティにもたれ掛かり、ホワイトホールの迸りを見る事は終ぞなかった。


 素っ裸になり、ヌルヌルとローションまみれになって奮闘したスズリは、拓にありとあらゆる格好をさせ、挟んだり、転がしたり、その他ちょっと言えないような事までしてやったのだが、全ては徒労に終わった。終戦のベルが鳴り響いた時、すずりは息も絶え絶えになっていた。


「うう、ごめんね」


 すずりが謝った。

 拓は何も言わなかった。


「本当はこう、硬くなってそこからピュッピュッてするんだけど」


「何となく、分かった」


 拓に言えることはそれが全てだった。あのモザイクの下には硬く長い何かがあって、そこから小便とは違う白い粘液・白濁が本来、放出されるのだ。しかし、今の自分にはそれが出来ない。


 すずりは決して「不能」や「インポテンツ」という言葉を使わなかった。実際のところ、すずりが相手をしてきた男性という男性は、下は6歳上は100才まで、全方位隈なく快速電車を飛ばしてきたのだった。決して各駅停車や、区間快速というレベルではない。その証拠に、全ての男たちはすずりに感謝の意を表した。結婚して欲しいとまで言われた事がある。だが、ついに記録は破れた。99.999%の男しか、満足させられないという事実。


 二人は浴槽で全てを洗い流し、着替えた。


「これ、あたしの名刺」


 部屋の前で別れる時、すずりが差し出した。


「この件に関しては、あたしは結構責任を感じていない事もない。いずれまた、必ず、ここに連絡をください」


 名前と電話番号。シンプルな名刺だ。


「勘違いしないでよね、みんなに渡してる訳じゃないんだから」


 腕を組んで、ふいっと横を向いたすずりが言った。


「わかった。ありがとう」


 拓は礼を言って、待合室に戻った。階段を降りる際に振り返ると、まだすずりは腕を組んでこちらを見ていたので、軽く手を振った。すずりも胸の前で軽く手を振って部屋に戻った。


 ◆


「どういう事なんだよ」


 佐田は嘆いた。

 手には烏龍茶が入ったジョッキと、前には餃子が二人前が置いてあった。いわゆる、チェーン店の餃子屋である。


「写真は良かったんだよ写真は。ほら、内田有紀みたいなショートカットでさ、健康的な日焼けをしてて? いい身体っぽかったし。そりゃさ、手のひらで顔は隠してあるよ。ホームページは誰でもアクセス出来るから、仕事してるのバレちゃヤバイだろうからな。手のひらで顔は隠してある。常識だ。気持ちは分かる。だが俺の目はごまかせない」


 拓は時々頷きながら話を聞いていた。

 瓶のコーラを時々自分で継ぎ足しながら飲んでいる。拓は一度自動販売機でコーラを飲んで以来、コーラの虜だった。


「出て来たのは内田有紀なんてもんじゃない。ジャバ・ザ・ハット。拓知ってるか? って知らねえか。スターウォーズって映画に出てくるんだけど」


 餃子をパクつく。


「よろしくねって言われて、よろしくね、じゃねえよって言ったんだ。冗談じゃねえ、チェンジだチェンジつって。変えてくれっつって。こちとら、慈善事業で金出してんじゃないんだから。内田有紀、俺の内田有紀はどこ行ったんだって聞いたんだよ。俺が発注したのは、内田有紀似の子だったって。こういう、歩いた後にヌメヌメした粘液が糸を引きそうな生物じゃねえって言ってやったんだよ。そしたら嬢が泣き始めちゃってさ。おいおい、泣きてえのは俺だっつって。したっけ、下から黒服登場ですよ。何か御用ですかって。何か不服でも。何かうちの嬢が粗相でもって。ああ粗相だね! 存在事態が粗相なんだよ! 宇宙戦争しに来たんじゃねえんだ、チェンジだチェンジ!」


 佐田はゴクゴク勢いよく烏龍茶が入ったジョッキを飲み干した。


「と、言いてえところだが。黒服は怖い。ああいう店はな、だいたいヤーさん、いわゆるヤクザと繋がってるところがほとんどなんだ。黒服だって、嬢だって、いわゆる社会保険付き、残業代が出るような会社で働いてる訳じゃない。金を稼ぐ為に必死なんだよ。はち切れんばかりに膨らんだファンタジーを抱き、放出すべく乗り込んできた佐田君は、そうした反社会的勢力の養分な訳さ。やつらはのっぴきならねえ、ガチな血と暴力と性で金を管理する。ジャバザハットだ何だと、大声を出す奴は、指先一つでダウンだ」


「ふうむ」

 拓が微妙な相槌を打った。


「だから仕方ねえ、俺は何でもないです、はいっつって、部屋にすごすご大人しく引き下がってだな。時間まで寝てたよ。隣でジャバ・ザ・ハットがふごふご何か言ってたが、全無視だ。何なんだ一体。ぼったくりにも程がある!」


 拓が餃子をつまむ。


「拓君! 餃子は美味いか! 君の相手は、さぞかし美女であったろうな!」


 拓は首を捻って、しばらく間を起き、


「綺麗だった」


 と答えた。


「くぁーー!」


 佐田は負け犬のように吠えた。

 そうしたはしゃぐ二人の姿を、離れた別の席からじっと伺う二人がいた。

 一人は店の黒服、もう一人は背が小さい、タコのようにツルツルの頭と顔をしたヤクザだった。










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