3.ハグ事件
棒立ちしかできなかった。
いや、一方的にかのんから抱きしめられた俺がって話。指一本動かすことなく、ピーンと身を固めるしかできなかったね。
国語辞典で『棒立ち』を調べたら、その例として掲載されても遜色ないほどに、それはもう、どこへ出しても恥ずかしくないほどの立派な棒立ちだったってわけだ。
ただ、まあ、意識はしっかりと保っていたので、柔らかな身体とか、そこから伝わる暖かな体温とか甘い匂いとか、そういったものにクラクラしながらも、廊下中へ耳をつんざくような絶叫が響き渡ったってことも気がついた。
「キャー!!! 天ノ川さん大っ胆っ!!!」
「でもでも、あんまりカッコいい相手じゃないね!?」
「くっそー! 世の中不公平だ! あんな可愛い子が、なんであんなヤツとっ……!?」
「天ノ川さんの弱みを握ってるとかじゃないか!? そうに違いない!」
一割の興奮と九割の邪推を一身に受けながら、俺は比較的冷静だった。
いや……。あまりに現実離れしすぎていて、好き勝手言いやがってという怒りの感情よりも、何が起こっているのかという戸惑いが勝っていたというべきか。
「お前らなにしてる!?」
意識を引き戻したのは体育教師のヒステリックな叫び声で、それは野次馬たちの喧騒を鎮めるのに一定の効果を果たした。
「学校の廊下でこんな……!」
白昼堂々、新入生の男女が抱き合って――俺が抱きつかれているだけなんだけど、信じてもらえないだろうなあ――いるのだ。流石の体育教師も慎重に言葉を選んでいる。
「は、破廉恥な……。その……、なんだ!? いいから離れろっ!」
スポーツ刈りにジャージ姿という典型的なスタイルの体育教師は、持ち前の言語中枢を懸命に機能させた挙げ句、生徒たちの失笑を誘う注意しか出来なかったようだ。
怒りか気恥ずかしさか、あるいはその両方なのか、顔を真っ赤にさせる体育教師を前に、かのんはようやく離れてみせる。
そして、これで騒動から解放されるのかなと安堵する俺を置き去りにして、体育教師へと冷静に言い放った。
「誤解です、先生。私たち、そんな恥ずかしい真似はしていません」
「だっ! だがっ、現にっ……! お前たちはいま、だ、抱きしめあって……」
「挨拶です」
「はぁっ!?」
「蓮くんは私の大切な『幼なじみ』ですから。私の家では、特別親しい人への挨拶はこうするようにと教育されておりますので」
……いや、どう考えてもムリがあるだろそれ? どんな教育方針の家だよ。
しかしながら、こんなバカみたいな言い訳も、思考が硬直している体育教師には有効だったみたいだ。
「い……、いくら挨拶とはいえ、ここは学校の廊下だっ。他の生徒たちにも示しがつかんっ! 今後は慎むように!!」
あるいはこの美少女の見た目が説得力を持ったのかもしれない。ミルクティーを思わせる淡いベージュ色をしたロングヘアに、透き通る青い瞳。
日本人とは思えないルックスがあるからこそ、無茶苦茶な暴論もまかり通ってしまうのだろうか?
とにかく。反論する術を失った体育教師は、事態の行方を見守っていた野次馬たちへ怒鳴り散らすように解散を命じ、自身もこちらへ一瞥をくれてから、すごすごと引き下がっていった。
……はぁ、大変な目にあったな。
とはいえ、目の前の女の子は微塵もそんな風に思っていないらしい。
にぱーと無邪気な笑顔を浮かべ、俺の手を取り、改めて話を続けた。
「本当に久しぶりっ! 蓮くん、少しも変わってないんだもの。安心したっ」
「ご、ごめん。なんというか、昔のことだから、君のことあまり覚えてなくてさ。その、なんていうかな……」
だってさ、ぬいぐるみを思い出すのがやっとのぐらい、僅かな記憶なんだぞ? 鮮明に覚えている方が珍しいと思わないか?
されるがままだったとはいえ、ここは正直に言っておくべきだろう。嘘をついて、あることないこと覚えていると言ったところで、この子を傷付けるだけだしなあ。
そんな俺に対し、かのんは青い瞳をぱちくりさせて、可笑しそうに呟いた。
「それはそうだよ」
「どういうこと?」
「だって七年前の話だし」
「七年前って……。小学生の頃?」
「うん。それにあの時、お互い自己紹介もしてなかったから……」
……は? 自己紹介してない?
「え? ちょっと待って。それじゃあ君はなんで俺の名前を知って」
「天ノ川かのん」
「はい?」
「私の名前。『天ノ川 かのん』だから。改めてヨロシクね! 蓮くんっ!」
かのんが名乗ると同時にチャイムが廊下へと響き渡る。
「いけない。朝のホームルーム始まっちゃう。蓮くんも戻らないと」
「ああ。う、うん……」
「それじゃあ、蓮くん。また後でね?」
とびきりの微笑みを残し、手をひらひらさせて、かのんは教室へと戻っていく。
えぇ……? なにこれ? ドッキリにしてはタチが悪すぎるほど、モヤモヤしか残らないんだけど……。
とはいえ、解明しようにも授業は始まっちゃうし、入学早々、サボるわけにもいかないもんなあ。
突如として振りかかった数多くの謎を抱え、俺は自分の教室へと踵を返した。
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