41 ブラッディ・ジョーク・シンドローム

   * *


 考えたことはない?

 供物のりんごはそもそも心臓の代替だった。

 生前――というのも違うかもしれないけど――、心臓を奪われた夢路さんへの慰めだった。

 なら、りんごではなく心臓を供物として捧げたらどうなるのか?

 変な話だけど、「お釣り」が来るんじゃないかって思わない?

 たとえば、神隠しに遭った娘を返してくれるんじゃないかって。

 そうね、飛躍した発想だと思う。

 だけど、それしか希望がなかったら?

 それしか思いつかなかったら?

 その娘は見ていられなかったの。自分の想い人が憔悴する様を。それに、親友が消えたことで後ろめたさを覚えてもいた。何か償いがしたかった。

 だから、ある日、彼に尋ねた。


 心臓をきれいに取り出す方法は存在するのかと。


 彼はね、医者の卵だったの。だから、そういう知識を持ってはいた

 急な質問で驚いたらしいけど、その具体的な方法を彼女に教えたそうよ。そして、逆に質問の意図を尋ねた。


 そこで娘は言ったの。 


 自分の心臓を使ってほしいと。

 もちろん彼は拒んだ。不確かな話だしね。

 だけど、娘の決心は固かった。

 だから、自ら毒を呷ることにしたの。

 そしてそれを彼にだけ告げ、死後に自分の心臓を取り出し捧げるよう申し出ることにした。


   * *


「もうすぐバレンタインですね」


 五條は言う。中庭で一緒に昼食を食べているときのことだ。


 中庭にも何本かの桜が植わっており、その下にベンチが設えてあった。昼食の人気スポットらしい。さすがに冬は人気がないが、その日は春の兆しを感じる日和で、一度、外で食べてみないかと誘われたのだ。


「そうだね」知佳は答えた。

「煩わしいものです」五條はため息をついた。「何せ道場は男ばかりですからね。この時期は催促がすごいんです」

「大変だね」

「まったくです」五條はサンドイッチにかぶりついた。「百合チョコバレンタインSSをブックマークするくらいしか楽しみがないんですから」

「……チョコあげようか」

「いいんですか」生気のない目に光が宿る。曇り空に天使の梯子が降りるように。

「いいよ。どっちにしても作る予定だったから」


 知佳はそう言って欠伸をする。


「寝不足ですか」五條が目敏く言った。「美容の大敵ですよ。わたしには世の少女たちの美を守るという崇高な使命が――」

「ちょっと睡眠時間がずれただけ」知佳は弁解した。「昨日、岬さんの家で寝ちゃって――あ、これ言っちゃいけないんだった」

「岬さんの家で?」




 昨日のことを思い出す。


 蒼衣の部屋で寝てしまったのだ。起きたら誰もいない。カーテンを少し開けると、外はもう暗くなっていた。

 時刻は六時過ぎ。

 蒼衣はどこに行ったのだろう。キッチンにも姿がない。知佳は裏口で靴を履き、庭に出た。


 家の表に回り込む。明かりが点いている部屋はない。出かけたのだろうか。


 庭の方を振り返った。石畳で整備された道が門扉から玄関まで続いている。

 花壇にはパンジーやアリッサム、オキザリスなど冬の花々やサボテンやセダムといった多肉植物が植わっている。

 ありし日の庭を取り戻すため、試行錯誤しながら育てているらしい。庭の隅には物置があり、その脇に空の植木鉢が重ねられている。大小のスコップに、ブリキのじょうろ、スプレーボトル。


 冬ということもあってか、地面の大部分には何も生えていない。

 しかし、よく見ると、ところどころ掘り返した跡がある。こんな冬に植え付けもないだろう。不思議に思いながら近づくと、何かが埋まっていることに気づいた。しゃがみこみ、確認する。


 骨だ。


 湾曲した部分が穴の底から突き出ている。


 これはいったい――


 知佳は周囲の土を手で少し掘り、骨を引き抜いた。

 全体がわずかに湾曲した骨だ。肋骨のように見える。


 そういえば、冷蔵庫に何の肉かわからない塊が入っていた。


 まさか紙の上では飽き足らず現実でも人間を切り刻んで――


 知佳は骨を手に後ずさった。


 すると、背後から素早い足音が迫ってきた。人間の足音ではない。俊敏な獣のそれだ――


 その場で振り向く。


 狼だ――

 銀毛に空色の瞳の狼――


 狼は知佳に飛びかかった。思わず腰を抜かし、その場に尻餅をつく。


 頭上に狼の顔があった。半開きの口からは生臭い匂いと、長い舌が零れていた。

 食べられる――そう思った瞬間、大きい舌が知佳の顔をペロペロと舐めはじめた。はあはあ、と荒い息を立てながら。


 そこで狼の正体に気づく。


 アラスカンマラミュートだ。見た目はシベリアンハスキーに似ているが、体が一回り大きく、国内では珍しい犬種だ。その名の通り、アラスカ原産で橇犬として利用されてきた歴史を持つ。数多ある犬種の中でも、原種である狼に近い遺伝子を持っているらしい。


 ――こら、デュパン。シュバリエ・オーギュスト・デュパン。駄目よ。離れなさい。ステイ!


 蒼衣の声だ。犬の顔が少し遠ざかる。蒼衣がリードを引っ張ったらしい。


 ――ごめんなさい。まさか庭に出てるとは思わなくて――散歩の時間だったの。

 ――そうなんだ。


 知佳は体を起こした。なおもじゃれついてくるデュパンの頭を撫でる。ずいぶんと人懐っこい性格らしい。大きな尻尾をブンブンと振り回している。


 ――起こそうと思ったんだけど、あんまり気持ちよさそうに寝てるから。


 犬がいること自体気づかなかった。どうやら老犬で、一階の余った部屋で寝ていることが多いらしい。


 ――少し前に、お父さんが知り合いから譲り受けることになってね。

 ――じゃあ、この骨と堀り跡は――

 ――この子の仕業ね。ちなみに羊の骨。ラムチョップに目がないの。ほら、デュパン。いつまでもじゃれついてないの。


 デュパンがようやく体を離した。すると、知佳のそばに落ちていた骨を見つけ、がじがじしはじめる。


 ――別の羊だと思った?


 蒼衣がいたずらっぽく問う。


 ――どういう意味?

 ――《アミルスタン羊》っていう有名な品種があるの。


 蒼衣はウィンクした。


 ――怖い話が平気なら後で調べてみて。




「岬さんらしいですね」

「そうだね」


 五條は不意に背後の桜を指差した。


「入学したばかりの頃です。桜が満開の時期だったんですが――クラスの子で写真を撮ったとき、岬さんがこの木の伝承を知っているかとお尋ねになられましてね。知らないならいいのと言葉を濁されたんですが、そんなことを言われてはかえって気になるでしょう? それで何がったのか尋ねたところ、やむをえずといった様子で話しはじめたのだとか」


「話って何を?」


「戦後間もない頃の話です。この桜の枝で首を吊った用務員さんがいたのだとか。なんでも、南方からの帰還兵だったそうで、いまで言う心的外傷後ストレス障害に苦しんでいたとのことです」五條は肩をすくめた。「岬さんがまた相当な語り巧者だったようで、誰も怖くて撮った写真を見れなかったそうです」


「ぶれないなあ」

「でも本当にそういうことがあったのかもしれませんよ」

「そういう話はもう間に合ってるかな……」

「ふふ。まあ、そもそもあり得ない話ではありますけどね」

「どうして?」


 五條はそこではたと気づいたように、


「そういえば、市川さんはまだこの桜が咲いたところを見たことがないんですね

「何か違うの?」

「いえ、見た目でわかるようなものでもないのですが――この桜、ジンダイアケボノなんです」

「ソメイヨシノじゃないの?」


 日本に植わっている観賞用の桜はそのほとんどがソメイヨシノという園芸品種だ。同一個体のクローンゆえ同じ気候条件で一斉に開花する。しかし、それは同時に同じ病気にも弱いことを意味する。


「ええ。ソメイヨシノは戦後に全国に植えられたんですが、そろそろ限界も来ていましてね。より丈夫なジンダイアケボノに徐々に植え替えが進んでいるんですよ」五條は言った。「つまり、わりと最近植えられたものなんです。その頃に戦争経験者の用務員なんているわけがないでしょう? とっくに定年退職してますよ」


 知佳は感心した。しかし、気になることがある。


「……五條さん、それみんなに教えてあげた?」


 五條は口許で人差し指を立てた。


「そんな興醒めなことをするわけないでしょう?」

「五條さんもぶれないよね」


   *** ***


 どんな嘘にも綻びがある。よくよく考えればわかったのかもしれない。

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