第59話 無粋



 正直あまりぐっすりとは眠れなかった。

 朝日を受けキラキラと光る窓と、カーテンの隙間から差し込む朝日に目を眇め、リヴィアはころりと寝返りを打った。


 眠れなかった時間を取り戻すべく寝直したい衝動に駆られるが、流石にここでそれは駄目だろう。諦めの境地でまだ重たい身体をゆっくりと持ち上げた。腕を上げ軽く伸びをする。


 今日こそは陣の確認をしなければ。軽く意気込むと昨夜の珍客が頭に浮かび、肩を落とす。イリスや、あの黒髪の青年に会う事を考えると少なからず憂鬱だ。


 あの後、念の為に辺境伯夫人ディアナにイリスの無作法を言付けさせて頂いた。有耶無耶にして逆にこちらの品位を疑われたようでは、たまったものではない。まだぼやける頭のままリヴィアは一つ欠伸をした。


 それにアーサーに散々心配され、抱きすくめられた……

 恥ずかしくも嬉しくて、しっかりと断る事が出来なくて……相変わらず彼の演技は完璧だ。


「リヴィアさん起きてますー?」


 元気な声が天蓋付きのベッドの向こうから聞こえてくるも、特に開けられる気配も無くリヴィアは苦笑した。


「あなたらしくないわね。別に天蓋を開けたからって怒らないわよ。わたくしの寝起きなんて見慣れているでしょう?」


 天蓋を開けて顔を覗かせるとシェリルは首を傾げた。


「誰もいません?」


「……いる訳ないでしょう」


 半眼で答えるも、シェリルはそろそろと天蓋の中を伺い見る。


「ああー。良かったあ。そういう場合ってどう振る舞えばいいのかわからなかったから、困ってたんですよお」


 人を何だと思っているのだ。リヴィアは眉間に手を添えて軽く揉んだ。


「それより朝食は?昨日食べていないからお腹が空いたわ」


「そうそう。食堂でお待ちしていますってメイドの方が言伝にきてましたよ。お支度しましょう!」


 張り切って着替えを手伝うシェリルに任せ、リヴィアは朝食のメニューに思いを馳せていた。


 ◇ ◇ ◇


「おはようございます」


「おはようございます……」


 食堂に着くと既に辺境伯夫妻とイリスが着席していた。つい気まずくて少しだけ視線をずらしてしまう。


「リヴィア」


 振り返るとアーサーがライラを伴って顔を見せたので、思わず一瞬硬直するも、顔に出さずに淑女の礼をとってみせた。


「おはようございます殿下」


「部屋まで君を迎えに行ったのにいなかった」


 当たり前のようにリヴィアの手を掬い上げて唇を落とし、アーサーは不満顔を作った。


「もも申し訳ありません」


 思わず手を取り返し、赤らむ顔を背けた。

 ライラのまなじりがきりりと釣り上がる。


「お腹が空いてしまったわ」


 けれど、ふいと顔を背けアーサーの横をすり抜け食堂に入って行ってしまった。

 何だか意外な行動に首を捻る。

 自分からアーサーと距離を取るなんて。今までの行動を振り返るに不自然に思う。どうしたんだろう。


 思わずアーサーを見上げると、口元を引き結んだまま、ライラの背中を見送っていた。

 じっと見つめるリヴィアにアーサーが気づいたのか、視線を落とした。ふわりと微笑む顔にリヴィアの胸は、ばくんと鳴る。


 リヴィアの手を掴む力がきゅっと込められ、二人並んで食堂へ入室した。


 ◇ ◇ ◇


「理解出来ないわ、アーサー。どうしてあんな人があなたの婚約者なのよ?」


 リヴィアの客間から自分に用意された客間に戻って来れば、ライラが応接間のソファで待ち構えていた。


 ……忙しいんだが。

 先程までリヴィアに張り付いていた事は棚に上げ、今の状況に不満を覚える。

 じろりと守衛を睨むと申し訳無さそうに顔を伏せた。


 よくよく考えてみれば、何故ライラはこうも簡単に自分の部屋に入れるのだろう。婚約者候補の立場ならいざ知らず、夫人となった今も変わらない、こういった行動は何故許されているのか。


「アーサー殿下・・だ。イスタヴェン子爵夫人」


「……確かに公にはそうだけど、わたくしたちは幼なじみでしょう?二人きりの時くらい、親しみを込めて名前で呼ばせて?」


 嫌だ。と思った。

 アーサーとライラはそれ以上にもう他人なのだから。

 だがライラはアーサーの拒絶などお構いなしで、アーサーに近づいては、身体に触れようとしてくる。益々嫌悪が深まり、アーサーは眉間に皺を寄せた。


「断る。私は名を呼ばせる許可を、今はリヴィアにしか出していない」


 その言葉にライラはさも不思議そうに小首を傾げた。


「なあに、アーサー。もしかしてあの女に娼婦の真似事でもさせているの?」


 思わぬ言葉にアーサーは瞠目した。


「よしなさい、あんな痩せっぽち。つまらないでしょう?あなたの相手ならわたくしが務めてよ。それでわたくし、あなたがいつか臣下に降る時、今度こそあなたと結婚したいの」


 楽しそうに笑うライラにアーサーは凍りついた。

 いつも隣で微笑んでいたこの顔は、頭の中ではこんな事を考えていたのか。皇城での振る舞いもその為で、父の懸念は正しかったという事か。


「……守衛、何故この女を私の部屋に入れた?」


 はっと息を飲む守衛に代わり、ライラが楽しそうに答えてくる。


「あら、アーサーがわたくしを呼んだからって言ったのよ。夜の相手はわたくしじゃないと眠れないのよって」


 アーサーは目眩が起きそうになる頭を片手で押さえ、守衛に指示を出した。


「この不届き者をつまみ出せ。二度と私に近づけるな」


 その言葉にライラは信じられないとでも言うような顔でアーサーを見た。


「な、何するの?アーサー!いや!わたくし、あなたがいいの!やっぱりあなたがいいのよ!!」


 身を捩って抵抗するライラは、アーサーには理解の範疇を越えた生き物にしか見えない。

 ディビットとの結婚生活が上手く行っていないのだろうか。それで今度はアーサーで試したいとでも?


「それが気に入らなければどうする?また同じ事でもするのか?それとも以前と同じように恋人を見繕って、自由恋愛を楽しむつもりでもいるのか」


「……どうしていけないの?貴族だもの。恋愛は自由だわ」


 背中にぞっと悪寒が走る。


「結婚後の恋愛は不貞だ」


「恋愛は誰とでも出来るわ。でも結婚は一人としか出来ないじゃない。それが答えだわ。伴侶が唯一なのだから、その他との交流は許す度量が必要よ。アーサーだって愛人を欲しくなる日が来るでしょうに、自分で自分の首を絞めるのはおやめなさいな」


 怒りで目の前が白く染まる。


「君が私をそんな目で見ていたとは知らなかった」


 冷たく眇めた目にライラが慌てて声を張る。


「違うわ!あなたが望むなら愛人だってやぶさかじゃないと言っているんでしょう?わたくしは嫉妬に狂った馬鹿な女にはならないわ!」


「……その思考回路が理解出来ない程に愚かだが……もういい、話は終いだ。連れて行け」


「アーサー!」


 閉まる扉の向こうでライラが必死に喚いている。

 痛むこめかみを揉み、アーサーは部屋の端で傍観を決め込んでいたフェリクスに胡乱な視線を向けた。


「お前は本当にライラが嫌いなんだな」


「ええ、あんな女に関わりたくありません」


 自分の妹に随分な話だが、気になった事を聞いてみた。


「なら何故私の婚約者候補である事に異を唱えなかったんだ?子どもの頃からずっと一緒で、口を挟む事などいくらでも出来ただろうに」


 考えてみれば家族もおかしかった。アーサーとライラの仲を傍観していた。

 婚約者候補という曖昧な関係に口を出された事も無いし、デヴィッドとの不貞は知っていてもおかしく無かったのに。


 アーサー自身、自分の事は自分で片付けるべきだと考えていた為、特に相談もしなかったが。


「……殿下、自分が好いた女を否定されても、大抵の男は信じないか、或いはそれこそ虚偽と否定して、もっとのめり込むものなのです」


 そうなっては最悪だと思われていた訳か。

 自分の態度が貴族たちを焦らしていたのは知っていたが、家族もまた、別の意味でやきもきしていたらしい。


 ライラの抱えていた本質に、こんなに長い間気づかなかった。

 今自分はリヴィアに恋をしている自覚がある。けれどそれは、まやかしなのだろうか。先程ライラが口にした貴族の自由恋愛を、将来自分が行うと考えただけで身震いし、とても受け入れられそうにもない。

 勿論リヴィアにも許すつもりも無いし、相手を殺してやるくらいには怒り狂うと思う。


 首を振って余計な考えを振り払う。

 どうでもいい他人の考えだ。

 フェリクスに目を合わせると、いつもの無表情に目が冷たい光を放っていて、まだそこに何かがあるように思えた。


 けれどその不穏な光が、自分には知る必要のない事だと頑ななものを宿している気がして、アーサーは開き掛けた口を閉じた。

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