23.あみぐるみ

 翌日の放課後から、かのんへの『あみぐるみ講座』が始まった。


 夕飯は俺が作っているし、かのんの家で教えればいいかと思っていたものの、かのんはミルクティー色のロングヘアを左右に揺らしてから、


「ヤダ! 蓮くんの家がいい!」


 と、頬を膨らませた。


「だってだって! 相手の家へ足繁く通うのって、いかにも幼なじみっぽいでしょ?」

「こだわるなあ。まあ、いいけどさ」


 やったと両手を上げて喜ぶかのんには悪いけれど、俺自身、何をそんなに嬉しいのかがイマイチよくわかんないんだよなあ。


 だってほら、家は隣同士だし、間取りも一緒だぞ? 前に勉強会で来た時と何も変わってないしさ。


「わかってないなあ。好きな人の家なんだよ? 行きたいに決まっているじゃない」


 そうして、にぱーと無邪気に笑ってみせるかのん。五〇兆点を差し上げたい極上の笑顔と、ただまっすぐに向けられる好意。


 俺はどう応じ返していいのかわからず、誤魔化すように頬をポリポリとかきながら、かのんの隣を歩くのだった。


***


 そんなこんなあって、今現在、かのんは俺の家の寝室の床へ腰を下ろしているワケだ。


 ……違うぞ? 俺が寝室へ連れ込んだんじゃなくて、かのんたってのリクエストで、寝室であみぐるみを作ろうということになっただけだからな!?


 むしろ俺は「この前みたいにリビングでいいじゃん」と誘った方で、「嫌だ嫌だ! 蓮くんの寝室がいい!!」と駄々をこねたのはかのんだし。


 いや、ホント、警戒心がないというか、危機感がないというか。女の子がそんなに男の寝室へ行きたいとかいうもんじゃありません!


 ……いかん。またオカン目線になってしまった。とにかく落ち着こう。


 かのんはかのんで、さんざん言っていた割には、部屋の中へ入った途端、ソワソワと落ち着かない様子だ。……もう、リビングでいいんじゃないか?


「そ、ソワソワなんかしてないもん!」

「してるじゃん」

「違うもん、武者震いだもん」

「何に対してだよ……」

「あっ! そういえば、アルバムとかないの!? 蓮くんの中学の頃とか見たいんだけど!」

「そんな荷物になるようなモン持ってきてるわけないだろ。実家だ、実家。引っ越しは必要最低限の物しか揃えなかったし」

「なぁんだ。つまんなーい」


 そして頬を膨らませるかのん。落ち着かなかったり拗ねたりと、まったく忙しいなあ。


 すると、今度は「ウヘヘヘヘ」と、突然だらしない笑い声を上げて、かのんはうっとりとした表情を浮かべてみせた。


「な、なんだ? どうした?」

「ん〜? このお部屋、蓮くんの匂いがするなあって思って……」

「……換気するか?」

「ダメだよ! 貴重な蓮くん成分なんだよ!? 体内へしっかり補充しておかないと!」


 きっぱりと断言した後、かのんは大きく深呼吸を始めたんだけど。……俺はお前のことがだんだんと心配になってきたよ。


 とにかく、今日はあみぐるみを教えるって決めているんだ! このままではラチがあかないと、俺は強引に深呼吸を打ち切って、あみぐるみの道具一式を揃えるのだった。


***


 あみぐるみを教えるに当たって、何か作りたいものはあるのかと尋ねてみると、かのんはバッグについている、フェルト製の拙い黒ネコのぬいぐるみを差し出し、ふんすと鼻息を荒くした。


「ネコ! ネコ作りたい!」


 ……あー、やっぱりか。言うと思ったんだよなあ。


「よし、わかった。今日はボールを作るぞ」

「えー!? ネコはぁ!?」

「そんな複雑なやつ最初から作れるかっ! 何事も基本が大事なんだよ!」


 かのんは青い瞳に不満をにじませているけれど、あみぐるみを舐めちゃいけない。初心者向けのボール作りだって、様々なテクニックが使われているんだ。


「それに、出来上がったボールへフェルト生地やビーズで飾りをつければ、可愛いヒヨコを作れるぞ?」

「えぇ? ヒヨコぉ?」


 納得いかないといった様子だけど、俺が作ったボール状のヒヨコの画像を見た途端、瞳を輝かせ始めた。


「カワイイ……」

「だろ? いろんな色の毛糸があるから、アレンジも出来る。……まあ、かのんなら楽勝だと思うけどな」


 少しでも気分を乗せるため、わざとらしく呟いただけなんだけど、意外と本人はまんざらでもなかったようだ。


「フフン! まーかせて! 私の手にかかれば、こんなヒヨコのひとつやふたつ、すぐに作ってみせるんだから!」


 チョロインという言葉が脳裏をよぎったけれど、口には出さず。


 本人がやる気ならそれでいいかと、俺は早速、あみぐるみの手ほどきを始めることにした。


***


 それから三分ぐらい経ったあとかなあ。早くも挫折しそうな、かのんの泣きそうな表情を見たのは。


「えっ? えっ? なぁにこれ? どうやるの? 指に引っ掛ける? どの指に? へ? かぎ針を、えっ? どこに動かしたらいいの、どこやって、えぇ……?」


 頭上からは次から次にクエスチョンマークが飛び出して、ひとりパニックになっている様子が見て取れる。


 ……おかしい。ひとつひとつ、手順を教えているはずなのに、なんで同じように進まないんだろうか。


 俺の教え方が悪いのか? いやいや、お手本を見せて、同じように進めてもらっているだけなんだけどな。


 でもまあ、確かに、糸を手前に引いてとか、かぎ針に糸をかけてとか、言葉にしながら動きを見せたところで、初めての人はわかりにくいか。


 今にも心が折れそうな顔を見やりながら、どうやったらわかりやすいかなと悩んでいると、ひとつのアイデアがひらめいた。


 行動に移るため立ち上がった俺に、かのんが口を開く。


「ど、どうしたの、蓮くん?」


 怪訝そうな表情に何も答えず、俺はそのままかのんの背後へ回り込んで、再び腰を下ろした。


「へぅっ!?」

「こうやって、一緒に手を動かした方がわかりやすいんじゃないかと思ってさ」


 そうして、かのんの背中から手を回し、かのんの手に自分の手を添えて、かぎ針と毛糸を動かし始める。


「あ、あの……」

「こうやって、この指に糸をかけて……」

「そ、その……」

「ここでかぎ針を動かすんだ」

「れ、蓮くん……?」

「そうすると細編みができていくから……」

「れ、蓮くんってば」


 かのんの肩越しに、真っ赤に染まった表情が見えた。


「どうした?」

「どうしたって……その、なんていうか、この体勢……」


 体勢がなんだってと聞き返そうとした瞬間。俺はすべてを悟った。


 これ、背中からかのんを抱きしめているだけじゃないか!


「うぅぅ……」


 気恥しそうにうつむくかのんに、俺は我に返ってバッと腕を離しながら、「悪い!」と声を上げた。


「すまん!! なんというか、教えるのに夢中で、無意識にやっちまった!」

「……」

「なんつーか、オカンモードが出たというか……。と、とにかくすぐに離れるからっ!」

「だ、だめ」


 立ち上がろうとする俺の袖をきゅっと掴み、かのんはかすれる声で囁いた。


「も、もう少し」

「え?」

「もう少しだけ、このままで……」

「で、でも」

「お願い……」


 愛らしい誘いに、俺の理解が追いつかない。


 気がつくと俺はそのまま、かのんを背中から抱きしめ、しばらくの間、その温もりを全身で感じていた。

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