32.静かな朝
公園でひとりペットボトルのお茶を飲み終えた俺が、星月さんとばったり遭遇したのは帰り道の途中だった。
「岡園殿。奇遇ですね、こんな場所でお会いするとは」
繁華街のど真ん中、星月さんはブレザー姿のまま、買い物袋を片手に会釈をしてみせる。
「もしかして、いま学校の帰りなのか?」
「ええ。今日は部活動の日でしたので」
聞けば茶道部に入っているらしい。メイドとして四六時中、かのんのそばにいるよりも、学校生活を楽しんでもらいたいという雪之新さんの方針から、比較的自由な時間があるそうだ。
話を聞いただけだけど、星月さんがお茶を点てる姿は容易に想像できる。きっと様になっているのだろうとぼんやり考えていると、今度は星月さんが口を開いた。
「そういう岡園殿も制服のままですが、いまお帰りですか?」
「ああ、うん。ちょっと用があってさ」
「なるほど。かのん様とデートですか」
「デートっていうほどのもんじゃ……って、なんでわかる?」
「言わずとも、顔に書いてありますから」
……そんなにわかりやすい表情をしていただろうか? いや、まあ、それはいいとして、聞きたいことがあるんだった。
「そういや、かのんから聞いたぞ。転校の話。全部、作り話だって」
「おや。もうバレてしまいましたか。かのん様ももう少し黙っておけばいいものを」
「なんでそんな嘘をついたんだ?」
「何を言うかと思えば……。これもすべて、おふたりのためを思って、ですよ」
軽く肩をすくめてから、黒髪の知的美人は話を続けた。
「かのん様が如何に岡園殿を大切に思ってらっしゃるのか……。それがわかれば、微動だにしない貴方の気持ちも、多少は動くかと期待したのです」
「微動だにしない、って」
「ご自覚がないとでも?」
切れ長の瞳に冷たいものを漂わせ、星月さんの眼差しが俺を捉える。
あのな、かのんみたいな子が、俺のそばにいてくれるんだぞ? 嬉しいに決まってるじゃないか。
そりゃあ、確かに……。態度には表してなかったけれど、それは自分の中で照れくさいのと戸惑いが入り混じっていて、素直になれないというかなんというか……。
突然の再会だったんだし、ある程度そうなっても仕方ないと思うワケだよ。
「そうやって、煮えきらない態度を正当化されるおつもりですか?」
「やけに棘があるな」
「当たり前です。推しが幸せになるは、イコール、私の幸せでもありますので。その推しの相手がこのような有様では、文句のひとつも吐きたくなります」
そう言い終わるやいなや、ずいと身を乗り出して、黒髪のメイドは睨むように俺を眺めやった。
「いいですか、岡園殿。かのん様の好意に甘え、このままなあなあで済まそうと思っておられるなら、ただでは済みませんよ?」
「……」
「かのん様が貴方のそばにいるのが当然と思っておられるのでしたら、それは大間違いです」
「わかってるさ。陽太にも同じことを言われたし」
「ふむ。あの白菜顔もなかなかに良い忠告をするではないですか」
名前すら呼んでもらえない旧友に同情しつつも、それ以上に耳の痛い話に参っていると、星月さんはため息をひとつついて、「まあいいでしょう」と付け加えた。
「とにかく。かのん様が幸せになるためでしたら、私はどんな手段も用いる所存ですのでで……っと、そうでした」
思い出したように、星月さんは買い物袋を掲げてみせる。
「かのん様はご不在ですので、今日の夕食作りは結構です。私もお弁当を買いました」
「そうなのか?」
「ええ。本日、かのん様は
ああ、やっぱり雪之新さんに顔を見せる約束でもしていたのかと納得していると、黒髪のメイドはさらに続けた。
「ちなみに明日の朝食作りも結構です」
「なんでさ?」
「かのん様がご不在なのに、私ひとりのために出向いてもらうのも悪いでしょう?」
「そんな遠慮しなくても」
「いえ、私も早朝から出かけなければならないので……」
お気になさらずと言いたげに、星月さんは頭を下げる。いや、作らないでいいなら別にいいけどさ。
「岡園殿もおひとりの休日は久しぶりでしょう。どうかゆっくりとお休みください」
***
明けて土曜日。
アラームをセットしないで寝たせいか、目覚めた時には十時をとっくに過ぎていて、俺は自己嫌悪に
まったく……。かのんの朝食作りやモーニングコールがなければ、こうも自堕落に時間を過ごせてしまうのか。
同時に、しんと静まり返った寝室に、寂しさを感じてしまったのも事実だったわけで。
かのんとの騒々しい日々を、どうやら自分も楽しんでいたらしい。
モーニングコールと称した朝の襲撃なんて、一週間前はなかったのに、いつの間にやら、それを当たり前のように受け入れていたみたいだ。
にぱーと笑う無邪気な顔とあの朗らかな声がないだけで、胸がチクリと痛む。
……やれやれ、陽太や星月さんの忠告が胸に刺さるな。
かのんにとって、俺が特別であったように、俺にとっても、かのんは自然と特別な存在となっていったのだった。
「……気持ち、はっきりと伝えなきゃな」
かのんはあれだけ素直に好きと言ってくれた。今度はこちらがそれに応えなければならない。
よしっ、と、気合を入れるように両頬をピシャリと叩き、俺はベッドから抜け出した。
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