第14話 嵐君、お付き合いしてください14

 午後の授業は上の空。帰ってからの家事にも身が入らない。

 美月さんも俺の異変に気がつくが、俺は「大丈夫」と連呼し、足早に部屋に戻ってベッドで眠った。

 そして今朝のことだ。

 ベッドから起き上がろうとしたが、体がまったく動かない。

 加えて妙に寒気を感じる。

 まさか金縛りでもあったのでは。と、正常な判断ができていないところで風邪を引いたと確信した。 


「あちゃー、これは完全に風邪だな」


 体温計の数値を確認してから俺に見せる。三十七度四分と表示されていた。


「早く会社に連絡しないと。休めるかしら」

「ゴホッ! い、いいって、一人で大丈━━ゲホッ! ゴホッ!」

「でも……」

「本当にヤバくなったらゲホッ! ちゃんと連絡するから」

「……絶対よ」


 まだ不安が残っているようだけど、俺の言葉を信じ、市販の薬と飲料水を置いて美月さんは出社した。

 一人ぼっちとなった部屋に、外で無邪気にはしゃぎながら登校する小学生の声が響く。

 心の中で「元気だなー」と思い、今の自分と比較する。

 少しも動きたくないほどだるいし、喉も少しだけ痛い。

 昨日雨に打たれたのがまずかったようだ。

 でもそれだけで風邪を引くのだろうか?

 きっと、少しだけ精神的に弱っていたからかもしれない。

 病は気からとよく聞くし。


「……あ、薬飲まなきゃ」


 美月さんが置いてくれた薬に手を伸ばし、用法・用量をきっちり守って飲用。

 再び布団の中に潜った。

 今頃みんなは授業の真っ最中なんだろうな。

 治って登校した日にはまた変な噂が流れてるんだろうな。

 ……風無さんは今、どうしているんだろう。

 風無さんに叩かれた頬の痛みはとっくにどこかに飛んでいってしまったけど、叩かれた衝撃は心の奥深くまで届いていた。

 罪悪感がないとは言わない。でも、正しいことをしたと思っている。

 そのはず、だよね?

 自分のしたことに疑問を持つと同時に、薬が効いてきたのか瞼が重くなっていく。

 そして俺はまた出会うことになる。小さな風無さんに。


『うっ、ぐすっ、うえーん!』


 またあの神社だ。そして前回と同様に風無さんがいる。

 でも前回と違い、一人で泣いている風無さん。

 周りにはあの時の不審な男性も、高森の姿もない。

 そして俺の体は当時と同じぐらいまで縮んでいる。


『うわーん!』


 泣き続ける風無さん。

 いたたまれなくなった俺は隠れていた木から離れ、風無さんのもとに。


『大丈夫?』


 風無さんは喋ろうとして涙を必死に堪える。


『ひぐっ……一人、怖いよ』


 怯えている風無さん。

 あの時守れなかった自分が悔しい。

 せめて夢の中だけでも風無さんの力になれるのであれば。

 そう思い、俺は風無さんの手を握った。


『俺が一緒にいてあげる』

『……本当?』


 ようやく泣き止んでくれた風無さんに向かって、精一杯の笑顔で大きく頷く。


『うん!』


 太陽のような笑顔と共に風景が眩しいほどに輝き出す。

 そして次に瞼を上げた時には見慣れた天井が。

 おもむろに手を握っては開きを繰り返す。

 風無さんの手の感触も温もりも感じられない。

 夢から現実に引き戻されたようだ。

 窓に目をやる。

 快晴だった青い空は、いつのまにか茜色に染まっていた。

 スマホで時間を確認するともう十六時を過ぎていた。

 ゆっくりと体を起こしてみる。

 薬のおかげで楽にはなったが、まだ一人で歩くには少し危うい。

 もう一度寝たほうが良さそうだ。

 布団をかぶるが眠れない。

 しかも妙に、寂しい。

 これも風邪のせいか。

 そんなことを考えていると、インターホンが予期せぬ来客を知らせる。


「誰だ?」


 配達を頼んだ覚えもないし。

 それともセールス?

 まさかのお見舞いか?


「そんなわけないか」


 この時間は部活の時間だから九十九は来ないだろう。

 漆葉の可能性もあるけど、漆葉が帰る道からは離れてるし。

 そして俺の家を知ってるのはこの二人だけ。つまり他の誰かが見舞いに来る可能性なんてない!

 と、自信を持っている自分が悲しい。

 ベッドから立ち上がり、壁伝いで玄関に向かうと、再びインターホンがなる。


「今、出ます!」


 扉をあげる。


「どちら様ですか?」

「私です」


 熱のせいで頭が少しボーッとするし、視界もあまりはっきりとしていない。

 ジーっと見ていると、視界はやがてはっきりとしたものになった。

 そこにいたのは……


「風、な、しさん」

「九十九君達からお話を聞きました。風邪を引いたと」

「そ、そうだけど、どうし━━」


 スッと一瞬足から力が抜け、前のめりで倒れそうになると、風無さんが俺を受け止めた。


「すいません。まさかお一人だとは思っていなかったので。すぐ横になりましょう。嵐君の部屋はどこですか?」

「え、えっと、二階の一番手前の、部屋」


 風無さんに支えられながら自分の部屋に戻り、ベッドに身を預ける。


「ありがとう。よく俺の家がわかったね」

「九十九君達から聞きましたので」


 ……会話が止まった。

 それに昨日のことでギクシャクしてるし、気まずい。


「「あのっ」」


 風無さんと声が重なり、さらに気まずくなる 。


「風無さんからどうぞ」

「いえ、嵐君から」

「いや風無さんから」

「嵐君から」


 お互い譲り合いを繰り返す姿に思わず吹き出した。

 一方の風無さんは不思議そうにしている。


「何がおかしいんですか」

「いや、別に」


 少しだけ気持ちが楽になった俺は意を決する。


「じゃあ、俺から話すね」


 体を起こし、頭を下げた。


「昨日はごめん。急にあんなこと言って」


 謝罪されるとは思っていなかったのか、風無さんの返事がワンテンポ遅れる。


「気にしないでください。私も反省してます。それに、そのせいで嵐君は風邪を引いてしまって」

「それは違うよ。これは俺が雨に打たれたのが悪いから」

「ですが」

「それに元を辿れば俺がちゃんと話さなかったのが悪いんだから」

「……もしかして、あの日様子がおかしかったのと何か関係があるのですか?」

「……本当はもっと早く言うべきだったんだけど」


 風無さんに尋ねられた俺は覚悟を決め、風無さんの目から視線を離さない。


「風無さん。昔、俺が風無さんを助けたって言ってたけど、それは違う。俺もはっきりと思い出したんだ。あの日のことを。俺は風無さんを助けてない。風無さんを守ったのは高森だ。俺はただ、見ていただけなんだ。だから、風無さんが本来好意を向ける相手は、俺なんかじゃなくて、高森なんだ」


 伝えたいことは全部伝えた。

 どんな反応をするか、怖くて目を背けたくなるけど、俺はまっすぐと風無さんを捉える。

 すると、風無さんは一度瞼を瞑って一呼吸。

 そして瞼をあげ、変わらぬ表情で口を開く。


「それがどうかしましたか?」


 まさかの返答に目を白黒させる。


「どうかしたって……えっ? だって、助けたの俺じゃないし、俺に好意を向ける理由なんて……」

「仮にそれが本当だとしましょう。それでも、今の私は今の嵐君が好きなんです。逆に、私を助けてくれた誠司君は今はとても苦手です。できればもう顔を合わせたくないくらいに」


 まさかの苦手発言に驚きを隠せない。


「に、苦手?」

「ええ、彼が助けてくれた人だとしても私の気持ちが傾くことはありませんからご安心を。私の心は嵐君だけのものです」


 と言って真っ直ぐ俺を見る風無さんの想いが重いよ。


「さて、これで嵐君の悩みは解消されましたね?」

「え? いや、その……まぁ」

「では、予定通り嵐君の看病に取りかかるとします」

「ん? 看病?」


 俺が理解できないうちに風無さんの手が髪を避けて額に滑り込む。

 ひんやりとして気持ちいいが、現状に頭が追いつくと、体温の上昇を抑えられない。


「やはり熱はあるようですね」

「な、ななっ……!」


 手が離れてから慌てて飛び起きて壁に背をつける。


「何してるの!?」

「熱を測っただけです」

「それならちゃんと測ってほしいよ!」

「……たしかに、手では不確かでしたね」


 と言いながら今度は俺の頭をガッチリと両手で掴む。

 一体今度は何をされるんだ。


「やはり、おでことおでこが一番ですね」

「体温計! ほらそこの机の上に置いてあるから!」

「体温計? はて、机の上にはそのようなものは見当たりませんが」

「そんなはずは━━」


 たしかに机の上にあったはずの体温計は忽然と消えていた。

 おかしい。一階に降りる前にはあったはず。

 どこに消え━━あれ? 風無さんのポケットから見覚えのあるプラスチック製の白くて長細いものが。


「どこにもありませんね。仕方ないことですから大人しく━━」

「体温計持ってるよね風無さん」

「……なんのことだかさっぱり」

「ポケットからはみ出てるよ」

「これはあれです。少し前から増えてる電子タバコです」

「その嘘のつき方は風紀委員としてどうなの!?」

「とにかく。体温計がありませんので、おでことおでこをくっつけて判断します。これは飽くまで医療行為のようなものですから。万が一唇が当たってしまっても、それは不可抗力ですので」

「……風無さん。ねぇ風無さん。おでこよりも唇が先行してるよ風無さん! あっ、俺お腹空いちゃったな! 風無さんが作るお粥が食べたいな!」


 俺の発言のすぐに風無さんは手から力を抜き、立ち上がった。


「そこまで言われたら仕方がありませんね。すぐに作りますから待っててください。台所お借りしますね」


 部屋を出ていく風無さん。

 階段を降りる足音が聞こえたところで胸をなでおろした。

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