二度目
「もしもし」
「もしもし、拓?」
姉の声だ。
公衆電話の受話器はこんなにも冷たいのに、どうして姉の声は暖かく心に染みるのだろう。
「そう」
「元気にしてる?」
「してる」
拓は夜に静まった、田園風景の風の匂いを嗅いだ。土と水、そして焚き火の後の匂いが混ざっている。電話ボックスではない。単に突っ立っている、黄色い公衆電話だ。電話機の下には劣化し、汚く宿命的にボサボサになった電話帳がこちらに断層を向けている。
「拓、外にいるの?」
「そう」
「寒いでしょ。宿には入らないの?」
「公衆電話が故障してたんだ」
拓は自分がすらっとまた嘘をついた事に驚いた。
本当は宿になど泊まらない。
今日はこれから、佐田が「良いところ」に連れて行ってくれると言う。今までの謎が全て解ける、と言っていた。拓はそれが楽しみでならない。
「ふうん、あそう。じゃあお母さんに代わるね」
「 ──もしもし」
「もしもし」
「拓、風邪ひいてない?」
「うん、大丈夫」
「何だか声が低い気がするけど」
「そうかな」
拓は低く咳払いを何度かする。
隣で佐田がうんこ座りをして、煙草を吸いながら遠くを見ている。
「きっと声変わりをしたんだ」
「何を言ってるの。とうにしてるでしょ」
「今は、大人になりかけだから」
「そうね、拓はこれからもっと大人になるんだものね」
母の嬉しそうな声が受話器越しに聞こえた。
「明日、気を付けて帰ってくるのよ」
「うん、分かった。お父さんによろしく」
「言っとくわ。おやすみ、拓」
「おやすみ、お母さん」
拓はがしゃん、と受話器を置いた。
その隣で佐田はくわえ煙草をしたまま、自分の髪の毛をガシガシと掻き回していた。会話はほぼ筒抜けである。姉と母に「おやすみ」の挨拶をした子供を、俺はこれから、ソープランドに連れて行こうとしている。
「電話、終わったよ」
拓は佐田に報告した。
「なこたあ分かってるんだよ」
つい乱暴な口調になってしまう。
「さあ行こう」
拓は乗り気だ。
さっさと自分の定位置、助手席に乗り込んでしまう。
佐田は短くなった煙草の最後をひと吸いして、地面に踏み落とした。そして腹を決めた。
すまねえな。
こういうのは早いか遅いかの違いでしかねえんだ。
そして俺なら、最高の最初を拓にプレゼンしてやれる。
史上最高の筆下ろしってやつだ。
子供と大人の境界線の向こう側へ。
軍資金はたっぷりある。
悩む事はない。
「よおし。じゃあ、行くか」
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