うどんキック!

神伊 咲児

第1話   うどんキック!


「たは〜〜〜〜〜!」


 僕は絶望のため息を吐いた。


 だってさ。


 選ばないといけないんだ。


 オッパイが大きいグラビアアイドルをスマホの待ち受けにするか、みんなのランドセルを次の電信柱まで運ぶか、を。


 学校帰りに始まった缶蹴りで、僕が蹴った缶が道を外れて田んぼに落ちてしまった。


 だから今、その選択を迫られている。


 もちろん。


 選ぶのはランドセル。


 クラスの女子に嫌われるのだけは、絶対に避けたいからだ。



◇◇◇◇◇◇



 3度目のチャレンジ。



カラン、コロン……。



 空き缶は左側に飛んで、無情にも道を外れて田んぼに入ってしまった。

僕は天をあおぐ。


「たは〜〜!」


 男連中は手を叩いてはやし立てた。


「便所!便所!白太しろたは便所ッ!」


 缶蹴りで、蹴った缶が道からそれることをこの地域では『便所』と呼ぶらしい。

 1番喜んでいるのはリーダーの黒皇くろおくんで、場を仕切るように言い放つ。


「また、白太が便所やけん。荷物持ち担当やの。それか、おねーちゃんの待ち受けにするかいの?」


 ニヤつく黒皇くんに、僕は首を横に振った。

彼は3人分のランドセルを集めて僕に渡す。



お…重い……。


 華奢きゃしゃな身体にこの重さはキツイ。

なにせこれは3回目の便所なのだ。もう体力の限界。

脚は八の字になって、座り込むのをかろうじて耐えた。

ひざは上がらず、前に進むのは地面をこする。もう亀よりも遅い。

腹の底から情けない声がひねりあがった。


「たは〜〜〜〜〜〜〜」



 その声で、また男連中はゲラゲラと笑った。



 香川県綾川町かがわけんあやがわちょうは自然豊かな田舎町。

1か月前、じいちゃんの面倒をみるということで、僕たち家族は東京からこの町に引っ越してきた。



 家はうどん屋だ。



 僕たち家族はうどんが大好き。東京でもうどん屋を営んでいた。

家の神棚にはうどん粉をお供えするほど、うどんを大切にしている。

 香川といえばうどんが有名。

僕たち家族にとってこんな素晴らしい場所はない。

 父さんは古いスナックを改装して店を開いた。お金がなくて、スナックの回転する丸椅子をそのまま利用しているヘンテコなお店だけれど、味の評判は上々で、毎日、行列ができる。



 素うどん一杯200円。



 麺は独特で、手打ちならぬ、足踏あしふみうどん。うどんの生地を足で踏んでこねる。

じいちゃんの代からずっと続いているやり方。父さんも引き継いだ。

表面はモチモチと透き通り、強いコシがある。


 ダシはイワシ、サバ、煮干しに真昆布でとり、薄口醤油で塩味をつける。

隠し味は言いたくないのだけれど、ハチミツを少し。深みがあり、飽きない味になる。

 ネギの風味がそのダシを更に引き立たせて、七味をかけても格別。



ああ、想像しただけで食べたくなってきた。




 今は学校帰り。

 クラスメイトの中で群を抜いて活発な黒皇くんと一緒に帰ることになったのだけど、通学路には自動販売機が一箇所だけあって、そこから缶蹴りが始まっていた。

全員で缶を蹴って、そこまでの歩幅を競う。

道を外れてしまったら『便所』と呼ばれるペナルティ。歩幅を測るまでもなく、無条件で最下位が確定する。


 だから今はランドセルを運んでいるってわけ。


「また白太やん!ウチはもう嫌やわ」


 かん高い声を出したのは、クラスで1番人気の清音きよねちゃん。


 僕の鼓動はドキドキと激しくなる。


 彼女はサッパリした性格で友達が多い。いつもミニスカートを履いていて、そこからうどんみたいに細くて白い脚をスラリと出す。サラサラの長い髪が揺れると男子はメロメロになった。


 清音ちゃんは自分のランドセルを持って、1人だけスタスタと歩き始める。

黒皇くんはそれを止めるように横を歩く。


「白太は便所なんやからランドセル持つんはルールやけん。それかオッパイの大きい水着のねーちゃんの待ち受けにせんとダメやけんの!」


 清音ちゃんは顔を赤くした。


「最低…もうウチ、缶蹴りやめるわ」


 黒皇くんは食い下がる。


「ちょい待て!お前がやめるんと、白太がランドセル持つんは、話が別やろ?」


 黒皇くんは清音ちゃんと一緒に帰る理由をなんとか作りたいようだ。

応援しているわけじゃないけど、僕のせいで友達同士が喧嘩けんかするなんてありえない。

ここはなんとしても運ばなければ。


「うんしょ、うんしょ…ふぅ…ふぅ……」


 僕はラマーズ法のように息を吐いた。

自分を含めると4人分のランドセル。

胸と背中、両手にそれぞれ一個ずつ。それを次の電信柱まで運ぶ。

清音ちゃんの分が無いから幾分いくぶんマシ。

とはいえ3回目。しかもまだ半分の距離だ。


 黒皇くんたちは次の缶蹴りを始めて、それぞれ歩幅を測っていた。


 急に背中が軽くなる。


 振り返ると清音ちゃんが僕のランドセルを持ってくれていた。


「持ったげるよ」


 そう言ってニコリと笑う。

もう天使にしか見えない。


 僕の心臓はドキドキ。真っ赤な顔が恥ずかしくて、お礼を言うついでに頭を下げてそのままにした。

 黒皇くんは目敏く見つけて声をあげる。


「あ、コラッ!清音!てめー白太を手伝うな!」

「ルールに無いでしょ!んベー!」


 しかめ面に舌を出す。その姿もただ愛らしい。

 

 僕と清音ちゃんは並んで歩くことになった。


「白太は缶蹴り下手やねー」

「ハハハ、黒皇くんたちはサッカーやってるからさ。かなわないよ」


 トンチンカンな返答。

 そもそも便所になる実力なので、相手の実力は関係ないのだ。

日頃から自分の運動音痴に劣等感があって、運動神経抜群の黒皇くんはうらやましいと思っている。だから、こんな所でも思わず皮肉が出てしまう。

そんな答えでも深く追求しないのが清音ちゃんなのだ。


「じゃあ、サッカー部に入ってさ。黒皇たちと一緒にやれば?缶蹴りも上手くなるけんね!」

「無理だよ……僕、鈍臭いしさ。黒皇くんたちには嫌われてるだろうし………」


 東京から引っ越して来た僕は、疎外感そがいかんを感じていた。

清音ちゃんは笑う。


「アハハ、そんなこと思っとったん?嫌ってないって。黒皇は昔からあんなよ」


 僕は清音ちゃんの気持ちにうれしくなった。

清音ちゃんはそよ風に髪をなびかせて言う。


「白太が入部したら、ウチも女子サッカーやろうかな?」



 僕の心臓の鼓動は、はちきれんばかりに大きくなった。

血流が速くなっているのがわかる。


もう顔は真っ赤だ。


思わず顔をそむける。


「左脚ゴツくない?」

「へ?」


 突然の質問に、間の抜けた返事をする。


 清音ちゃんは首をかしげた。


「もしかして左利きなん?脚?」

「え、あー。なんていうのかな…」


 僕が戸惑っていると、清音ちゃんは手を叩いた。


「あー、もしかして右脚で缶蹴りしてたから便所になるん?左脚使ったらええのに、なんで使わんの?」

「これは、その…うどんをこねてるから…」


 足踏みうどんなんて、伝えるのは少し躊躇ちゅうちょしてしまったけれど、香川県民なら、受け入れてくれるだろう。

案の定、清音ちゃんは喜んでくれた。


「へぇー!今時、足踏みうどんなんて凄いこだわりやね!しかも、そんなにももに筋肉つくなんて、どんくらい作るん?」

「ま…まぁ父さんの手伝いをやってるだけだけどね。1日10万玉まんたまくらい作るかな?」


 清音ちゃんは目を丸くする。


「じゅ…10万玉?!!お、お店やってるん?てか、工場なん?」

「店もやってるよ!あとはネット販売かな?あ、僕と父さんだけじゃないよ!母さんもやるから!」

「いや、3人でもキツイッて!」


 フォローを入れたつもりが、1日10万玉というのが気になって仕方ない様子。

僕の左脚から目が離せなくなっていた。


「それでそんなに左脚に筋肉がついとるんやね……。でもさ、普通、足踏みうどんは両足でやらん?」


僕は思わず笑ってしまう。


「両足なんか使ってたら間に合わないよ。左足で連打して次のうどん粉をこねないと!」

「いや、当たり前のように言わんでよッ!」


 確かに片足でうどんをこねるなんて、うちの家系だけかもしれない。じいちゃんの代から受け継がれてきたやり方だった。父さんも左脚だけアスリート並みの筋肉だ。思えば母さんも……


 興奮冷めない彼女は矢継やつばやに質問。



「いっ…一体、こねるのにどんくらいの時間をかけるん?」

「早くて8時間かな?」

「早くてッ!?………機械にすればええのに…」




 機械という言葉に僕の目は鋭く光った。


「ダメだよ。うどんは命の次に大切な物だからね。丹誠込めて自分の脚を使わないと」

「フフ…白太はうどんが本当に好きなんやね。まぁ、ウチもうどん大好きやけんね。一緒やね」


 清音ちゃんが笑ってくれると、持っているランドセルが何倍も軽くなった。

 清音ちゃんは空を見上げてひらめいたように言う。


「もしもさ、その左脚でサッカーボール蹴ったらもの凄いことにならん?」


 僕は首を振った。


「ならないよ。だって左脚はうどんの為にあるんだから」

「えー、見せてーよ。うどんキック」


 僕は思わず吹き出す。


「うどんキック???」


 清音ちゃんも笑う。


「そう、うどんキック。素敵なネーミングやろ?」

「素敵なもんか!」


 もうたまらない。


「「アハハハハハーー!!!」」


 2人の笑いは大空に響く。


「白太!お前、自分のランドセル持たなダメやろ!」


 大きな声で割って入ってきたのは黒皇くんだった。

清音ちゃんから僕のランドセルを奪う。


「ちょっと!やめーよ黒皇!」

「うるさいッ!離せッ!!!」


 黒皇くんは僕のランドセルを奪いとると、勢い余ってそのまま道路に投げ捨てた。


「「あっ!」」


 3人が同時に声をあげる。

意外にも、1番ばつが悪そうな顔をしたのは黒皇くんだった。しかし、それを払拭ふっしょくするように言い放つ。


「き、清音が悪いけんッ!白太ばっかり依怙贔屓えこひいきするから!」


 清音ちゃんは怒りながら、ランドセルを回収しようと道路に出た。


「ハァ?意味わからんわ!」


 僕はランドセルを3人分持っていたので動けない。自分が取りに行きたかったので、急いでランドセルをその場に置いて彼女を見た。


「ごめん清音ちゃ…」


 眼前には信じられない光景。



 山道のカーブから5トントラックが顔を出し、清音ちゃんに向かって走る。



「「あッ!!!!」」



 その場にいた全員が声を出す。危ない、なんて言える時間もなく。


 嘘でしょ?



僕の大切な友達が……。



こんな形で……。



5トントラックのフロントが彼女の身体に……。



途端に左脚に力がこもった。



うどんをこねるよりも何倍も。



10…いや、100倍の力。




「うおおおぁぁぁぁああああああッ!!!!」



 僕の声は町中に響き渡る。



ドンッ!!!!!!!



 突然、落雷の音。



 いや、僕の左脚が地面を蹴った音だ。


 その威力は硬いアスファルトを破壊し、僕の靴さえも破裂させた。

まるでくじらの潮吹きのように、それらは粉砕し、飛び散った。


 瞬間、僕の身体は5メートル離れた清音ちゃんを抱きかかえ、そのまま田んぼに突っ込んだ。



「きゃぁぁあッ!!!!」



 清音ちゃんの悲鳴は僕の胸の中で響く。

僕は彼女をぎゅっと抱きしめた。


「大丈夫だから!」


 トラックは急ブレーキとハンドルで、けたたましい音を立てて電信柱へと衝突。


 轟音ごうおんが響き渡り、砂煙が舞い、タイヤの焦げたにおいが鼻をついた。


「し…白太?」


 正気を取り戻した彼女は、僕の存在に気がついた。しかし、大きな物音に違和感を感じとり、再び冷や汗を垂らす。



ミシッ!…ミシミシ……。



 それは、何かが変化するいびつな音。


 でも僕は彼女のことの方が心配だ。


怪我けがはない?」


かん高い驚愕の声が聞こえた時はもう遅かった。



「あッ!」



 立ち上る砂煙から顔を出したのは電信柱。


そのまま僕らめがけて倒れてくる。


 もう間に合わない。


「きゃぁぁあ!!!!」


 彼女の悲鳴が、再び僕の左脚に力を宿す。

咄嗟とっさに彼女を置いて立ち上がり、叫ぶ。




「ぬがぁぁぁぁりゃぁぁあッ!!」



 同時に、竜巻がごとく凄まじい音が鳴り響く。



ブォオオオオンッ!!!!!



 上昇気流は天に登る龍が如く。



 瞬間。


僕の左脚は垂直に上がり、天を仰いだ。



ヴァギンッ!!!!!



 鈍く硬い破壊音が耳に響く。


電信柱は真っ二つに割れ、割れた方は僕らの後方へと回転を加速させて飛んでいった。


 清音ちゃんも黒皇くんたちも、同時にそれを目で追う。


 飛んでいった電信柱がドサリと音をたてて山の奥に落ちたのを確認すると、清音ちゃんは、ただゆっくりと呟いた。


「す…凄い。うどんキックや……」


 黒皇くんたちは急いで僕たちの方へ駆け寄ってきた。


「うぉーーーい!大丈夫かぁーー!!!???」



◇◇◇◇◇◇



 それからは、てんやわんや。


 警察に消防、町の自警団まで。


 僕たちの親まで駆けつけた。


 幸いトラックの運転手は軽いむち打ちで済んだ。


 親たちは運転手に平謝ひらあやまり。


 警察の事情聴取が始まると、みんなは一斉に話し始めた。警官は興奮するみんなを収めながら時系列を確認。

僕が電信柱を蹴り壊した部分は何度も聞き返された。


 警察の事情聴取が終わって、気がついたら空は真っ暗。


 僕は右脚を引きずっていたので、みんなは首を傾げていた。

裸足の左脚はピンピンとして、靴を履いた右脚はびっこを引く。なんとも奇妙な状態。

 そのまま母さんの車に乗って帰宅した。


 僕は右脚を軽い捻挫ねんざ

電信柱を真っ二つにした左脚は無傷だった。


 当然、学校では大ニュース。


 黒皇くんが、話しの中心になって自慢げに話していたのは言うまでもない。



 当たり前だけど、危険だからという理由で、缶蹴りは禁止になってしまった。



◇◇◇◇◇◇



 捻挫で休んでいた僕に、黒皇くんたちと清音ちゃんが見舞いに来てくれた。


 父さんは大喜びで、早速うどんをご馳走ちそうする。


「すんげー美味いのー!!!」


 黒皇くんは熱々のうどんをハフハフと冷ましてから、ズルズルと豪快にすすっていた。

ネギには一切、箸を触れていない。どうやらネギは苦手なようだ。


 清音ちゃんはネギもうどんもたいらげて、お汁まで全部飲んでしまった。


「あー、美味しい。こんなうどんなら、ウチ、毎日食べたいわ」





 黒皇くんは僕をチラリと見てから空を仰ぐ。


「ランドセル、悪かったの。放り投げての」


 僕はなんだか気恥ずかしくて赤くなってしまった。


「たはーーー!うん、別に気にしてないって!」


 僕の言葉を聞かない振りをした黒皇くんは、コロッと話題を変えてきた。


「にしてもの。お前、なんで右脚が捻挫やねん!普通、左脚やろう?」


 僕は更に赤くなる。


「タハハ……鍛えてるのが左脚でさ。右脚は全然弱っちーんだ。だからキックした時に軸足になったんだけど、電信柱の重さに耐えれなくて捻挫しちゃったんだ」

「なんじゃ、そりゃ」


 みんなは大笑い。


 黒皇くんは確信めいた。


「お前、サッカー部に入らん?あのキック力ならの!絶対活躍すると思うけん!」


 僕は身体中がくすぐったいような、ムズムズした気持ちになった。


「いやぁ、僕なんかがサッカーやるなんて考えられないよぉ。鈍臭いからさ。みんなの迷惑になっちゃうよ」


 清音ちゃんはかん高い声を張り上げる。


「あッ!白太がやるなら、ウチも女子サッカーやる!」


 僕はその声に感化されてしまう。

サッカーで活躍すれば、清音ちゃんが喜んでくれるかも……。


「うーん。僕がエースストライカーかぁ…務まるかなぁ?」


 黒皇くんは平然と答えた。


「え?入部するならキーパーやの」


 僕の大きなため息は町中に響いた。



「たはーーーーーーーーーー!!!!」

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