30 殺す風
「神隠しに類する伝承は数多く存在する」蒼衣が電話越しに言う。「ハーメルンの笛吹き男もそうだし、浦島太郎だって視点を変えれば神隠しの話になるでしょう? 極論を言えば、エイリアン・アブダクションだってそのバリエーションになるし、日本では天狗が人を浚ったという伝承も各地で見受けられる」
喫茶レムリアを訪れた翌日の放課後だった。蒼衣に誘われ、六花が消えた状況について詳しく聞くことになった。
六花が最後に目撃されたのは、
――でもね、それだけじゃないの。メディアでは詳しく報じられなかったけど、UFO事件に負けず劣らず不可解な状況なのよ。
知佳は二号館四階の廊下を歩いていた。窓からは三号館が見える。屋上で、蒼衣が手を振るのが見えた。もう片手で耳にスマートフォンを押し当てているのが確認できる。
「中にはね、天狗に拐われたものの、戻ってきたという人の証言もあるの。天狗の力を借りて空を飛びながら都会を見物して回ったんだそうよ」
知佳はスマートフォンと接続したワイヤレスイヤホンを耳に着け、蒼衣との通話状態を維持したままま二号館の南側を目指した。やがて、渡り廊下の入り口が見えてくる。
「それはあるいは、そうであってほしいという人々の願望が生んだ伝承なのかもしれない」蒼衣は言った。「竜宮城もそうだけど――消えてしまった人たちがどこかで幸せに暮らしていると思いたかったのかもしれない」
渡り廊下にたどり着く。三号館に目をやると、蒼衣はまだ屋上に立っていた。
「蒸発って言うでしょう。現代だって、人は消える。日本だと年間八万件を越える件数の行方不明者届けが受理されるそうよ。もちろん、その多くは行方不明者の発見で決着を見る。だけど、そのうち一〇〇〇人から二〇〇〇人は行方がわからないままになるというわ」
渡り廊下を進むと、中ほどを過ぎたあたりで蒼衣の姿が確認できない角度になった。そのまま三号館四階に入る。HR教室がないため人通りが少なく静かだ。
「子供の失踪者は少ない。だからニュースになる。だけど、大人の失踪者はそもそもまともに捜索されないことも多いわ。本人が自主的に姿を消した可能性もあるしね。ゆーさんももう二年か三年年上だったらニュースにもならなかったかもしれない」
廊下を北上し屋上に出る階段を目指す。静まり返った廊下に靴音を響かせながら、一直線に進む。
「去年の失踪者数は一五七二人。そのうちの一人がゆーさんだった」蒼衣は続ける。「ゆーさんはよく小説の取材旅行がしたいと漏らしてた。国内に限らず、いろんな国や時代に自由に行き来できたらいいのにって」
階段が見えてきた。足をかけ、屋上へ――
「ゆーさんがどこにいるのかはわからない。だけどね、たまに夢に見るの。ある日、どこか遠い国からエアメールが届いて、封筒を開いたらゆーさんの写真が入ってるの。肌をこんがり焼いたゆーさんが現地の人とピースしてる写真だったり、観光名所を背景に自撮りしたした写真だったり――」
屋上へのドアは鍵がかかっていなかった。「LADIES ONLY」のマットを踏みしめ、ドアを開いた。
屋上には手すりが巡らされている。始業式の朝、カナが腰かけていた手すりだ。そして、地図アプリの空撮でも確認できないほど小さな木祠。
それが、三号館の屋上にあるすべてだった。
誰もいない。
どんより曇った空が広がるばかりだ。
「どーこだ」
耳元で蒼衣の囁き声が聞こえる。
知佳は祠に真っ直ぐ向かった。観音開きの戸は閉ざされていて、中身は見えない。だが、今日はりんご様に用があるわけではない。その背後だ。
頭隠してなんとやらというやつだ。ゆるく波打つ明るい髪が見える。祠を背にしてしゃがみこんでいるらしい。背中や太ももの一部も見えた。
「見つかっちゃった」
知佳が迫ると、耳元で声がした。
蒼衣はスマートフォンを耳にあてたまま、祠の陰から顔を出した。舌を出してウィンクしている。
「少なくとも――」知佳は通話を切り、言う。「祠の陰に隠れてやり過ごすのはむずかしそうだね」
「ええ」蒼衣は立ち上がった。「カナちゃんで試したときもそういう結論になった」
「天羽先輩の体型は?」
「わたしとカナちゃんの中間くらいかしら」
「じゃあ、きっと見つかってただろうね」
知佳は空を見やった。いまにも泣き出しそうな曇り空。六花が消えた日はどんな表情を見せていたのだろう。
――ゆーさんが最後に目撃されたのは、放課後の屋上だった。その状況がちょっと特殊でね。
――特殊?
――市川さんはミステリーって読む?
――たまに『見る』……かな。
――なら密室という言葉くらい聞いたことがあるでしょう? ゆーさんが消えたのはその密室だった。それは空に開かれた密室。
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