第46話 隠し事
リサベナからの報告書を受け取り、リヴィアの瞳は困惑に揺れた。
「あの……殿下、わたくしが読んでいい書類なのでしょうか……」
封蝋は割れているが、軍の機密にはならないのだろうか。
「構わないよ。目を通して貰った方が都合がいい」
多少迷ったが、リヴィアは恐る恐る中の紙を引っ張った。この視察に関してはウィリスに事前に報告を入れている。もしかしたら師に対応を求める事もあるかもしれない。
だがライラが来ている以上、自分が立ち入る必要はあるだろうか……思わず封筒から取り出した紙を開かずに凝視する。
「あの、殿下……」
「ん?」
アーサーを振り向くと思わぬ近さに顔があり、思い切り仰反る。倒れ込む訳にはいかないので、貴族令嬢のなけなしの腹筋でひたすら耐えた。
「近いですわ!」
アーサーはくすくす笑ってリヴィアの手から手紙を取り上げた。
「ゼフラーダの防御障壁に異変が起きたとある」
「……っ」
「リサベナの軍拠点からの一報だ。いくら近年和平が進んでいるとはいえ、万が一にもあれを失うのは国の損失だろう。あそこに魔術の素養のある軍人はいない。いるのは魔術院から派遣されている準導士だけだ。だから私が行く」
アーサーは手紙を開き静かに読み上げるように淡々と話すが、その言葉にリヴィアははっと目を見開いた。
皇族で唯一後天的に魔術の素養を受け継ぐ人物。
彼は国宝の魔術陣を納める生きた宝物庫なのだと……
それに関する詳しい文献を読んだ事は無いが、背表紙だけは見た事がある。
今代は第二皇子だったのか……。
防衛と機密保持の面で、知っているのは決められた立場の者だけだ。本来なら学士のリヴィアが知る術の無い話だが、母がアーサーに陣を施す儀式を行った当人であった。
母が死に、リヴィアにその素養が無いか調べる為に知らされた話だ。
因みに陣の詳細もまた一般には知らされておらず、皇族専任の魔道士か魔術院が流動的に管理していると聞く。
その中身は相当の国家機密が眠っていると噂されており、リヴィアは知識欲から何とか調べられないものかと嗅ぎ回ってみたが無理だった。権力の壁は果てしなく高い。
しかしその陣が目の前にあると思うとまた……
立ち消えになった欲求がむくむくと膨らんでくる。
この身体のどこかにこの国の創成期に作られた最古たる、かつ高貴なそれが刻まれている……リヴィアは思わずアーサーの胸のあたりをじっと見つめた。
「……リヴィア……私は……」
悩ましげに眉根を寄せるアーサーは、リヴィアの視線の先を辿り自分の胸でそれを止めた。
「……見たいの?」
余程ギラついた視線を送っていたのだろう。アーサーが戯けた様子で聞いてきた。
「はい見たいです」
思わず拳を握って即答すると、アーサーは一瞬面食らった顔をしたが、ふっと笑って身を屈めて来たものだから、リヴィアはギョッと後ずさった。
「逃げないでよ。見たいんでしょう?」
「……ですが国家機密でしょう?わたくし犯罪者になってしまいます」
そう言うとアーサーはきょとんとした後に、ああと微妙な顔で一言呻いた。
「私の身体をくまなく調べられるのは将来の伴侶だけだろうね」
その言葉にリヴィアは項垂れる。
「羨ましいですわ……」
「本気で言ってるの?」
「……っ当然です!殿下のお身体は崇高かつ高潔な(魔道士の)芸術品ですのよ!それを賜る(研究)事ができるなんて……」
ぐわっと息巻いた後、思わずうっとりとした瞳をまだ見ぬ陣に馳せてしまう。
「ふうん……」
アーサーは満足気に口の端を引き上げた後、そっとリヴィアの手を掴んだ。
「私もあなたと婚約ができてとても嬉しいよ。でもそれなら誤解を招く行動は控えて欲しいな。先程のあれみたいな……」
今度はリヴィアはきょとんとした。
掴まれた手を見下ろし、アーサーを見上げる。その顔が油断ならない時のレストルと同じに見えるのは気のせいだろうか……
「先程何かありましたっけ?」
さりげなく手を取り返そうとするもそれが出来ない。それ程強く掴まれているわけでは無いのに、この焦りには既視感すらする。
笑みを深くしたアーサーの顔が勢いよく近づくのが見えて、リヴィアは反射で目を瞑った。耳に感じるアーサーの髪のくすぐったさに身動ぎすると、頬に知った感触があった。
咄嗟に目を開けると、今までのどの時よりも近くにアーサーの顔があっり、リヴィアは動けなくなった。動けないままじっと近くのアーサーを見つめる。
「頬に口付けなんて、もう誰にも許さないで。君は私の婚約者なのだから」
そっとリヴィアの頬を指でなぞり、アーサーが離れる。
羞恥に顔どころか全身が赤らむのを感じたのと同時に、広がる視界に人影が二つ見えて絶句した。
「おや」
上半身だけ振り返りアーサーが首を傾げた。
「と、となり部屋に……」
酷く動揺した声で妙な抑揚がつく。
「婚姻前の女性があまり長く二人きりというのも……アーサー様には許可していただきましたので」
何がおや、だ。リヴィアはアーサーをきっと睨む。
それに相変わらずの女たらし人たらしめっ!
視線をずらすとシェリルがによによ笑いをしているのが見える。自分だけ恥ずかしがっているのは絶対に気のせいでは無い筈だ。
慌てて離れようとして、身を捩る。
「あ、リヴィア待って。髪に糸が……」
「え?……あ!」
ゴチッ!
変な角度で身を捩ってしまい、勢いよくアーサーに頭突きする羽目になってしまった。何故こんな事に……?
目からチカチカと星が飛ぶ。痛い。
「で、殿下のせいですわ。殿下がわたくしを……揶揄うから……」
自分でついた言葉が耳から入って頭に浸透する。
思わず涙目になるのは、頭よりも別の場所から痛みを感じているからだ。それは何故で、どこなのか……
ライラとの仲だとか、ニセの婚約者なのだからとか、そんな言葉が胸を締め付けて苦しくなる。
ポロポロと溢れ出す涙を袖で拭おうとすると、アーサーがリヴィアの手を取り、頬に手を添えた。
「すまない、だが別に私はふざけていた訳では……」
困った顔のアーサーと目が合い、リヴィアの気持ちも落ち着きを取り戻してきた。だがアーサーの額に真っ赤な跡を見つけ身体に再び動揺が走る。リヴィアの頭突きの跡だ……
しでかした事にどうしたものかと視線が泳ぐ。リヴィアも同じように眉が下がるとセドが声を掛けた。
「冷たいお絞りをお持ちしますね」
「……ああ、頼もうか」
アーサーが苦笑して言った。
「でも一つでいいかな。私はこれでいいから」
言うが早いか、リヴィアの後頭部に手をまわし唇に自分の額を押し付けた。そうして下から悪戯が成功した子どものような瞳で覗き込んでくる。リヴィアはそのまま目を回し、意識を飛ばした。
ごめんねと小さく声が聞こえた。
アーサーの声なのか、何を謝っているのかリヴィアには分からなかった。
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