風無さん! 風紀を乱してますよ!
恵
嵐君、お付き合いしてください
第1話 嵐君、お付き合いしてください1
「
風におさげをなびかせ、黒縁眼鏡の奥から覗く大きな瞳で真っ直ぐ俺を見つめている。
少しきつい顔ではあるが美人で年上の雰囲気を漂わせながら、いつも真面目に風紀委員を務める彼女。
よく身だしなみなどで注意を受けていたが、まともに会話した記憶はない。だから彼女のことについては人から聞いた評判しか知らない。
だから……
「お付き合いしてくれたら私の体を好きに使っていいですから」
彼女の考えていることが一切分かりません。
まずどうやってこんな状況になったのかを説明する必要があるな。
時は今朝まで遡る。
窓から入る太陽の光がまだ眠る俺に朝が来たことを告げる。
眩しさにたまらず起床すると、窓の外から小鳥のさえずりが聞こえた。
スマホの時間を確認し、制服に着替えて一階へ。
歯を磨き、顔を洗ってからリビングに向かい、エプロンをしてから二人分の朝食の支度を始める。
家には両親はいない。死んだとかそんな暗い話ではなく、原因は一年前に父が転勤を言い渡されたからだ。
転勤自体は小さい頃から経験していたことで何度も転校を繰り返していた俺。そのため今更転勤には驚かなかった。
違ったといえば、今度は海外ということだ。
日本を離れるつもりがなかった俺は日本に残ることを両親に告げ、日本に残った。
最初は反対されたが、なんとか説得して俺だけは日本に残ることに。
母は父が心配だからとついていき、俺は小さい頃に住んでいたこの家に住むことになった。
ただし条件が。
一つ目に赤点を取らないこと。取ったら父さん達と一緒に海外で住む。
二つ目に生活費は一定額仕送りするが、足りない分やお小遣いはアルバイトで稼ぐこと。
今のところ成績に問題ないがテストが近づくとヒヤヒヤする。
お小遣いに関してもちゃんとアルバイトを見つけて、なんとかやっていけているし、なんの問題はない。
いや、問題がひとつあった。それは……
「あーっ……
母さんと歳が離れた妹である美月みつきさんと過ごしていることだ。
「美月さん。また二日酔い? 仕事はいいの?」
「いいのいいの。今日は有給でお休みなの」
「だからって昨日は飲み過だよ。はい、味噌汁」
「ありがと」
いただきますも言わずに味噌汁に口をつける。
「うん。いつも思うけど陽太ひなたは料理上手よね」
「母さんは料理得意な方じゃなかったからね。手伝ってるうちに色々作れるようになった」
「そう言えば姉さん、目玉焼きを作るのも危うい時あるわね」
他人事のように言っている美月さんも母さんといい勝負してるよ。
「何か言いたいことでも?」
「いいえ何も」
席について朝食をいただく。
「本当に美味しい。美味しいのに、なんで彼女がいないんだろうねぇ」
朝から耳の痛い話をしてくれる。
「俺だって作りたいとは思うけど、中々」
「理想高いんじゃないの?」
「そんなことないよ。俺にも話しかけてくれて、それなりに仲が深まった人なら」
「あー、理想高すぎ。目つき悪くて誰も近寄らない。目を合わせた瞬間すぐに逃げない子ぐらいで探しな」
甥に対してさらっと酷いことを言うな。
でも実際幼い頃からこの目つきのせいで女子からは敬遠されている。
怒っているのかと勘違いされ、人によっては泣かれてしまうこともあった。
中学の時はたまに不良から睨んでいると勘違いされ追い回されたりもした。
そんなせいで俺を怖がって近づかない女子生徒は多い。
「ごちそうさまでした」
使った食器を流しに持っていき、すぐに洗い物を始める。
「私がやっておくのに」
「美月さんのその言葉に何度裏切られたと思ってるの」
「両手じゃ数え切れないなー」
悪気もなくケタケタと笑っている。
この家の家事は基本的に俺がしており、美月さんはたまに手伝うくらいしかしない。
そもそも美月さんは家事が苦手で、やらせたら作業が倍になって俺に回ってくるので、できる限りやらせないようにしていた。
さらに美月さんは酒癖が悪く、酔った日には執拗に絡んでくるので正直うっとうしい。
一応保護者が必要ということで、現在この家の主である美月さんと生活することになっているが、これではどちらが保護者なのか。
思わずため息が漏れる。
「なんだなんだ。若いもんが朝からため息なんて。幸せが逃げるぞー」
「余計なお世話だよ。あと、食べ終わったらちゃんと洗っておいて。この前みたいに皿割らないでよ」
洗い物が終わり、鞄を持って玄関へ。
「へいへーい。いってらっしゃーい」
本当に分かっているのか不安だ。
しかしもう時間もないので、美月さんを信じて学校に向かう。
外に出れば桜が風にのり、地面には桃色のまだら模様が浮かび上がっている。
高校生になって二度目の春。時間が過ぎるのは早いな。
「お、嵐」
物思いにふけながら登校していると、浅黒い短髪の男子生徒と鉢合わせる。
一瞬誰かと思ったが、友人の九十九つくも大雅たいがだった。
目つきのせいで近寄ってこないクラスメイト達とは違い、気にせず俺と話してくれる数少ない友人。
陸上部でも指折りの実力者のはずなんだけど、陸上部なのになんでこの時間にいるんだ。
「朝練はどうしたんだよ」
「ん? 寝坊したからそのまま二度寝した」
これは後で顧問から雷が落ちるな。
「それにしても機嫌悪そうだな。寝不足か? 目つき悪いぞ。あ、元々か」
「うるせぇ!」
と怒っているように振る舞うが、実際はさほど怒ってはいない。
いつものじゃれあいみたいなもので、数少ない友人の大雅とだからできるやり取りだ。
「そうだ嵐。前回出された数学の課題やってきたか?」
「やってきたけど」
「学校ついたら見せてくれて!」
「絶対嫌だ」
バッサリと九十九の頼みを断る。
「なんでだ!?」
「こっちは必死に考えて終わらせてきたのに、楽して終わろうとするのが気にくわない」
「頼むよー! 何か奢るからさ」
「……売店のクリームパン買ってくれるなら」
「よし! 契約成立!」
そんなこんなで校門の前。
同じ紅葉高校の生徒達が次々に門をくぐっている。
「じゃあ次回の課題の予約も」
「少しは自分で解くことしろよな」
「そこの男子生徒。止まってください」
校門を通り過ぎようとした瞬間、女子生徒に呼び止められる。
振り向いて声の主を確認した。
黒髪のおさげに、黒縁眼鏡の奥には鋭く大きな目。
少しきつめの美人な顔立ちではあるが、愛想のない無表情で俺をジッと見つめている。
ようやく呼び止めた人が誰なのか判明すると、自然と顔を引きつらせた。
「か、
スタスタと真っ直ぐに俺に近寄ってくる風無純花すみかさん。
俺と同じ二年で、風紀委員を務めている。
仕事っぷりは風紀委員会でトップクラスとか。
でも正直俺はこの人が少し苦手だ。
この人が校門でチェックをしている時は決まって俺は呼び止められているからだ。
「嵐君。またあなたですか」
「こ、今度は何?」
また何か服装の指摘をされるのであろうと覚悟していると、風無さんはビシッと人差し指で俺の首元を指差した。
「ネクタイが少し緩んでいます。指導しますのでこちらに来てください」
「えぇー! たったそれだけ!?」
「それだけとはなんですか。風紀を乱さないためにも小さなことでもキッチリするのが大事なんです」
少なくとも隣の九十九よりはキッチリしてるよね。
「それなら俺よりも九十九の方が━━」
「言い訳は結構です。さ、早くこちらに」
ガシッと腕を掴まれ、校門の脇に連れていかれそうになり、急いで九十九に救援を要請する。
「九十九!」
「……しょうがないな」
さすが九十九! 俺の数少ない友人だけのことはある。
なんやかんやで助けに来てくれるんだな。
「嵐、鞄借せ」
言われた通りに鞄を渡す。
さぁ九十九。助けてくれ。
目で訴えていると、九十九はにっこりと笑った。
「安心しろ。荷物は教室に置いといてやるからゆっくりしてこい。ノートは終わったらちゃんと戻しておくから」
「つくもぉ! 裏切ったなぁ!」
ズルズルと引きづられる俺に大きく手を振り、軽い足取りで九十九は昇降口に消えていく。
俺達の友情はこの程度だったのか。
「さて、嵐君。何度も話していますが風紀委員の私は風紀を乱している人を見逃すわけにはいきません」
「だったら九十九も━━」
「今話をしているのは私ですよ」
反論しちゃダメなんですね。分かったよ。大人しく聞き入れるよ。
「いいですか。今度はちゃんとした服装で登校するようにしてください。そうすれば私がこんなことしなくても済みますから」
そう言いながら風無さんの真っ白で綺麗な手が俺の首元に触れようとした。
「なっ!?」
咄嗟に後ろに退き、触れそうだった風無さんの手は空を掴む。
「どういうことですか嵐君」
「それはこっちの台詞だよ」
「私はただネクタイを正してあげようとしたまでです」
「子供じゃないんだから、これぐらい自分で直せるよ」
ネクタイに手をかけようとしたが、寸でのところで風無さんが腕を掴み、ネクタイを正すのを妨害してくる。
直そうとしているのになんで邪魔されるの!?
「風無さん?」
「私が直しますからそのままでいてください」
「さっきも言ったけど、これぐらい自分で直せるから」
「鏡がないのにどうやって確認するんですか」
「だったらトイレの鏡で」
「直すとは思えません。ここで今すぐ直してください」
なんで引き下がってくれないのかな。
でもこれ以上粘られたら鐘が鳴ってしまう。
仕方ない。ここは俺が引き下がるしか。
「分かったよ」
渋々降参の意を込めて両手を上げる。
「それでいいんです」
されるがままに風無さんにネクタイを締め直された。
女子にこうやって面倒見られるのは恥ずかしいな。
「これでいいです」
すぐに終わってくれたのはありがたいけど、正された感じはしないな。
「ありがとう風無さん」
一応お礼を言って昇降口へ行こうとしたが、
「待ってください嵐君」
再び風無さんの腕が俺を捕まえる。
「髪の毛が跳ねているので、私が直してあげます」
今朝見たときは跳ねてなかったはずなのにな。
「それぐらいいいよ。鐘も鳴っちゃうし」
「ダメです。紅葉高校の生徒がそんな姿を晒すなんて、とても恥ずかしいことです。本校の名前に傷がつきます」
それはさすがに言い過ぎでは。
「ほら、じっとしてください」
もう風無さんの気がすむまで好きにやらせよう。
風無さんの指が髪の毛に触れた。
くしのように何度も髪に手を通し、整えてくれているのが感触で伝わってくる。
店で髪を切ってもらう時も思うけど、他人にしてもらうのってなんでここまで気持ちいいんだろう。
「直りました」
若干名残惜しさもあったけど、これでようやく──
「あら、目やにが付いていますね」
「え? 本当?」
今朝顔を洗ったはずなんだけど。
確認するため顔に手を伸ばすが、また風無さんの腕が進行を妨害した。
「風無さ──」
「私が取ってあげます」
風無さんはスッと空いているもう片方の手を俺の目もとに伸ばす。
それを今度は俺の腕が阻止する。
「何をするんですか」
「いやいやいやいや! これは自分でやるから!」
「鏡がないのにどうやって確認するんですか」
「だったらトイレの鏡で」
「取れるとは思えません。ここで今すぐ取ってください」
あれ、なんか数分前にも同じ会話をしたような?
「わか──」
「それでいいんです」
まだ返事をしていないのに勝手にさっきのやり取りの再現をするように手を触れる風無さん。
もうされてしまったのだから流れに任せようと、目を瞑っていると美月さんとの会話が脳裏をよぎる。
そういえば、風無さんって俺を怖がらずに接してくれるな。
いや、違うな。風紀委員として業務をまっとうしてるだけだ。
それに彼女とはこうして注意されているときしか話したことがない。
「はい、終わりましたよ」
「もういい?」
「はい。もう指導するところはありません。行って結構です」
ようやく解放された。
もう登校してくる生徒はほとんどおらず、時間をギリギリだ。
急いで昇降口に。
靴を履き替えている最中、また美月さんの言葉が思い浮かんだ。
「彼女ほしいな」
「何か言いましたか?」
背後から風無さんに声をかけられ、勢いよく振り返る。
「風無さん!? なんでここに!?」
「なぜって、もう時間ですから教室に戻るんです」
「あ、そうか」
「それで、先ほど深い溜息を吐いて何か喋っていたようですが」
恥かしいことに心の声が漏れていたらしい。
「なんでもない! なんでも! あははっ!」
笑ってごまかして脱兎のごとくその場から離れ、二階へと駆け上がって教室に入る。
俺が入ってきた瞬間、奇妙なものを見る目でクラスメイト達に迎えられた。
いつものことだし気にせず自分の席へ。
「おっ、やっと終わったか」
前の席に座る九十九は悪びれた様子もなくへらへらと笑って座っていた。
「よくも置きざりにしてくれたな。絶対ゆるさな──」
「イチゴミルクも追加するから」
「次は気を付けてくれよ」
怒気よりも欲望に忠実な俺は熱い手の平返しで許したのだった。
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