34.見合い話

 かのんがお見合いをする。


 その一言に俺は、驚くよりもむしろ、またいつものタチの悪い冗談なんだろうと高をくくり、苦笑混じりで問い返した。


「星月さんも嘘が上手いなあ。そんな冗談を思いつくなんてさ」

「……そうですか。信じようが信じまいが、岡園殿の自由ですので、何も申し上げませんが」


 落胆するように頭を左右に振るその仕草に、俺の鼓動が早くなる。


「……マジ、なのか?」

「さて、どうでしょう? まあ、付き添いで駆り出された私までこんな格好をさせられているという時点で、色々と察していただきたいものです」


 優美なドレスをまといながらも、うんざりとした様子なのはそういった理由だからか?


 ……そういえば。


 雪之新さんと初めて会った時、こんなことを言っていたな。


『あの子が好き勝手やれるのも今のうちだけだし……』


 それに、さっき会った時だって、


『君も、かのんから聞いているのだろう?』


 とか、言ってたよな。……え? それって、本当にお見合いのことを指してたのか?


「まさか、とは思いますが、ご当主が無条件で引っ越しをお認めになるとお考えでしたか?」


 思考の海をぐるぐると漂っていた俺を現実へと引き戻したのは、星月さんの淡々とした声だった。


「かのん様は大切な跡取りですよ? 幼少期の約束事とはいえ、すんなり認めるわけがありません」

「どういうことだ?」

「交換条件ですよ。かのん様もご当主から約束事を持ちかけられたのです」


 雪之新さんが、かのんと交わした約束事は全部でみっつ。


***


 ひとつ目、誕生日は必ず家族で祝う。


 ふたつ目、高校を卒業したら、跡取りとして見聞を広めるため、海外へ留学する。


 そして、みっつ目。十六歳になったら、婿候補となる男性とお見合いをする。


***


 以上を守れるのであれば、岡園蓮のそばにいることを認める。


 そういって雪之新さんはかのんを送り出したそうだ。


「もちろん、かのん様もそれらすべてを飲んだわけではありません。とくにみっつ目に関しては猛反発されていました」


 それはそうだろうな。好き相手がいるっていうのに見合いをしろっていうのは、かのんとしても受け入れがたい条件だろう。


 話を聞いている俺自身、内心ムカついてるし。それならそうと、雪之新さんもちゃんと話してくれたら良かったんだ。そうしたら……。


「そうしたら、なんです?」


 星月さんの冷たい声が辺りへ響きわたる。


「すべてが上手く運ぶように、岡園殿が取り計らってくれるとでも?」

「上手くいくかはわらないけれど、キチンと話し合うことぐらいはできただろう?」

「それはどうでしょう。そもそも、岡園殿がしっかりしていれば、こんなことにはならなかったのですよ」


 氷点下を思わせる眼差しで、黒髪のメイドは俺を見据えた。


「俺がしっかりしていればって、言ってる意味がわかんないんだけど」

「かのん様は言われるがまま、条件を丸呑みするようなお人ではありません。さらにご当主へこのような話を持ちかけたのです」


 それは、『十六歳の誕生日までに、岡園蓮から好意の言葉を掛けられた場合、お見合いはしない』というものだった。


「ご当主は難色を示されましたが、好き合っている者同士がいれば止むなしとお認めになられ……」

「待ってくれ。俺もひとりの女性として、かのんを好きだって思ってる。お見合いはしなくてもいいはずじゃ」

「それをにして、かのん様へお伝えされたのですか?」


 遮るようにして、星月さんは口を開いた。


「きちんと、好きだ、愛しているとお伝えされたのかと聞いているのです」

「それは……」


 言ってない。


 確かに言ってないよ。でもさ、態度では示していたハズだ。かのんのこと、好きだって。


「態度、ですか。こんなことを言いたくはないのですが……。岡園殿、声に出さねば相手に気持ちは伝わらないものですよ。恋愛なら尚更です」

「そりゃ、そう……だけどさ」

「私もようやく理解できました。なぜ、かのん様が昨日、貴方を誘ってお出かけされたのかと。かのん様にしてみれば、気持ちを伝えてもらえるラストチャンスだったのでしょう」


 星月さんの声が段々と遠くなり、俺は記憶の奥底から、昨日の光景を思い起こしていた。


 優しさが込められた青い瞳、無邪気に笑う顔、大きく手を振る可憐な姿。


『それじゃ、蓮くん。バイバイ!』


 ――そうだ。かのんはあの時、「またね」なんて言わなかった。明日には会えるだろうって勝手に思って、「またな」って言ったのは俺の方だけで。


「とにかく」


 冷淡な声にハッとなる。後部座席へ乗り込みながら、星月さんは声を上げた。


「お話は以上です。急ぎますので、私はこれにて」

「待ってくれ」

「ちなみにですが。実家の場所や、お見合いの場所は教えませんよ。B級映画のラストみたいに、駆け落ちの真似事でもされたら厄介ですからね」

「話だけでも」

「無駄です」


 ピシャリと断言すると同時に、車のドアが閉まる。


 呆然と立ち尽くすしかない。そんな俺を見やって、星月さんは窓を少し下ろすと躊躇いがちに口を開いた。


「……手遅れだとは思いますが、よくよくお考えになるのですね。貴方にとって、かのん様がどのような存在であるかと」

「……」

「その上で行動されるのがよろしいかと。私に言えるのはそれだけです」


 窓は閉められ、星月さんを乗せた乗用車は走り去っていく。


 そして取り残された俺は、ただただ、ぼうっと空を眺めていた。

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