お留守番をする子猫と少女の話。

 お留守番をする子猫と少女の話。


 ほとんど真樹さんと薮井院長に任せきりでずっと立っていた動物病院から離れてしばらくして、真樹さんのスマートフォンが鳴り出しました。

 鳴り出した着信メロディは威風堂々。

 突然鳴り出したそれにわたしと抱いていたプラタはビクッとします。……威風堂々は威厳がある曲ですが、突然鳴り出すと驚きますね。

 そう思っていると真樹さんは凄く嫌そうな顔をしながらスマートフォンを取り出します。

「このメロディ……くそ、祖父さんかよ」

「お爺様ですか?」

「ああ、っと……ちょっとこっちで待ってくれないか?」

「はい、わかりました」

 真樹さんの言葉に頷き、プラタを抱きしめつつ道路の脇の方へと移動します。

 民家の壁際まで行き、真樹さんはスマートフォンの通話を開始して話しかけました。

「はい、もしもし。……久しぶりです。はい、はい――ってなんでそれをっ!? ああ、大家の婆さんか。いや、それは申し訳ないから! そこまでされる筋合いは……ああ、はい、はい。わかりました」

 こそこそと話しているからか、通話の向こうの会話は聞こえません。いえ、聞こえていても気にしてはいけませんよね?

 そう思いながら待っていると真樹さんは通話を終了し、スマートフォンをポケットに入れるとこちらを向きました。

「悪い、化さん。大家の婆さんから色々と聞いたらしくって、祖父さんがプラタのお節介を焼かせろと言ってきたから……ちょっと使いの人と会ってくるから、その間は大家の婆さんの世話になってもらえるように言ってくる」

「は、はい……(使い?)」

 真樹さんの言葉に若干の疑問を抱きましたが、わたしはそう頷くと急いでアパートへと移動しました。

 ですが、部屋には向かわず大家のお婆さんの家のインターフォンを真樹さんは押します。

 ――ピンポーン。

 家の中へと響くチャイムの音がしてから少しして、インターフォンのスピーカーから大家のお婆さんの声がしました。

『誰じゃ?』

「婆さん。俺、真樹だけど、ちょっと良いか? というか、用件は分かってるだろ?」

『……すぐに玄関に行くから待っておれ』

 そう言うと通話は切れ、少しして玄関の扉が開かれて大家のお婆さんが姿を現しました。

 お婆さんの表情は何処か申し訳なさそうというか、気まずそう……といった風に見えますね。

 そう思っていると真樹さんが口を開きました。

「そっちのした連絡で……ちょっと祖父さんの使いの人に会ってくることになったから、化さんのことを頼めないか? 多分広い駐車場の方で話をするだろうし、すぐ終わるだろうけど」

「わかった。面倒を見よう。……すまんな、ひとり暮らしと言っても一応は間違いが起きると不味いから、報告の義務というものがあるからのう」

「気にすんな。まあ、化さんを預かってくれた礼にハンバーガーでも買ってきてやるよ」

 申し訳なさそうにする大家のお婆さんへと真樹さんはそう言いますが、お爺様と会うだけだと思われるのに……色々と大変そうな話ですね。

 ……真樹さんのことはまだ知りませんけど、もしかして真樹さんのお爺様は名立たる方なのでしょうか? ですが、名前を聞いてもきっとわたしには分かりませんよね。

「だったらテリヤキバーガーのセットで頼んだぞ」

「……わ、わかったよ。化さん、それじゃあちょっと行ってくる! 早めには戻ってくるつもりだけど、プラタのこと頼んだ!」

「は、はい! その、真樹さん。い、いってらっしゃい」

「――――いってきます!」

 お婆さんの言葉に苦笑しつつ、真樹さんはわたしにそう言ったのでわたしは見送ります。

 すると真樹さんは目を見開いたけれど、すぐに軽く微笑みを向けながら手を振って走り出し、この場から離れていきました。

「さてと、お嬢ちゃん。中に入ってゆっくり茶でも飲もうか。それと手に持ってるのは……燻煙剤だね?」

「は、はい。やぶい動物病院に行ったらこれを貰って……」

「なるほど。それじゃあ、平日のお嬢ちゃん達が学校に行ってる間に使えるように言っておいてやるよ」

「あ……、ありがとうございます。お婆さん」

「気にするな。さ、入った入った」

 お婆さんに招かれて、わたしはプラタを抱えながら家の中へと入りました。


「とりあえず……居間で寛いどくれ、お茶を用意するからさ」

「あ、ありがとうございます」

 そう言ってお婆さんはわたしを居間へと通してくれました。

 居間は畳張りのこじんまりとした部屋で、中央にちゃぶ台だと思われるものが置かれた四人ほど入ったら窮屈となるような部屋でした。

 けれどお婆さんの家の外見を見た限りでは広かったので……ここはお婆さんが個人的に過ごすための場所なのだろうと感じます。

 そう思いながらちゃぶ台に敷かれた座布団に座りお婆さんを見ていると、お婆さんは年季の入っている座椅子に座って先ほど言ったようにわたしへとお茶の用意をしてくれていました。

 ちゃぶ台の上に置かれたポットから急須にお湯が注がれ、少し蒸らしてから湯呑みへと緑茶が注がれました。それをわたしと自分の分として二つ用意すると、わたしへと差し出してきます。

「はいよ、お嬢ちゃん。子猫には……後で水を取ってきてあげるから待っとりな」

「ミャア」

「ありがとうございます」

 プラタがお婆さんにお礼を言うようにひと鳴きし、わたしもプラタを膝にのせてお婆さんが淹れたお茶を受け取りお礼を言います。

 受け取った湯呑みを両手で持ち、湯呑みに口を付けお茶を飲むと程よい渋みながらすっきりとした味わいが感じられました。

 茶葉は二番煎じだからなのか少しお茶の色が薄いと思いますが……お茶自体は高い物だというのが口の中に広がる飲みやすさから感じられ、その味を味わいながら飲んでいるとお婆さんが申し訳なさそうに語り掛けてきました。

「……悪かったね、お嬢ちゃん」

「え? どうしたのですか、お婆さん」

「お嬢ちゃんも色々と住むための準備をしないといけないと思うのに、年寄りたち年上の事情に勝手に巻き込んでしまったからさ」

 そう言ってお婆さんはわたしへと頭を下げてきました。

 そんなお婆さんを見ながら、わたしは本当は聞くべきではないと思いつつも気になってしまい……尋ねることにしました。

「あの、お婆さん。お聞きしたいのですが……真樹さんのお爺様とはいったいどのような方なのですか? あ、いえ、言いたくなければ別に構いませんっ」

 立ち入るべきではない、そう思いつつもわたしは問いかけてしまい、すぐにそれに気づいてこちらも申しわけなく頭を下げます。

 そんなわたしを見ながらお婆さんは溜息を吐きました。

「まあ、両方から家や身内のことは詳しく語るなって言われてるから、あいつの祖父さんが何処の誰かとかは言えないよ。けど、あえて言うなら……色んな意味でやり手ってところだね。それと、すまないね」

「え?」

 お婆さんの突然の謝罪に疑問を抱いた瞬間、ピンポーンと先ほど聞いたのと同じ……お婆さんの家のチャイムが再び鳴りました。来客でしょうか?

 そう思っているとお婆さんはちゃぶ台の上に置かれたインターフォンの子機だろう物を取ると、通話のボタンを押して息を吸い込みました。

「入り口は開いてるから、勝手に入りな!」

「ミ“ャ”ア“!?」

「ひゃ!?」

 お婆さんの大きな声にプラタがビクッと震え、わたしも少し肩が跳ねました。

 そして声が届いていたのか、扉が開く音が聞こえて少しするとスーツ姿……いえ、執事の方が着ているような黒いスーツに身を包みメガネをかけた老年の男性が入ってきました。

「失礼いたします。ご無沙汰しております大家さん」

「なんだ。あの祖父さん本人は来ずに、代わりに瀬場巣せばすが来たのかい。……久しぶりだね、元気だったかい?」

「はい、お陰様で元気にしております」

 お婆さんが瀬場巣と名乗った老年の男性は恭しく礼をし、お婆さんへと微笑みかけます。その表情と雰囲気から瀬場巣さんのお婆さんに対する信頼は高いのだと理解出来ました。

 一方でお婆さんもムスッと何処か機嫌が悪そうな表情をしていましたが、一瞬だけ優しい微笑みを瀬場巣さんへと向けましたのでお婆さんも瀬場巣さんを邪険に扱ってはいないことが分かります。

 それが分かっているようで瀬場巣さんはお婆さんに向けて、本当に嬉しそうです。

 そんな風に思っていると、瀬場巣さんがわたしへと体を向けて頭を下げてきました。

「初めまして、化様。私は真樹様の御実家で長らく執事をしております瀬場巣と申します。本日は、真樹様のお爺様である御当主様の代理としてこちらに来ました」

「は、初めまして……。化初、です。その、真樹さんはどうしたのですか? 彼からお爺様に用があったのは自分だと言ってたのを覚えているのですが……」

 真樹さんの会話から、彼のお爺様は彼に用事があったと思っていたのに、何故わたしの元へと来たのでしょうか?

 そんな疑問を抱いていると瀬場巣さんが答えました。

「狛零くんにはしばらく席を外してもらおうと思い、少し離れた場所で会う約束をしました。待ち合わせ場所に到着したら御当主様は居りませんがリモートで会話をしてもらう予定です。そしてそれが時間稼ぎだと気づいてこちらに戻ろうとする際には、私の部下たちが彼の足を止めさせるために色々としてもらう予定です」

「はあ……。あの、もしかして本当に用があったのはわたし……ですか?」

 そんなはずはないと思いつつ尋ねると、瀬場巣さんは優しく微笑みながら頷きました。

「はい、あの人相が悪いために誰も寄り付かない狛零くんが連れてきたという女性。普通は彼の雰囲気に怯える様子を見せるというのに、化様は逃げることはしなかった。それどころかお泊りさせていただいたというではありませんか。

 その報告に私もですが、彼の祖父である御当主が貴女様に非常に興味を抱きましたので面談させてもらうつもりで来ました」

 瀬場巣さんは微笑みを崩さずに言いますが、纏う雰囲気は何処か鋭いものへと変わっていました。

 この時点でようやくわたしは瀬場巣さんにわたしが真樹さんと一緒に居ても良い人物なのかを見る為に彼のお爺様の命令を受けて来たのだということを理解しました。

 そして、その張り詰めるような雰囲気にわたしは呑まれそうになるけれども……同時にその威圧は真樹さんが嫌われていない。それ以上に愛されているということを、ひとりじゃないということを知ることが出来たようで少し嬉しく思いました。

 そんなわたしの心境に気づいたのか、瀬場巣さんはメガネを一度触りキラリとレンズを光らせ、目を細めてこちらを見ました。

「化様、少し口元が緩くなっているようですが……どうしましたか?」

「いえ、真樹さんは見た目が怖いことを気にしていましたし、周りからは普通に怖がられていると言っていましたが……心配してくれている方が本当は大勢居るのだと思うと嬉しくて、彼はひとりなんかじゃないのですね」

 わたしが言うと瀬場巣さんとお婆さんがぽかんと口を開きながら、こちらを見ます。

 あの、何ですか? その信じられないといった感じの様子は?

「ふ、ふふ……っ、はは、あっはっはっはっ!」

 二人の様子に戸惑っているとお婆さんが突如大きな声で笑い出しました。

 本当に面白いとでも言うようにお婆さんは楽しそうに笑っています。

 その様子に今度はわたしがポカンとし始めていると、同じように瀬場巣さんもポカンとしているようでした。

「お、お婆さん? どうされましたか?」

「笑うに決まってるじゃないか! 瀬場巣さん、あんたも真樹の祖父さんもどうせこのお嬢ちゃんがあの子と釣り合う人物かと思っての行動……あわよくば手切れ金でも渡すなり、別に暮らす場所を用意するなりして離れさせるつもりだったんだろうけど、案外大丈夫だと思うよ。なんたって、自分が見定められているっていうのに……だいぶ天然かも知れんけれどあの子のことを喜んでいるんだからさあ」

「大家さん……。化様、お聞きしたいのですが、よろしいでしょうか?」

 愉快に笑っていたお婆さんが瀬場巣さんへと言うと、眉間にしわを寄せながら瀬場巣さんがお婆さんを見て……一拍置いてからわたしを見ました。

 けれど先ほどのような鋭い印象とはどこか違うように感じられます。

「貴方は……狛零くんのことをどう知っているのですか?」

 簡単な質問。けれど、嘘偽りなく答えるべき質問。

 そう思いながらわたしは、姿勢を正して口を開きました。

「知りません。わたしは真樹さんがどのように過ごして、どのように思っているのか知りません。ですが、彼は周りが噂しているような人間ではないことだけは分かりますし、彼自身のことを知らないならゆっくりだとしても知っていきたいと思っています」

 真樹さんは怖い見た目をしている。けれど、心が優しい人。

 真樹さんは噂を気にしない。けれど、傷つかないわけがない。

 大きくて温かい。だけど噂のせいで周りに誰も寄ってこない……そんな彼の側に、わたしは居たい。

 他愛もないことを話して、他愛もない日常を過ごしてみたい。

 そうやってわたしは彼のことを知っていきたい……。

「えっと、それではダメ……でしょうか?」

 口を開かず、黙る瀬場巣さんに不安を感じながら訪ねると瀬場巣さんはわたしを見ながら微笑んでしました。

 何と言いますか……お年寄りが孫を見るような目、でしょうか?

 そう思っていると瀬場巣さんは口を開こうとしました。ですがその前に胸ポケットから何かを取り出します。

「スマートフォン?」

「少々お待ちください。はい、はい……わかりました。そう伝えます」

 瀬場巣さんは断りを入れて通話を始めると会話を始めました。

 ですが、通話の相手は要件を簡潔にしてたのか数回の応答の後、スマートフォンの通話は終了してこちらへと向き直りました。

「お待たせしました。たった今、御当主様から連絡が来ました。化様、私達は貴女が狛零くんの元で共に過ごすことに期待させていただきます」

「期待……ですか?」

「はい、どういう意味を込めてそう言っているかは私達はまだ話すことが出来ません。ですが化様、それと膝の上に居るプラタ様に対して手厚い保証をさせていただくことをこの場で宣言しましょう」

 そう言って瀬場巣さんはわたしへと頭を下げました。

 これがどういう意味を込めて言っているのか、それは理解できませんが……真樹さんの元を去らなくても良いということだけは分かります。

 ……って、あれ? わたしは真樹さんから離れたいと思っていない……のでしょうか?

 自分の考えに少し驚きを感じていると、襖がゆっくりと開かれてメイド服に身を包んだ女性が紙袋を持って半身だけを部屋へと入れながら瀬場巣さんへと紙袋を渡しました。

「ご苦労様です。仕事に戻ってください」

「はい」

 女性へと礼を言うと、彼女は頭を下げて再び襖を閉じます。

 そして瀬場巣さんが女性が持ってきた紙袋をわたしへと差し出しました。

「どうぞ、化様。お受け取りください」

「は、はい……」

 戸惑いつつもわたしは差し出された紙袋を取るとこちらへと引き寄せました。

 紙袋には会社の名前なのか、側面には【making】と書かれています。

 引き寄せた紙袋の口を開くと……そこには数着の女性ものの服と黒色のスマートフォンがひとつ入っていました。

「あの、瀬場巣さん? これは……」

「はい、化様も何時までも狛零くんのジャージですと落ち着かないでしょう? ですから、失礼ながらこちらで用意させていただきました。サイズの方は事前に制服を作った服飾店に問い合わせたので問題はないはずですよ。

 それとこちらのスマートフォンは日常の連絡手段がないと困ると思いましたので、用意させていただきました。……ああ、月々の代金はこちらが支払いますのでご安心ください」

 つらつらと瀬場巣さんはわたしへと言い、言われるわたしは唖然としていました。

 当たり前です。だって一気に色々と話が進んでるのですから……。

「え、で……でも……」

「気にしないでください。御当主様の指示ですから」

「う……、わ、わかりました……。ありがとうございます」

 瀬場巣さんの言葉に断り続ける方が失礼であることを理解し、わたしは紙袋の中の物を受け取りお礼を言いました。

 その直後、瀬場巣さんが誰かと話すように喋り出しました。

「はい、こちら瀬場巣。……もう察知しましたか、わかりました。それではこちらも引き上げます」

 ああ、通信機を付けていたのですか。よく見たら耳に何かが付けられていますね。

 そんなことを思っていると瀬場巣さんがわたし達へと視線を向けました。

「大家さん、化様。どうやら狛零くんが御当主様の思惑に気づいたようで、すぐにこちらへと戻ってきますので、私達は撤収させていただきます」

「あいよ。……まったく、裏でこそこそとかせずにちゃんと正面から会いに来ればいいのにさあ。変に強情だよね、あんたらんとこの祖父さんは」

「そこは否定しませんよ。化様、狛零くんをどうぞよろしくお願いいたします」

「は、はい。その……ありがとうございました。真樹さんのお爺様にも感謝していたとお伝えください」

 瀬場巣さんにそう言うと、彼は微笑み……立ち上がり襖を開ける前に恭しくわたし達に頭を下げてから出て行きました。

 それを見届け、お婆さんと会話をせずに静かに座っていると……インターフォンのチャイムが鳴ります。

「開いてるよ。勝手に入りな」

 お婆さんが先ほどと同じように子機を使って返事を返して少し、汗を流して肩で息をする真樹さんが入ってきました。

「ば、化さん。大丈夫……だったか?」

 その表情はとても心配そうだったので、わたしは彼を安心させるべく言います。

「はい、大丈夫でした。そう言う真樹さんこそ……大丈夫でしたか?」

「ああ、だ……大丈夫だ。…………はぁ~~」

 ひと安心、そう言うように彼は大きく息を吐いて安堵していました。

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