u,i
大森たぬき
u,i
遠山藍にとって、友人とは信頼できる人間ではなかった。
今まで幾度となく友人ができては、そのたびにトラブルが起き、友人と決別を繰り返していた。時には、友人だと思っていたのは藍だけだったということもあった。
中学を卒業した時に藍は心に誓う。もう二度と友人は作らない。自分は一人で生きていくのだと。
高校は家から遠いところを選んだ。自分を知っている人間がいないであるところを選んだ。同じ中学から一緒の高校に来る人間はいなかったことに胸をなでおろしたのは数か月前の入学式である。
入学してからは決意のままに一人を貫いた。誰ともしゃべろうとしない姿は、クラスメイトからは奇異な目で見られはしたものの、すぐにそれは落ち着き、藍はまるでそこに存在していないかのようになり、それがクラスの平常となった。
その日は移動教室があった。藍はいつものように一人で向かうのだが、途中で筆箱を忘れたことに気づいて踵を返して教室へ戻った。
誰もいないことを確信していた藍は勢いよく扉をあけた。だがそこには、クラスメイトが一人、眠っていた。
◇
勢いよく開けすぎたのか、扉は轟音を発しながら横にスライドする。その音に驚き、飛び起きたのは、藍と同じクラスに所属する逢沢環であった。
環はあたりを見渡し、すぐに状況を理解した。藍と目が合い、バツの悪そうな顔で、にへらと笑った。
藍はお構いなしといわんばかりに自分の机へ向かう。当然のように無視する予定だった。が、誰も起こしてくれなかったや……という環のひとりごとにハッとして、つい話しかけてしまった。
「もうすぐチャイムなるよ、急がないと」
同情したのだろうか、過去の自分と重ねたのだろうか、藍は自分のポリシーを曲げることに躊躇はなかったようだった。
「走ろう!」
環の言葉がピストルの合図かのように、二人は全力で走った。
◇
昼休み、藍はいつものように一人で下を向いて弁当を食べていた。
急に物陰が迫ってきたと顔を上げると、そこには満面の笑みの環がいた。
「さっきはありがとね、遠山さん」
これ、お礼。と言って、環は紙パックのジュースを藍の机へ置いた。
「ああ、ありがとう。間に合ってよかったね」
「ほんとだよ、化学の竹山先生こわいからね。ねえ、ここでお昼一緒に食べていい?」
環の申し出に逡巡する藍だった。一人のほうがよかったが、流れを重視して申し出を受けることにした。
「これもあげる!ハンバーグ」
「どうも……」
戸惑いながらも、環の善意を受ける藍だった。今日だけだろう。今日だけだ。そう言い聞かせることで平常を保っている。
机の上には、二人分の弁当と、藍が食後に読もうと思っていた小説が置いてある。その小説に目を付けた環は、会話の糸口をみつけたと喜び、躊躇なく藍に尋ねた。
「それ小説?なに読んでるの?」
「ああ、これはね」
書店でつけてもらえるものではないブックカバーを外して見せた。
恋情弓子、藍の愛読する作家である。
「知ってる?これ」
「えっ!恋情弓子だ!」
藍は驚いた。環が急に声を荒げたからではない。恋情弓子を知っている人間に出会ったからだ。
恋情弓子とはベテランの作家ながら、その知名度は極めて低く、読んでいる人がいないどころか、インターネットでさえも出てこない。
その恋情弓子を知っている人がいた、それも同じクラスに。
「私も読んでるよ!恋情弓子!」
「へえ……そうなんだね『くじらより大きく驚いたなあ』」
「!……『ホエーーーールッッってね!』」
それは作中に出てくるセリフであった。
「すごい!恋情ファンとこんなところで出会えるなんて!」
うれしさのあまり両手を広げる環であった。
「あっ、もうチャイムなる!明日も一緒にお昼食べよう!恋情弓子についておしゃべりしたい!」
自分のポリシーなんてとっくのとうに忘れてしまったのか。
「もちろん」
という藍だった。
◇
「『明日は天気になると思うかい?』」
「『草履の神に聞いてみようぜ』」
あははは、と笑いあう藍と環。すっかり意気投合して、恋情作品で出てくるセリフを引用するという遊びにはまっていた。
昼休みに一つの机で恋情弓子トークを繰り広げる二人は、幸せというほかない表情をしていて、しゃべってもしゃべっても終わらない。話題が尽きない。なくならない。いままで一人で募らせていた恋情弓子への愛情を、ここぞとばかりに爆発させているようだった。
放課後も集まろうと言い出すまで時間はかからなかった。
ファストフード店で日が暮れるまで恋情弓子の話をした。
こんな日が、永遠に続けばいいと思っていた。永遠に、続けばいいと。
◇
それは急に訪れた。いつものように恋情作品のセリフを引用した環だったが、藍の様子がおかしい。
「『おいおい、どうした。心の中が雨模様ってか』」
いつものように、楽しく会話ができると思っていた環は、藍からの返答がないことに戸惑いを隠せず、顔がひきつっている。
無視されている。
「え?あれ?遠山さん?」
無視されることに心当たりのない環はひどく動揺している。
藍は微動だにせずただ前を向いている。異常な光景だ。
「『だったら振り向かせてやる!心のピストルでな!』」
環は顔を引きつらせながらセリフの引用をした。藍はまばたきひとつしない。
「……体調悪いのかな。またあとでね」
環は背中を丸め重そうな足取りで自分の席へと戻った。
藍は微動だにしない。何も起こらなかったかのような顔でただただ前を向いている。
藍にとってはここが最後の砦だったのかもしれない。もう友達は作らないと心に決めた藍にとって環はイレギュラーで、結果的にポリシーを折っていた自分に気づいたとき、藍は戦慄した。
このままなし崩し的に友達になったとして、と考えたとき、藍には良い想像ができなかった。
敵対か、決別か、あとはどうなるだろうか。考えれば考えるほど、藍は未来が締め付けられるような気分になった。
幸い、明日から夏休みだ。今日しかない。藍は再度心に決めた。
つらい思いをするくらいなら、私から離れてしまおう、と。
あとは時間が関係を風化してくれるだろう。それしかないと思っていた。
授業が終わると環は一目散に藍のところへ向かった。引用じゃだめだ。自分の言葉で話がしたい。絡まりそうになる足を必死で制御して環の元へ駆ける。
「遠山さん!」
声は震えていて、涙目だ。拳は固く握りすぎていて内側は爪がささっている。
「なにかわるいことしちゃったかな……?わるいこと言っちゃったかな……?」
藍は無視しきれず、環の方を向いてしまった。目があうと、藍は自己嫌悪でつぶされそうになった。
どうして私は……
「私ったらいっつもそうで……空気読めないからいっつも周りの人怒らせちゃって……移動教室の時だって誰も起こしてくれないくらいには嫌われてるみたいで……」
涙があふれて言うことを聞かない。しきりに鼻をすすっては慎重に言葉を選びながら思いを伝えようとしている。
そんな環を姿を見て藍は。
「『友達ごっこ、楽しかったよ。でもさあ、私は一人の方が向いてるからさあ』」
恋情弓子最新作からの引用。引用せずに言葉を伝えようとした環とは対照的に、藍は環を突き放す。
「『二度と会うことはないでしょう』」
そう言って藍はその場を去った。
崩れ落ちる環は、声を押し殺して泣いていた。
そのまま夏休みに入ったが、環と藍が顔を合わせることはなかった。
ほっとしているのか?元に戻っただけだから。藍はこれからもこのようにして生きていくのだろうと、まだ漠然としか想像できない未来を想像した。
◇
夏休みが終わり、新学期が始まった。藍は普通に教室に入り、普通に誰からも話しかけられなかった。
環はどうしているだろうか。環の方を見ることは無いが。
担任が教室に入り、夏休みの宿題を回収していった。それからしばらくして読書感想文が返ってきた。
「今回の読書感想文、みなさんよく書けてました。木下君のものは特に秀逸で、読み手の心情がよく伝わってきました。が、遠山さん、これはなんですか?」
思いもよらない言葉に藍は動揺した。
「恋情弓子?最愛の機械時計?こんな小説どこにもありませんよね?」
不覚だった。恋情弓子が好きすぎるあまり、読書感想文の題材に選んだが、恋情弓子はインターネットでも出てこないほどマイナー。先生は読書感想文を適当に書いたと勘違いしている。
「あなたは真面目な生徒だと思っていましたが……それは思い過ごしだったようです。読書感想文の書き直しと、反省文、三日以内にやってきてください」
藍は言葉が出ない。動揺しすぎている。目の前がぐにゃぐにゃに見えてきた。汗もひどい。あぶら汗だ。だめだ。私の大好きな恋情弓子が……
「ははははははははは!」
その笑い声にハッとした。環だ。環が大声で笑っている。
「先生、その小説ありますよ。ほらこれ、今ちょうど私も読んでる途中なんです」
「ええ?!本当ですか?!」
「この作者マイナーすぎて誰も知らないしネットでも出てこないですけどね。でも本当にある小説ですよ」
「そうなんですか?!遠山さん、すみません、勉強不足でした」
「あ……いえ……」
限りなく小さい声で、かろうじでそう答えた。
藍は環の方を向いたが、角度の問題で環は見えなかった。下を向き、深呼吸をしたが、心は平常に戻らなかった。
授業が終わると、藍は環の席へと向かった。環は定規に消しゴムを乗せて、バランスをとる遊びをしていた。
消えてしまいそうなほど小さい声で、今持っている最大限の勇気を振り絞り口を開く。
「どうして……、どうして助けてくれたの……」
環は藍の方を向いた。目が合うと、環はニコッと笑って。
「恋情弓子不朽の名作、牡丹の咲くころにから取ったんだよね。あのとき」
藍は黙って聞いている。
「あのセリフは、臆病でなかなか周りと馴染めない主人公が言ったセリフで、一見突き放したかのようなセリフだけど、実は主人公の本心とは真逆のセリフだった」
目をそらさずに。
「家に帰ってから気づいたとき私は思ったね。遠山さんとはまた仲良くできるなってね」
目をそらさずに。目をつぶらずに、手で覆わずに、あふれる涙を野放しにして、藍は環をまっすぐ見ている。
「『行間を読むことが、時に我々には必要になるのだよ』」
雲の切れ間から光がさして、教室がほんのり明るくなった。
「でしょ」
藍は謝った。何度も、何度も謝った。
いいって、いいから。わかってたから。
それはしばらく続いた。
◇
二人の未来はこれから決まるが。
「『これから先どうなるんだろうねえ』」
「『どう転んでも好転する未来しかみえないね』」
二人はそう思っているようだ。
u,i 大森たぬき @oomoritanuki
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます