これから先よりここから先へ

言言玄玄

プロローグ 

 遊んでいるときに思うのは、誰よりも自分が不自由で拘束された社会で生きているというモヤモヤだった。

 あからさまに馬鹿にされているのなら、まだ諦めもついただろう。

 こんちくしょー……! と、誰もいないところで叫べばいいだけだ。誰かいれば気を遣ってしまうから、僕は、誰もいないところで一日を振り返る。

 しかし、一日は一日にして二十四時間をどうにかして扱わなければならないと、一日では到底解の出ない難問に立ち向かうことにもなるのだった。

 扱うとはなんだ。

 はて、なんだ。

 狭い公園のなかでも、なんとなく輝いていたすべり台の上で、物思いに耽った。

 一体いつからだろう、やる気がなくなったのは。

 生まれてこの方、真っ当な人生しか歩んでこなかった僕にとって、変化球は通用しない。

 高校を卒業し、地方の大学をこの間卒業し、今は新社会人として働いているのではなかったか?

 これほどまでに、空虚な経験をしたことはない。

 本当に、空っぽになってしまった気がするのだ。

 毎日毎日駅に向かい、電車で三駅の職場へ向かう後ろ姿は、四年前の僕が見たら、きっとこう言うだろう。

「だせぇ」と。

 何がださいのか知らないが、己のかっこ悪さを指摘しただろう。

 自分自身に指をさされ、ケラケラ嘲笑される様を想像するだけで、自動改札機にICをかざす僕の手が震えた。

 震える。

 凍えてもいないのに、震えた。

 打ちひしがれた。

 今日も職場に向かうのではなかったのか? そう自身に問いかけたときに目に飛び込んできたのは、前方のホームから手招きする獄卒だった。

 え? 獄卒、と僕は困惑する。

 およそ、日常会話では出てこなさそうな単語がするりと出てきたのにも驚きだが、対象の風貌がどうしようもなく異形だったのである。

 異形とは、モンスターやクリーチャを指しているのではない。

 あまりにも——美しかったのだ。

 同じ日本人に見えなくもないが、異形と称するにふさわしいほど——綺麗で、洗練されていたのだった。

 そもそも、僕はどうして獄卒を獄卒と認識できたのか。

 狂ったように一度に情報を取り込みすぎたあまり、空っぽな自分など消し飛び何かで満たされてしまった。

 空虚な心を埋めるために、地獄から閻魔大王が使者を送ってよこしたのか。それとも知らぬ間に、線路に飛び込み自殺してしまったがために発生した、死後の世界からの視点なのか。

 もう、どちらでもいい。

 どちらでもいいから、獄卒に近づきたかった。

 なんで、こんな思考になった。

 なぜ、こんなに朝ラッシュ時に情報を詰め込まなければならないのか。

 期待は不安に変わったのに、僕のなかでそれは希望にすらなりつつあった。

 もう、どうでもよかった。

 本当に、どうでもよかった。

 さっきまで新社会人としての悩みを始業までのネタにしようと、いつも通りの毎日を送ろうとしていたのにもかかわらず、コロコロと僕の気持ちは移ろいでいった。

 ああ、なんとおかしいのか。

 これはきっと、獄卒の術中に嵌まってしまっているからなのだ。

 催眠術みたいなものだろう。

 正気を保て、槍々宗二そうそうそうじ

 すでに正気ではなかったかもしれないけれど、自我を保て。

 だが自分に言い聞かせているタイミングでは、すでに瞬足にて獄卒は、僕のほうへ歩いてきていた。

 逃げられないぞ、という意味だろう。瞬足なのに、歩いてくるという表現にしたのはスローモーションのように、コマ送りのように——その所作がゆっくりに感じたからだ。

 逃げる選択肢を与えるどころか、息継ぎの暇さえも与えてはくれなかった。

 どうすればいい、と僕が歯を食いしばったところで状況が変わることはなかった。

 髪の長い黒装束の女性は、自らを獄卒と名乗りはしなかった。

「迎えに来ましたよ、宗二さん」

 ほら、やっぱりそうだ。

 僕は、地獄へ行くのだろう。

 そして僕は、気づいてしまった。

 スローモーションは僕だけに有効ではなく、周囲全てに——適応されていることに。

 有限である時間をまるで無限であるかのように、何者かの手によって消費されていく様は、世界そのものが操られているという錯覚だろうか。

 錯覚であれば。

 錯覚であれば、どれだけよかったのか。

 世界は広いが、僕の気持ちは狭いのだった。

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