こじらせ男子は好きですか?

星名柚花@書籍発売中

01:土下座から始まった

「すみませんでした」

 衣替え移行期間の六月上旬、昼休憩中。

 五桜ごおう学園の保健室では一人の男子生徒が土下座していた。


「もういいから、気にしないで。顔を上げて。ね?」

 呑気に椅子に座っているわけにもいかず、園田菜乃花そのだなのかは床に両膝をつき、土下座している男子生徒の肩を優しく叩いた。


 足を畳み、深々と頭を下げている男子は1年G組、天坂千影あまさかちかげ

 昨日から夏服に着替えた菜乃花とは違い、まだ冬服のブレザーを着用した千影は、黒縁の眼鏡をかけた地味な男子だ。


 人畜無害、根暗、空気、冴えない眼鏡。

 ああ、そういえばいたかしらそんな人。

 彼について尋ねると、誰もが手厳しい評価を下す。

 学年主席でスポーツ万能、あらゆる分野でトップの成績を叩き出す完璧超人、兄の天坂総司そうしとは対極の存在、まさに光と影だと。


 千影に関するエピソードとして最も印象に残っているのは、半月前の女子の告白だ。

 彼と同じクラスの女子が放課後、屋上に彼を呼び出して告白したらしい。

 ――好きです、付き合ってください。

 その告白を、彼はあろうことか「二次元に彼女がいるから」という文句で断った。


 二次元に彼女がいるから。


 G組とは遠く離れたA組所属の菜乃花の耳にまで話が届くのだから、その断り方が生徒たちにどれほど大きな衝撃を与えたのかがわかるというものだ。


 菜乃花も噂好きの女子から告白の顛末を聞いたときは少々驚いた。


 しかし、表向き優等生のふりをしつつ、裏ではアイドルを目指す美少年育成ゲームをこっそり嗜んでいる菜乃花は二次元にハマる千影の気持ちもわかった。


 生きていると、悲しいかな、現実は理不尽だと思うことは割とよくある。

 嫌な人だっているし、嫌なことだってある。


 辛いとき、悲しいとき、いつだって二次元の住人たちは温かな笑顔で現実に傷ついて荒んだ心を癒し、明日に立ち向かう勇気と活力を与えてくれるのだ。


 ――ともあれ、そんなことはおいといて。


「無理です。気にします。本当に申し訳ありませんでした」

 千影の額はもはや床にくっつきそうだ。

 いくら清潔に掃除されているとはいえ、床に両手と額をつけるというのは衛生的にも良くないだろうし、何よりずっと気になっていた異性が亀のように身体を丸めた姿は見ていて辛い。


「だから……」

 どれだけ言葉を尽くしてもわかってもらえず、菜乃花は途方に暮れた。


 遡ること十分前。

 食堂へ向かうべく階段を下りていた菜乃花は、後ろから猛烈な勢いで駆け下りてきた千影と肩がぶつかって転落し、右手首を捻った。

 階段の最上段から転落したのではなく、残りあと五段という高さで落ちたからこの程度の怪我で済んだ。


 とっさに両腕で庇ったので頭は打ってないし、意識もはっきりしているし、負った怪我は重傷というほどでもない――のだが。


「どうぞ遠慮なく処してください」

 厳罰を望んでいるらしく、千影は平伏したままそう言った。


「処す!?」

 およそ日常生活では使うことのない物騒な言葉に菜乃花はびっくり仰天した。


「何を言いだすの!? 本当に大丈夫だって! 見た目がちょっと大げさなだけで、全治二週間だって言われたし! ですよね、梶浦かじうら先生!?」

 助けを求めて、白衣を着た男性に目を向ける。


「うん。二週間もあれば治ると思うし、そんなに気に病むことはないさ。これに懲りたら階段を駆け下りるのは止めるんだね」

 足を組んで椅子に座り、少し離れた場所から苦笑交じりに菜乃花たちを見下ろしている梶浦は校医だ。

 良家の子女が集まる五桜学園には常駐の医師がいる。


「重々承知してます……」

 千影はゆっくりと顔を上げて、正座の姿勢に戻り、スカートから伸びる菜乃花の足を申し訳なさそうに見た。

 菜乃花の手足にはいくつか痣ができていて、右手首は手の甲まで包帯に覆われている。


「もういいから。天坂くんの反省の気持ちは十分に伝わったから、立って。ほら」

 千影の腕を左手で掴み、強引に立たせる。

 こうでもしないと彼はてこでも動きそうにない。

 それに、この程度の接触で恥ずかしがるのもいまさらだ。

 千影は俗にいうお姫様抱っこで菜乃花を保健室まで運んでくれたのだから。

 あのときは大音量で鳴り響く心臓の音が彼に聞こえてはいないかと冷や冷やした。


「長居したら迷惑になるし、行こう? 先生、お世話になりました。ありがとうございました」

 菜乃花は梶浦に向かって頭を下げた。


「うん。痛みが酷くなるようだったらまた来てね」

「はい」

 頷いて、菜乃花は千影と一緒に保健室を出た。


「……本当にすみませんでした」

 二人きりになった途端、彼は暗い顔でそう言った。

 一階の廊下には誰もいない。

 教室がある二階から談笑の声が聞こえるが、人が下りてくる気配はなかった。


「いいって言ってるでしょ? それより、大事な用事があったんじゃないの? 階段を駆け下りなきゃいけないほど急いでたもんね。行かなくて大丈夫?」

「大丈夫。そもそも俺が急いでたのは……」

 そこで急に彼は口ごもり、目を逸らした。

 さながら、親に怒られるのを厭って黙秘を貫こうとする子供のように。


「……急いでたのは?」

 どうにも気になって、菜乃花は追及した。


「……限定カレーパンを手に入れようと思って……」

 蚊の鳴くような声で、彼は白状した。


「ああ」

 右手は動かせないので、内心でぽんと手を打つ。


 毎週水曜日、五桜学園の購買では二十個限定の特製カレーパンが販売される。

 幸運にも入手に成功した生徒曰く「至高の美味しさ」「食べなければ人生を損してる」「一度食べれば病みつきになる」らしいので、毎週水曜にはカレーパン好きの生徒の間で熾烈な争いが繰り広げられる。


 菜乃花はそもそもカレーパンが好きではないので、手に入れられなかったと嘆く生徒を慰める側だった。


「凄い人気だよね、カレーパン。なるほど、パン目当てて頑張ってたんだ」

「今日は珍しく授業が早く終わったから、いけるかなって……。……怒った?」

「え? なんで怒るの?」

 何故か怯えているらしい千影を見返して、菜乃花は目をぱちくりさせた。


「カレーパン如きで怪我させられたのかって思わない?」

「ああ、そんなこと。全然」

 軽い口調で言って、左手を振る。


「私はそんなにカレーパン好きじゃないけど、たとえば超美味しいモンブランとかだったら、全力で狙いにいったと思うし。それだけ好きなものがあるのはいいことじゃない?」

 階段を駆け下りるのは良くないことだけどね、というのは言わずにおいた。

 それはさっき梶浦が言ったし、誰より千影自身が身に染みてわかっているはずだ。


「…………」

 千影は呆けたような顔で、眼鏡の奥の目を瞬いた。


「購買に行けなかったんだから昼食まだだよね。せっかくだし、一緒に食べない?」

 保健室の時計は十三時過ぎを示していたから、昼休みは半分も過ぎていない。

 昼食の時間は充分に取れる。


「ああ。利き腕が使えないんじゃ食べるの大変だと思うし、補助する」

「ありがとう」

 菜乃花は千影と肩を並べ、食堂がある棟へ歩き始めた。

 何を話そうか考える間もなく、歩き出してすぐに千影が言った。

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