病気を治すために魔王を倒さなくちゃならない女の子のお話
永多真澄
病気を治すために魔王を倒さなくちゃならない女の子のお話
「よもや……斯様な小娘一人に、我が魔王軍が手玉に取られておったとはな」
ここは断崖絶壁に築かれた城塞、その名もズバリ魔王城。玉座の間にて私を高みから見下ろす「魔王」なる存在は、確かに魔王情緒溢れる格好をした屈強な老人だった。
青黒い肌にらんらんと光る赤い目、蝋燭の光をゆらゆらと妖しく反射する額の宝玉と、鋭い牙。鋭く先細った長い耳。そして野生の山羊のような、ねじくれた角を生やしている。
なるほど。これはステレオタイプに典型的な魔王だ。日本人が思い描く一般的な魔王像の最大公約数を取ったら、たぶんこんな感じになるだろうな。そんな風貌だ。
対する小娘こと私は、衣料量販店のバーゲンで買った安物のロングTシャツに黄色いジャンパーを羽織り、Gパンにスニーカーといういで立ち。いわゆるボーイッシュなコーディネートである。
顔立ちは典型的なモンゴロイドで、こちらはこちらでステレオタイプに日本人。顔のつくりは、まあ、少しはいい方だという自信もなくはない。
どうよく見積もっても、休日のショッピングモールをウロウロしてそうな、普通の女子だ。とはいえここは魔王城なので違和感はバリバリ。ドレスコードも何もあったもんじゃない。
「ええと、まあなんていうかそんな感じで。あのー、別にこっちも魔王さんをどうかしたいわけじゃないので、ここは
まいったなあと、私は後頭部をがりがりとかく。少々はしたないけど、最近鉄火場ばかりだからそういう感覚も薄れてきてしまう。とりあえずこちら側からの要求は伝えたので、あとは魔王サイドの返答待ちなのだけれど。
魔王は黙したまま、クイッと顎をしゃくる。突然右手側から、青い甲冑に身を包んだいかにも強そうな騎士が剣を振り上げて襲いかかってきた。身の丈3メートルはある。身に纏っている鎧もけっこう高級そうだし、きっと名のある将軍なのだろう。交渉は決裂したようだ。
「これ、正当防衛ですからね」
ヤレヤレと嘆息しながら、言い訳交じりに右手の指をはじく。いわゆる指パッチンだ。乾いた音が広々とした玉座の間に響き渡る頃には、目前まで迫っていた青い騎士はコマ落ちのようにその場から掻き消えていた。
因果律的なのをアレコレする魔法のちょっとした応用だ。魔力をたくさん使う上に周囲に被害が及ばないので、魔王軍との戦いの中では割と重用してる。
ン~、魔力がごっそり抜けてく感覚が気持ちいい~。
「ハイ・ロード・ナイトのゴヴァルト様が……!」
どうもさっきのは結構な実力者だったらしい。それを手品のように消してしまったので、魔王サイドの重鎮たちはざわざわと動揺を始めた。ようやく危機感が沸いてきたっぽい。遅いんだよなぁ。
「鎮まれ」
嗄れ声ながらよく通る魔王の鶴の一声で、重鎮たちは凍り付いたかのように静かになった。実際凍り付いちゃったのもいるっぽい。いや、あれは元からか。ああいう種族なんだな、うん。
いやあ、これがカリスマってやつか。と感心する半面――とても残念だ。
魔王は玉座から立ち上がり、黒く禍々しいオーラを立ち込めて死の王杖を掲げる。完全にバトる気じゃん。
「あー、そうなりますかー……」
盛大に溜息を吐く。向こうがやる気なので、仕方がない。不本意ながら実力行使だ。一応こっちも肩を回してやる気をアピールしておくが、本音を言うとすごく面倒くさい。主に事後処理が。
さて。私はつい最近まで、何の変哲もない女子高生だった。何なら病弱な部類の。それが何ゆえ、こんなところで魔王なんかと対峙しているだろうか。
それを説明するには、時間を少しばかり遡らねばならない。
///
私は、幼い頃から虚弱体質のきらいがあった。
運動神経が悪いというワケではない。そこはむしろ抜群だ。体育の成績で5以外をとったことはないし、スポーツテストも常に校内最上位。そもそも体を動かすのが大好きだし、あんまり自慢することじゃないけど、喧嘩も強い。そこそこの男相手でもサシで渡り合える自信がある。
だというのに、私はやはり虚弱体質と言わざるを得ない。
というのも、私は原因不明の難病に侵されている。ときおり前触れなくがたんと体調を崩すと、そのままグズグズと1週間ばかり寝込む羽目になるのだ。いくつかの病院をハシゴしてみたけど、どの医者も最後は匙を投げた。
生まれてこのかた、私はそんな奇病と闘い続けている。
そして今、まさに私は闘争の渦中にあった。全身を酷い倦怠感がねっとりと包み、快復の兆しは見えない。二日前に体調を崩してからというもの、ずっと病床に臥している。
今回のは、いつに増して酷い。
酷いと言えば酷いついでに、私は病床で16歳の誕生日を迎えた。予定であれば、気の置けない友人たちと話題の映画を観に行こうと画策していたというのに。全部おじゃんだ。
私は緩慢な動きで携帯電話を閉じた。友人たちから送られてきた見舞いと誕生祝いを兼ねた電子メールが、今は唯一の慰めだった。
我が家は父子家庭であり、この時間、父は私を養うために働きに出ている。父と二人暮らしのこの家は、私一人だと空々しいほどに広く、寒い。私は微かに掛け布団を引き寄せた。
何日も立て続けに病床に臥せりっぱなしというのは、寂しさもさることながら耐え難く退屈だ。体力を根こそぎ持っていかれた体はしきりに休眠を訴えて来たが、昨日一昨日とですっかり眠気は使い果たしてしまっている。こうも日が高く上った昼間ともなればなおさらだ。いくら静かに目を閉じていても、ひどい耳鳴りでまったく眠れる気がしない。かといって寝台から起き上がるのは酷く億劫で、何をする気も起きない。友人たちへのメールもすでに送り返してしまったし、寝ながらにしてできるような趣味の持ち合わせは、もう何もない。
私は父と二人で暮らしている。母はいない。私が2歳だったかの頃にはもう、とっくにこの世を去っていた。だから私には、あまり母の記憶がない。
優しい人だった、という淡い印象はあるけれども。それも私の願望と、父の語る母の昔話から捏造した記憶な気もする。
もし母が存命だったら、私に付き添って退屈を紛らわせてくれたりしたのだろうか。なんて益体もないことを考える。考えてしまう。
いっそ、枕元にでも立ってはくれないだろうか。少なくとも、一人でこの空虚な時間を過ごすよりは、万倍はマシだと思える。
「母さん、どんな人だったんだろう」
ここ数日、ほとんど言葉を話す機会が無かったから、声はすっかりしゃがれ気味だ。かすれ声の独り言はそのまま散り散りとなって、当たり前だけど答えるものはいない。虚しさだけが募った。
「えーっ、教えてほしいのー?」
いや、いた。何者かが、私の問いに答えた。私は数秒の間ぼーっと呆けて、実に16秒後にビクリと体を震わせた。
なんだ、何の声? この家には今、私一人だけだ。父はまだ帰ってないし、そもそもさっきの声は父と全く違う。いまだ幼さの残る、子供の声だ。しかもおそらく、女の子。
背中に寒いものが下りた。病気のせいじゃない。怠さの極まる体をおして、私は掛け布団を跳ね上げて上体を起こそうとした。
「あっ、まって。そんな急に動いちゃダメよ」
という言葉とともに、やんわりと上体に圧を受ける。血の気が引く。私は叫びだしたいのを必死にこらえて、目だけで部屋を見回した。
頭上に目を向けると、少女が私を覗きこんでいた。しかもその少女は、うっすらシースルーで頭越しに天井が透けて見えている。さすがに心臓が止まるかと思った。
「おっオバっ! オバッ!? 」
「失敬な、まだまだオバさんってよばれる年じゃありませんよ!」
枕元に半透明の少女。紛れもない怪奇現象。アンビリバボーだ。声が引きつる。しかし当のシースルーガールは、この状況でなぜそう解釈したのか、頬を膨らませた。そうじゃねえ。
「そうじゃなくて! オバケだああ!! って驚こうとしたの! ていうかこの状況じゃそれ以外考えらんないでしょ! 大丈夫だよ十分若いから!」
若いというか幼い。いや、私は何を冷静にツッコんでいるんだ。いや、そもそも冷静じゃないからツッコミに走ってるのか。
ただでさえ疲れてるのに、どっと疲れが上乗せされる。シースルーちゃんは「十分若い」というあっからさまなお世辞に見事に釣られてニコニコしてる。すでに怖さ成分は完全に揮発して、今はひたすら面倒くささだけが沈殿していた。
「ていうか! あんたナニモノ? 幽霊?」
「あ! そんな口聞いちゃって! もー、お母さんに向かって『アンタ』なんていうんじゃありませんっ。反抗期? 反抗期なの?」
……何やら聞き捨てならない単語が含まれていた気がしたが、幻聴だろう。そういえば、金縛りにあっている最中は幻覚を見やすくなるらしい。つまりこれもそういう類か。なんだバカらしい。正体見たるは枯れ尾花、お父さんお父さん魔王が来るよってか。我ながらアホみたいな幻覚を見たものだ。ヤレヤレ。疲れてるんだな。さっさと寝ちゃお。
「ま、まってよう! 寝ないでよう! そんなあからさまにママのこと無視しないでよう!」
幻覚はなおも何やら喚いているが、知ったこっちゃない。というか眠れないので、さっさと退散願えないかな。少女特有の甲高い声が、非常に耳障り。
だいたい、明らかに私よりも年下じゃないか。私は父を尊敬してるけど、あんなのを手籠めにしたってんなら父の良識を疑う。ロリコンのレッテルを張らざるを得ない。
「おーきーてー! ねえおーきーてぇー!!」
幻覚は相変わらず喚いてるし、心なしか体をゆさゆさと揺すられてる気がするけど、気のせいだ。私は鉄の意志でそう断じた。
布団を耳まで引っ張り上げて、私は絶対睡眠の構えをとった。3分でカタを付ける。
さーて、まったく眠くないけど気合い入れて寝るぞー!
///
目が覚めた。すっかり寝入ってしまったようで、カーテンを引きっぱなしの窓からは薄ら青い月光が滲んでいた。しっかりと睡眠をとったはずだが、いまだ体の随所に倦怠感が残る。今回のは本当に厄介だ。
枕元を見る。幻覚は消えていた。ほっと胸をなでおろして、ついでに時計も見る。デジタル時計は午後10時を指し、私の腹時計は空腹を訴えていた。
10時ともなれば、父も帰ってきているだろう。私はまるで力の入らない体に喝を入れて立ち上がると、階下の台所を目指す。この時間なら、父は晩酌の最中のはずだ。
えっちらおっちら階段を下る。病み上がりどころか絶賛病み中の身にはこれすら重労働だ。リビングのほうを見れば、電気がついてる。父は帰っているようだ。壁伝いにのろのろと歩いて、扉に手をかけたとき、ふと気付いた。
話し声がする。
片方は間違いなく父だが、もう片方は聞き馴染みの……ない女性の声だ。細かい内容は聞き取れないけど、二人は実に穏やかに談笑を交わしているらしい。
父にもようやく春の再来か。私は嬉しくなった。母が死んで10年以上経つというのに、新しい人を見つける兆しが全くなくて私もやきもきしていたところだ。
父は年齢の割には童顔で、娘の私が言うのもなんだがそこそこ、いやかなりのイケメンだ。しかも東証一部上場の貿易会社の社長。モテないわけがない。
当然、父とお近づきになりたいという女性は過去に数多くいた。私が知ってるだけでも100人はいる。イケメンってのは罪だね。ところが父は、今まで再婚はおろかお付き合いすらしたことが無い。ひとえに亡き妻に操をたてているからだ。
美談なんだろうけど、父のためを思うと、やっぱり新しい奥さんをもらって幸せになってほしい。
私ももう子供じゃない。いや、子供なんだけど、少なくとも法律の上ではもう結婚だってできる。父と
生活費は父にたかるとして、家事に関してはずいぶん鍛えてきた。父が忙しかったり、不在だったりした時は、家事の一切が私の仕事となったからだ。掃除に洗濯、料理にその他をひっくるめた家事スキルは、そこらの女子高生とは比べ物にならないほど高いと自負してる。
……いや、ずいぶんと先走っちゃった。しかしそれだけ、父が家に女の人を連れ込んだのが嬉しい。私がお嫁に行ってしまったら、父は一人になってしまう。そんな寂しい思いはさせたくない。ずっと先だが、父の老後の面倒を見てくれる人だって必要だ。そんな打算的な考えが無いわけじゃないけど。
邪魔をするべきじゃない、立ち去ろうと理性が訴えるが、しかし好奇心は疼きだし、熾烈な決闘のすえ好奇心が勝った。いけないこととは知りつつも、引き戸を細く細く開いて室内を覗く。
まず見えたのは、父の後頭部。そろそろ四十路に差し掛かりつつあるというのに、白髪の一本もない若々しさだ。が、確認したいのは父の後頭部ではない。その対面に座っているであろう女性だ。父は童顔のくせに体格がいいから、お相手の姿をすっぽりと覆い隠してしまっていた。
せっかく覗き見に踏み切ったのだ。このまま引き下がっては面白くない。私は身をよじって、何とか父の向こう側を垣間見ようと試みる。気づかれないように、そろりそろりと戸を開く。
もう少し、もう少し……見えた!
父の対面に座っていたのは、長い髪をストレートに下ろした、いまだあどけなさの残る――
向こう側が若干透けて見える少女だった。
「って、お前かよお!!!」
私は戸をぴしゃりと開いて、全身全霊でツッコミを行い、そのまま気絶した。
///
気が付くと、ベッドの上だった。さっきのは、夢か何かだろうか。ん、多分そうだ。夢だ。現に今、私はベッドに横たわっている。枕元の時計を見た。半透明の少女越しに、デジタル時計は午前12時を指している。いつの間にか日付が変わってたらしい。
体の疲れはまだ色濃く残っていた。どうもこれは明日まで持ち越しそうで、嫌になる。出席日数が足りなくて留年でもしたらどうしよう。成績は中の上か上の下くらいをふらふら漂ってるから、情状酌量の余地はあるだろうけど……とにかく、一刻も早く体を治すためにも、今日はもう寝てしまおう。
それじゃ、おやすみグンナイ。
「ちょ、ちょっとまってよう! なんでそんなすっごくナチュラルに無視できちゃうの!? わが娘ながら恐ろしいよ!」
耳元で喚くな。こちとら花の高校生活が掛かってんの。さっさと寝かせてほしい。それにアンタが母さんとかこれっぽちも納得できないので考えたくないんです。それじゃおやすみ。
「意地を張るのはそれくらいにして、母さんの話も聞いてやってくれんか」
すっかりおやすみモードに突入していた私の意識を引き上げたのは、よく聞きなじんだ父の声だった。私はしぶしぶと頭を布団から出す。父は、寝台の横に折り畳み椅子を開いてそこに座っていた。
「……ていうかさ、『母さん』ってどういうこと? この」
半透明ガールを顎でしゃくった。
「シースルーのやかましい子が、本当に私の母さんだっていうの?」
向こうが透けてる女の子は、露骨にむっとした顔になって何かまたわめき散らそうとしたようだったが、それは父が制した。
「そうだ」
父は意味深に答えた。
「それは、その、いずれ父さんが結婚する人だから、結果的に私の母さんになるってこと?」
どんどん逃げ道をふさがれている気がする。しかし私には、尋ねることしかできない。
「いや、違う。彼女は正真正銘、お前の産みの母親だ」
コマを埋め尽くすくらいのオノマトペで「ガーン!」と頭をぶん殴られたような気分になった。
ルーク・スカイウォーカーの気分だ 納得しがたい事実が、一切の遠慮なく
「父さん、母さんは死んじゃったって言ったじゃん! なんで生きてるのよ! あっ半透明だから死んでるのか!?」
華麗に自己完結が決まって、私は頭を抱えた。シースルー子あらため母が、「大丈夫?」などと言いながら背中をさすってきたが、それを振り払う気力すらなかった。それを見計らったかのように父は口を開いた。
「……お前に大事な話がある。病気のことだ。母さんのことや俺の過去も関わるから、結構な長話になる。聞けそうか?」
「そんないきなり……えぇ? そんな畳み掛ける? いや、もう……うん。わかったよ。聞かせて」
父は、普段は陽気で少しおちゃらけた人だ。それがこうして張りつめた雰囲気を纏っている。異常事態だ。私は頭を抱えた。
父はこくりと頷くと、昔を懐かしむように一瞬遠くを見てから、キリリと表情を引き締めた。
「昔……俺がまだ、お前ほどの歳だったころ。俺は異世界で勇者をやっていた」
「まって」
///
……頭が痛い。主に精神面からクるやつ。父がとつとつと語った昔話をまとめると、まさに昔話と言っていいほどにファンタスティックで直球オカルトだった。もうマジ荒唐無稽。
曰く。父は17歳の春に家族旅行で乗り込んだ飛行機が空中分解し、その拍子に異世界のとある王国に召喚されたのだという。しかも勇者として。
当時の異世界は戦乱のさなかにあった。世界征服を目論む魔王軍が大侵攻に打って出ており、戦いは激化。父は人類側の切り札という大役を背負わされた。
この時点ですでにぶっ飛んでいる。自分でも何言ってるのかいまいちないんだけどとりあえず続きを聞いてほしい。私の頭を整理する意味も含めて。
さて。父は王国最強の能力を誇る5人の仲間とともに、魔王軍の侵攻を食い止めるために過酷な最前線を転々とし、戦いに明け暮れていたそうな。
そんな極限状態の中で、父はパーティメンバーの大魔法使いと恋に落ちた。吊り橋効果ってやつね。その大魔法使いは王国のお姫さまで……まあ、言わずもがな、それが母だそうだ。
つまり私の枕元で父の昔話をうっとりした風に聞いている半透明母さんである。とてもしんじられない。
勇者御一行は行く先々で局地的な戦況をひっくり返していたのだけど、点の戦力でしかない父らの奮戦虚しく、面でもって押し切った魔王軍に王国軍は追い込まれたのだそうな。
その後3年にわたり勇者一行は戦い続けたものの、苛烈な戦いの最中にメンバーが一人欠け二人欠け、最後に両親だけが残ったと。そのあたりで王国軍は壊滅、王都は速やかに魔王軍に制圧されたらしい。
で、国王自らが出陣して時間を稼ぐ中、父と母は最後の希望として世界を渡ることになったのだそうな。娘だけでも平和な場所に逃がしてやりたいって言う、王様の親心もあったんだろうな、と父は語る。おじいちゃん、どんな人だったんだろうな。
さて。そんなわけで炎に包まれる王城からすんでのところで世界渡りをした二人は、父の元いた世界、つまりこの世界に帰ってきた。当然父は死んだことになっているわ、高校を退学扱いになっているわ、家族は飛行機事故で全員亡くして天涯孤独の身だっわと、苦境オブ苦境。それでも独学で勉強して大検をとり、短大を出て今の会社を立ち上げたらしい。
在学中の学費や生活費は、奨学金を利用したり王国の宝物庫から持ってきた秘宝を質に入れて糊口を凌いでいたらしく、こっちの世界の出来事である分、まだ想像しやすい。父さん、なかなか壮絶な人生を送ってたんだなあ。
ちなみに在学中に母の妊娠が発覚して、立ち上げたばかりの会社で悪戦苦闘している時に私が生まれたそうだ。やることもしっかりやっていたということだろう。
その頃はハチャメチャに忙しかったけれど、とても充実して幸福なひと時だったと父はしみじみ語る。
しかし、その幸福も長くは続かなかった。私が生まれて1年ばかりたったころ、突然母が倒れたのだ。
魔力排出障害。
母の元いた世界には、「魔法」というテクノロジーがあった。それは自らの体内を流れる「魔力」というエネルギーを媒介にして、質量保存の法則をまるで無視した現象を顕現させる技術である。扱える魔力の量が大きければ大きいほど、魔法の効果は高まる。
母は、大魔法使いと呼ばれるほどの魔法の使い手だった。必然的に魔力の総量も国内随一と言われるほどには多く、それが災いした。
「魔力」は魔法を使うために重要で、必要不可欠なエネルギーであったが、それと同時に「毒」でもあった。
魔力は何もせずとも一日に一定量が蓄積していく。それだけを見れば一種の永久機関だが、厄介なことに個のキャパシティを超えても魔力の累積は止まらない。魔力は自然に排出されず、ひたすら溜まり続けるのだ。
排出されず、キャパオーバーした魔力は「淀む」。これが体に様々な悪影響を及ぼし、最悪の場合死に至るのである。とはいえ母の世界では、排出障害で死ぬことはめったにないのだそうだ。
なぜならば、向こうの世界は「魔法」を技術基盤にした社会であるがゆえに、数年も「魔法を使わない」ということがまずありえないからである。つまり淀む前に使いきれるわけだ。
しかし、母の場合はそれが上手くいかなかった。
ご存じのとおり地球では、「魔法」という概念は存在しない。いかな大魔法使いで鳴らした母であれど、地球で魔法を使うことができなかったのである。
ゆえに異世界からやって来た母は、「魔法」が使えないのに「魔力」だけは溜まっていく歪な状況に置かれた。私を出産したときに魔力を分け与えたおかげで一時は時間を稼げたそうだが、それでも結局間に合わず、母は魔力排出障害を患って倒れた。
このままでは母は死ぬ。それを悟った父と母は、ある決断をした。王国の宝物庫から持ち出して、最後まで質に入れなかった、すすけた鏡のような秘宝「
その秘宝は名前の通り、空間と空間を、世界と世界を繋ぐゲートを形成できる道具である。持ち出した他の魔法の道具はこの世界に来てすぐただの芸術品になり下がったが、向こうの世界と繋がりを保っていたおかげか、これだけはかろうじて動かすことができた。父と母の世界渡りに際しても使用されたものだったから、使い方は二人にもわかった。
父と母は、この世界渡りを行う際に通る「狭間世界」に目を付けた。狭間世界は時間の流れが凍結した無明の世界であり、ここに母を安置することで時間的冷凍睡眠を施そうと試みたのである。しかして、その試みは成功した。
こうして母の肉体は狭間空間に封印され、意識だけが
要するに、母は死んでいなかったのだ。
幼い頃、私はよく父に母の所在を尋ねた。決まって父は「母さんは遠い世界にいるんだよ」と答えていたものだ。成長した私はそれが死のメタファーだと悟っていたのだけど、まさかそのままの意味だったとはおそれいる。
……というか、あれで18歳なのね。幼すぎない?
ていうか、16の時に私を産んだということは、やっぱり父はロリコ……いや、やめよう。誰も得をしない。こんな話は。
波瀾万丈もいいとこな昔話を聞かされて、半ばグロッキーなところで、ついに私の病気についての話となったのだが……ここまで説明されればいくら察しが悪くたって察しはついた。
「わたしも、魔力排出障害ってワケ?」
「ああ」
父は沈痛な面持ちで肯定した。私は二の句を継げない。そりゃそうだ。末期癌を告知されたようなものだからだ。このままでは遠からず、私は命を落とす。現在進行形で重い体調不良に苛まされている最中だし、妙に真実味があった。
「……一つだけ」
がっくり肩を落とす私を真正面から見据えて、父が口を開いた。私は顔を上げ、父を見る。父の目は、決意の目だった。
「おまえの魔力排出障害を治す方法が、一つだけある。ただそれには本当に多大な危険を伴う。……でも、その方法を聞いたら、お前は迷いなくそれに手を伸ばすだろうな。そういう性格だ。母さんに似てな」
なんだか面映ゆい。バックアップ母さんがニマニマしているのは少しイラっとしたけども。
父は続けた。
「だから、最後に確かめておきたい。その方法、聞くか?」
「教えてよ」
即答。
「即答だな」
「即答ね」
両親が声を合わせた。仲のよろしいことで。
「当たり前でしょ。生きるか死ぬかが掛かってるんだ。どんな方法だって、やってみる価値あるよ」
私は目いっぱい父を睨みながら、決意を表明する。父は疲れたように笑って、「やっぱりなぁ」と言った。
「いいだろう。おまえの魔力排出障害を治す唯一の方法、それは……」
父はおもむろに、少しだけ勿体つけながら、一語一語かみしめるように言う。
「それは……?」
私は覚えず、ゴクリと喉を鳴らした。固唾をのんで、父の言葉の続きを待つ。
父はカッと目を見開いた。
「魔王の、討伐だ……!!」
「まって」
///
父の話を要約すると、つまり、
こっちの世界に帰ってくるには魔王の持ってるはず(ここが不確定要素である)の
そんなんできるんか、と問えば、父はできると不敵に笑う。
なんでも幼いころから慢性的に魔力排出障害に罹っていた私は、成長に伴って負荷がかかった分魔力総量が向上していたらしく、大雑把に見積もって、大魔法使いと謳われた全盛期の母の、百万倍の魔力を行使できるらしい。
……百万倍ってなんだよインフレすぎだよ。せめて百倍くらいで抑えておけよ。そりゃ辛いわけだわどんだけ淀んでんだろうね私の魔力!
とにかく、それだけあれば魔王相手だって十分立ち回れるだろうというのが父の目算である。
「私、魔法とか全然知らないんだけど」
「俺ですら1か月ほど練習したら超広範囲消滅魔法とか使えるようになったし、母さんの血を引いてるおまえなら何にも心配いらんだろ」
皮算用もいいところでは……? 私は訝しんだ。
「そんな大層な魔法が使えたのに父さんは負けたんでしょ」
「ごもっともだが、その辺の対策もばっちりだ」
私の反論に、父は胸を張った。
「ちょっとこれを見てくれ」
そういって父がを手渡してきたのは、表紙にでっかくマル秘が打たれたファイル。こんな堂々と書いてあったら隠す時大変じゃない?
パラパラとめくって、見なかったことにした。
いやアカンでしょコレ。え、いやアカンでしょ。
そのファイルに綴じ込んであったのは、父の会社がナイショで扱う、ちょっと公にはできない先端から火を噴く鉄の筒のリストだ。花火かな?
さらには、お付き合いのあるちょいとばかしアンチソサエティーな構成員の方々のリストもある。
公安とかに見つかったら一発で人生ドブに捨てられるレベルの情報である。私は表情筋が死に、背筋が縮み上がる思いをした。
父は語る。
「前回は圧倒的に兵隊が足りなかった。だから今回は、多くの兵隊と、近代的な武器を投入する。大陸とのあれやこれやで
なるほど、一理ある。あるのか……? もうよくわかんない。これじゃどっちが悪者かわからないな、と私は大きくため息をついた。
数日後、私は元勇者の父と依然スケスケな大魔法使いに導かれ、
///
で、今に至る。
私の足元には、頭を踏んずけられた魔王が気を失って転がっている。重鎮の方々はもう抵抗する気力も残ってないみたい。なんかみんなへなへなと床に座り込んじゃってる。人の形してない系の幹部さんもまあうまいことへたり込んじゃってまあ。
魔王との一大決戦は、なんか回想している間に決着がついてしまった。
腐っても敵国の王様だ。殺すのはまずかろうということでひとまず足蹴にして拘束しているが、社会的な地位は完全に死んだかな。女子高生に踏まれることに喜びを見出すような性癖の持ち主でもない限り、これは屈辱だろう。
ま、その辺は私にとっては知ったことではない。母の故国から奪った
結局、2ヶ月で全部のカタがついてしまったことになる。病状の悪化から転校という
とりあえずこっちでバカスカ魔法を連発したのでもう魔力排出障害を恐れることはないし、それが原因で自粛していた県外旅行なんかもみんなで行ってもいいかもしれない。
すっかり白目をむいて伸びている魔王をしり目に、小説や漫画のような血沸き肉躍る対決というのを一回はしてみたかったな、と。私は少しばかり残念に思った。
病気を治すために魔王を倒さなくちゃならない女の子のお話 永多真澄 @NAT_OSDAN
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