第15話 嵐君、お付き合いしてください15
下の階から微かに包丁で何かを切る音が聞こえる。
そういえば、俺が作るようになってから誰かに料理してもらうことってなかったな。
風邪で寂しさを感じていたけど、誰かがこの家にいるってわかるだけでここまで安心感があるものなんだ。
「お待たせしました。調理器具を探すのに時間がかかってしまいました」
部屋を出てから二十分後、小さな鍋とお椀をお盆に乗せてやってきた風無さん。
「先ほどの様子ですと、思っていたよりも元気なようでしたので、お粥ではなくおじやにしました。お口に合えばいいのですが」
お盆を机の上に乗せると、手際よくお椀におじやをよそう。
「ありがとう」
俺はそれを受け取ろうとしたが、風無さんは眼鏡を外してお椀に入ったおじやをスプーンですくうと、そこに優しく息を吹きかける。
「あーん」
「自分で食べられるから」
「あーん」
拒否権はないんだね。
もう何度目かの「あーん」に少しだけ慣れたと思い込みながら口をあけて待つ体勢に。
薄目でこちらにスプーンが伸びてくるのを確認しながら待っていると、おじやで熱々になったスプーンが上唇に接触した。
「あっっつ!!」
「大丈夫ですか!?」
タオルを受け取り、すぐに唇に当てる。
「大丈夫。火傷にはなってないから」
「すいません、眼鏡が曇ってしまうので外したのですが、はっきりと見えなくて」
「そ、そうなんだ。それなら、自分で食べていいかな?」
「はい……」
少し残念そうにする風無さんからお椀を受け取り、おじやを一口。
うん、濃くも薄くもないちょうどいい醤油味。具もネギと玉子だけのシンプルなもの。
シンプルなものだからこそ弱っている胃でも問題なく受け付ける。
「美味しい」
「よかったです」
次々に口に運び、そしておかわりをもらう。
気がついていなかっただけで、空腹だったのか鍋に入っていたおじやを全て平らげてしまった。
「ご馳走様でした」
「綺麗に食べましたね。それでは洗ってきますね」
お盆を下げて再び下の階に降りていった。
少しだけお腹周りに苦しさを感じ、楽な体勢になろうと寝転がる。
おじやを食べたことで体が熱くなり、ほんのりと汗をかいていた。
寝ている間もかいていただろうし、汗を拭いて新しい服に変えたいけど……風無さんが帰ってからでいいか。
それにしてもまさか風無さんがあんなことを言うとは。
高森には悪いことをしてしまっている気がしてしまい、なんとも言えない感情が俺の中で回っている。
他人からしてみれば、今の俺は棚からぼた餅状態と言いたくなるだろう。
でも風無さんが俺へに向ける好意が間違いないものだと分かっても、関係を進めるわけでもない。
結局のところ、少しだけ気持ちが楽になっただけで現状維持なわけだ。
「難しい顔をしていますが、何か考え事ですか?」
いつのまにか片付けを終えた風無さんが戻ってきていた。
「いや別に。それよりおじやありがとう。美味しかったよ」
「嵐君に喜んでいただけてよかったです。残してしまうと思っていたのですが、まさか全部食べてしまうとは」
「美味しいおじやだったからついね。それと後片付けまでしてもらってごめんね」
「いいんです。看病しにきたんですから」
「でもまさか同級生の女の子に看病されるとは夢にも思わなかったよ」
「親友なのですから当然です」
「あ、あはは。それまだ続いてたんだ。ところで風無さん」
「なんでしょうか?」
「その手に持っているものは何?」
と、ようやく気になっていたことに触れてみると、風無さんはキョトンとしている。
「嵐君の家ものなのに知らないのですか?」
「うん知ってるよ。よく使うから。でもそういうことじゃなくてね。なんで桶がここにあるの?」
風無さんの手には我が家の風呂桶が。
おまけに湯気が立ち上っている。
「決まっているじゃないですか」
桶の底に沈んでいた手ぬぐいを引き上げ、しっかりと絞る風無さん。
「さ、服を脱いでください」
「脱がないよ!」
「なぜです」
「恥ずかしいから!」
「恥ずかしがることはありません。親友なんですから」
「異性の前で脱ぐわけないでしょ! 風無さんだって恥ずかしいでしょ?」
「嵐君なら恥ずかしくありません」
言い切っちゃったよ!
「とにかく嫌だから!」
「汗をかいたままでは風邪が悪化してしまいます。ですので、私に任せてください。愛読本でやり方は知っていますので。上から下まで責任を持って全て拭きますから」
「下にまで責任を持たなくていいよ!」
風無さんの手が俺の服にかかる。
俺は抵抗するが、服を脱がそうとしてくる。
「大人しくしててください。痛くはしませんから」
「そういうことじゃなくて━━あっ」
「え?」
押しのけようとして過剰に力が入ってしまい、勢い余って風無さん諸共ベットから落っこちてしまった。
「いてて……あ、風無さん大丈夫!?」
「ええ、大丈夫、です」
無事なようで安心……と言いたいところなんだけど、今の体勢は非常にまずい。
抵抗するときに風無さんの腕を掴んでいた。
そしてそのままの形でベットから落っこちてしまい、まるで俺が風無さんを押し倒す形になっている。
幸いなことはここが自室で、誤解を生むような人がいない。
「陽太! 今すごい音がしたけど何が━━」
と思ってたのに。
最悪のタイミングで美月さんが帰ってきてしまった。
「……陽太、あんた」
青筋立てた美月さんの背後に般若のお面が見えたところで、すぐに誤解を解こうとするが、
「美月さん、これは━━」
「何してんの!」
胸ぐらを掴んで風無さんから引き剥がすと、大きく前後に揺らされる。
「陽太はそんなことする子じゃないと信じてたのに! 無理矢理女の子をつれて襲おうとするなんて!」
「誤解だよ! この人は俺を看病しにきてくれただけで」
「まともに女の子に話しかけてもらえない陽太に、こんな綺麗な人が看病しにくるわけないでしょ!」
ひどい言われようだけど、今までの女子とのやり取りを振り返ると言い返せない。
「あの」
置いてきぼりをくらっていた風無さんが、俺と美月さんのやり取りに割って入ってきた。
「ごめんなさい。この子見た目はこんな不良みたいな見た目してるけどとても優しい子なの」
「ええ、それは十分承知してます。嵐君以上に優しい方は知りません」
「きっと今回は運悪くストレスとか色々と溜まってたみたいで。こんなことするはず━━へっ?」
どいうことか聞きたげに俺を見るけど、さっきので頭がクラクラとしている。
説明は風無さんに任せて、俺は布団に潜った。
「私、嵐君と同じ学校に通っています、風無純花と言います」
「あ、嵐美月です」
「はじめまして。それにしても驚きました。嵐君のお義母様がこんなにもお若い方なんて」
なんか今違和感のある言い方があったような。
「若くて綺麗だなんて!」
綺麗とは言ってないよ。
「でも残念ながら私は陽太の叔母なの。陽太の両親は海外にいるのよ」
「そうだったんですか」
「そんなことよりも! まさか陽太の知り合いにこんにも綺麗な子がいるなんて」
「そんな、私なんて」
「謙遜しないで。あ、さっき迷惑かけたからお詫びをしなくちゃ」
俺へのお詫びはないんですかね。
「そうだ! 今からケーキ買ってきてあげる!」
「いえ、そこまでしていただくても」
「でも、何かお詫びしなくちゃ気が済まないわ」
「……なら私ほしいものがあるんです」
その瞬間、俺の中の危険レーダーが何かを検知した。
「なになに? お姉さんに言ってごらん」
俺は静かに布団で外部とシャットアウトする。
「嵐君をいただいてもよろしいでしょうか?」
数秒の間だったと思うけど、それ以上に長く感じられる静寂の時間が流れた。
「ん? 陽太を? なんで??」
急に甥をくださいと言われて美月さんも状況が掴めないようだ。
「嵐君以外の方にこのことを口にするのは少しお恥ずかしいですが、私は嵐君のことが異性として好意を抱いています。できればお付き合いを。願わくば、その先の関係になりたいと思っています」
早く意識を手放すんだ俺。
今いい感じに体調が悪いし、満腹で眠気に襲われてるぞ。
「そっかー……純花ちゃん。呼びに来るまでちょーっと一階で待っててくれるかしら」
「構いませんよ」
ガチャッと扉が開く音が聞こえると再び静寂が訪れる。
「……陽太」
お、いい感じ。
ちょうど夢と現実の間にあるような変な思考になってる。
これなら眠れ━━
「起きろ」
暗闇の中で俺の胸ぐらが捕らえられると、そのまま布団の中から引きずり出される。
「美月さん、俺病人なんですけど」
「話を聞いた後でちゃんと病人として優しく扱ってあるげる」
できれば今からでお願いしたいな。
「んで、これはどういうこと」
「どうとは?」
「なんであんな綺麗な子が陽太に惚れてるのよ!」
「それは……なりゆきで?」
「なりゆきって……一応聞くけど、騙されてるとかイタズラとか罰ゲームとかじゃないでしょうね」
叔母として一応甥の俺を心配してくれているのか、そんな質問をしてくる。
「風無さんはそんなことする人じゃないよ。真面目だし、風紀委員もやってるし」
「風紀委員って、真っ先に目の敵にされそうな相手じゃない。余計惚れてることが謎なんだけど」
それは風無さんに言ってほしい。
「でも、初対面の保護者に『彼をください』なんて。見かけによらず、大胆な子ね」
「まぁ、そうだね」
「それで、なんで付き合ってないの? 悪いところなんてなさそうだけど」
覚悟はしていたけど、やっぱりそのことに触れるよね。
「まともに会話したのなんて最近のことだし、俺が風無さんのこと全然知らないのに付き合うことなんてできないよ」
「陽太って、見た目とは裏腹にその辺真面目よね。まぁ、陽太の気持ちは分かった」
そう言って俺を離すと、美月さんは部屋を出ていった。
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