10.カレーとお礼
「ん〜っ!! 美味しいっ!」
いただきますと声を揃えた直後、早速カレーを頬張ったかのんは、歓喜の声を上げた。
「蓮くんのカレー美味しいよ! 今まで食べたカレーの中で一番美味しいっ!」
「それはどうも。野菜もちゃんと食べるんだぞ?」
「はぁい。エヘヘ……。蓮くん、お母さんみたいだね」
何気ない一言が刃となって胸に突き刺さる。今日一日、その事が脳裏から離れなかっただけに精神的なダメージが倍増しているというか。
「……どうしたの?」
「い、いや。なんでもない」
悟られないようにカレーを一口。固形のカレールーは失敗しないから助かるな。
「今朝も手際の良さに感心していたのですが、岡園殿はどこで料理を習われたのですか?」
スプーンを運ぶ手を空中で止め、星月さんが口を開く。そうだなあ?
「習うというより、自然と身についたというか」
「自然と、ですか」
「うん。両親が共働きだったからね。自分でできることは自分でやろうと思ってさ。料理も見様見真似で始めたのがきっかけかな」
「へぇ〜」
「自分勝手に家を出た身としては耳が痛いですねえ、かのん様」
「むぅ……。どうしてそんな意地悪言うかなあ」
「まあまあ。かのんだって夕飯作るの手伝ってくれたんだぞ? この温野菜サラダだって、かのんが用意してくれたんだし」
「なんとっ!?」
「ちぎって洗っただけだけどねえ」
「まさか生きているうちに、推しの手料理が食べられるとは……!」
強引に会話を切り上げて、星月さんは恍惚と一心不乱に温野菜サラダを貪り始めた。そんなに感激することだろうか? この人もいまいちよくわかんないな。
かのんはかのんで、嬉しそうにその様子を眺めていたものの、やがて憂いの混じった表情を浮かべ、それからため息混じりに呟いた。
「あ〜あ。私も蓮くんみたいに料理上手だったらなあ」
「慣れだよ慣れ。そのうち上手くなるさ」
「そうかなあ?」
「そうだよ。最初から凝ったものを作るんじゃなくて、簡単にできるものから作るといいさ」
例えばこのカレーとかね。スパイスを調合する本格派も美味しいけれど、市販の固形ルーは十分すぎるほど美味しいし、最初はそんな感じでいいじゃないか。
そんな風に励ましたんだけど、どうにもかのんの心には響かなかったらしい。
「でもなあ。私が作っても、こんな風に美味しくできるとは思えないもん。蓮くんの作ったご飯、とっても美味しいし……」
落ち込みながらも褒めてくれるかのんの一言に、俺は気を良くしてしまった。
今朝の『あーん事件』だって、誘惑に負けて油断した結果、大変な目にあっていたというのに、それをすっかり忘れていたらしい。
つい、うっかりと、こんな言葉を漏らしてしまったのだ。
「こんなもんでよかったら、毎日でも作るけど」
笑顔で応じた一言に、食卓が固まった。そして次の瞬間、かのんの震える声が耳元へと届く。
「それって……」
「ん?」
「それって、もしかして……。プロポーズ?」
「はい?」
言われて事の重大さに気がついた。……違う違うっ!! そういう意味じゃない!!
「れ、蓮くんが良ければ、わ、私……」
「ちっがーう!! 話を聞けっ!!」
「じゃ、じゃあ私のこと、なんとも思ってないの?」
「そういうわけじゃ……!」
「……はあ、チキンですねえ……?」
「なんだとぅ!?」
「いえ、カレーのチキンが美味しいなと」
それから始まる賑やかすぎる食事の時間。
まったく、幼なじみを持つ人たちは、毎日こんな騒がしい日々を送っているのだろうか? だとしたら、ちょっとついていけそうもない。
「……エヘヘへ。冗談だよ、冗談。ヤだなあ、蓮くんったら真に受けちゃうんだもん!」
ツッコミ疲れて呼吸を荒くする俺に、かのんは可愛らしく舌を出してみせた。冗談にしては本気すぎてタチが悪い。
昨日の星月さんも相当にタチが悪かったけれど、天ノ川家の人たちはみんなこうなのだろうか?
「その話はひとまず置いといて」
「置いとくな」
「まあまあ、話を聞いて。蓮くんにね、ご飯のお礼をしなきゃなって思ったの」
「お礼?」
「そう、お礼。朝から迷惑かけちゃったし」
そんな、わざわざ気にする必要もないんだけどなあと思ったけど、かのんはいつになく真剣な顔で、お礼について考え込んでいるみたいだ。
「……そうだっ! 勉強を教えるとかどうかな?」
「勉強ねえ……。あれ? かのんって頭いいのか?」
「失礼ね。中学の時、英語はトップクラスの成績だったんだから!」
そう言って、かのんはふんすと鼻息を荒くした。確かに才色兼備って言葉が似合いそうだもんな。
とはいえだ。
「テスト前じゃないから、教えてもらう必要なんてないんじゃないか?」
「えー? そんな事言わずにやろうよ、勉強会。幼なじみの定番イベントだよ?」
「なんだそりゃ。というかな、放課後はできるだけのんびり過ごしたいんだよ。中間とか期末前にやろうぜ」
かのんは不服そうに頬を膨らませているけれど、予習とか復習とか柄じゃないし、赤点さえ回避すれば、ひとり暮らしは続けられる。
要は程々が一番なのだ。……と、この時の俺はそんな風に考えていたんだけど。
なんでだろうなあ。予期せぬ事態っていうのは、本当に予想外にやってくるんだよな。
この翌日、とある事情から、かのんとの勉強会が開かれる運びとなったのだった。
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