第十九話 正体不明の気掛かりの正体の原因(2)

 幸い、入り口の扉は開け放してあった。

 おれの病室同様、六人分の病床を用意された大部屋だ。

 女性患者専用フロアとはいえ、医師や見舞い客には男の姿もあるのだから扉が開け放してあるというのはやや不用心という気もするが、まあ最悪、着替えなんかの際にはベッド周りのカーテンを閉じればいい。

 それ以外は結局のところ、見ず知らずの他人同士の共同生活。それほど込み入った行為にでも及んでいない限り、入り口は開け放してあってもそれほど問題はないというわけだ。……込み入った行為ってなんだ。

 

「…………」


 マキナも病室に置いてきて目的地に到着、さて突しよう。

 そう思った矢先、おれは出鼻を挫かれて足を止めた。

 入り口から見て左列三つの病床の内、真ん中にヤツの姿はある。

 が、どうやら来客中のようだった。女が一人と男が一人。


 男のほうはこないだ遭遇した幼馴染み君だった。根気強こんきづえーな。あれだけ茅野に邪険にされてまだ来るか。

 女のほうはといえば見覚えはないが、見た目から察せられる年齢と顔つきからして母親だろう。茅野の面影がある。いや逆か。その女性の面影が茅野にある。


「じゃあ明日、昼頃に迎えに来るからね」

「もうわかったから! 早く帰って!」


 直後、病室に響き渡った茅野の怒号を耳にしたおれは、さっと扉の陰に身を隠した。

 ちょうどいい場面に遭遇したんだ。ここで巻き込まれるのは御免被ごめんこうむりたい。

 あいつの普段の人間関係が揃っている場におれという異物が混ざってしまったら、それを確認することができなくなっちまう。

 おれが確かめたいのは普段のあいつの周辺環境だからな。見舞いが来てくれていて本当に良かった。特に幼馴染み君。


 おれは扉の陰からこっそりと顔の半分ほどだけ覗かせて、しっかりと聞き耳を立てる。ストーカーじみたそんな行為に芽生えかけた自己嫌悪を必死に押しとどめながら。


「またそんなこと言って……。せっかくゆう君も来てくれたんだから」

遊飛ゆうひだけじゃなくてお母さんも! 早く帰ってって言ってるの!!」


 そんな茅野に、見舞いに来た二人はお互い困り顔を見合わせる。

 

「わかった。わかったからとにかく落ち着いて。ね? そんなに叫んだら身体に障るから」


 なんかよく聞くフレーズだな。

 まぁ抱える事情としてはおれと似通っているのだから、さもありなん、か。


「お母さんたちが来なければ叫んだりしてないの!」

「彩夏……、これからのことが色々心配なのかもしれないけど、俺もおばさんたちと一緒に彩夏をサポートしてくからさ。大丈夫、きっと良くなるよ」


 そういえば幼馴染み君は茅野の詳しい病状を知らなかったはずだが、検査結果が出たのに伴って打ち明けられたか? この言い草だとそんな感じだな。


「だから……それが……! そういうのが、私は!」


 茅野は悔しげに歯噛みし、拳を強く握りしめながらその細身を震わせていた。

 にも関わらず、茅野母と幼馴染み君は困惑顔を突き合わせるだけで、まるでその胸の内を汲み取った様子がない。


 ……つーかまぁ、このやり取り事態が激しくデジャブだった。普段からおれが美夜と繰り広げているものに酷似している。

 自分のことで、身近な人間に面倒を掛けるということを忌避する部分は茅野も同じなんだ、おれと。

 しかしそれが醸し出す雰囲気は著しく異なる。

 ウチのはもうお決まりの流れとして日常化していて、そして過保護過ぎて、緩い雰囲気が漂っている。おれに対する美夜の振る舞いは半分子供扱いかペット扱いだしな。おれはそれを敬遠しているだけ。

 一方で、茅野のほうで繰り広げられるそれに漂うのは緊迫感。母親と幼馴染み君の顔は神妙に歪められ、空気が弛緩する余地を除外している。


 この違いは一体なんだ? どーしてそんな違いが生まれる?

 ……時間か? 当事者の事情が発覚してから経た、その月日? まだ茅野の病が発覚して間も状況だから、双方どう振る舞っていいか戸惑い、探り探りになっている?

 だとしたらどうしようもない。解決は絶望的だ。未来に時間旅行でもできれば別だろうが、土台そんなことは不可能な話なんだから。


「…………」


 いや……いや。

 違う。

 おれの眼には、尚も眉を潜め気遣わしげに神妙な面持ちで茅野をおもんぱかる二人が映る。

 まるで世界の終わりか絶望にでも瀕したかのように茅野を見る二人が。

 それはそれで間違ってはいないのだろう。

 だが違う。

 矛盾するようだが、星名家とあいつらの間にある差異の原因は、たぶん時間なんかじゃない。


 ……まったく、ウチの母親とは大違いだな。

 おれは永久とわに一度だってあんな顔も言葉も向けられたことねーぞ。

 もしもおれが永久にあーいう振る舞いをされたら……されていたら…………。

 その事実に思い至った時、これまでの、すべての疑問が氷解したような気がした。


 おれがどうして茅野のように身近な人間への引け目を抱いたことがないのか。

 おれがどうして茅野のように悲観せずにいられたのか。

 おれをおちょくるような永久の振る舞い、おれの扱い。

 永久に対する滝川の評価――。

 だとしたら……と思うものの、確証はどこにもない。


 これは賭けになる。

 永久あいつがおれのことをどう思っているのか、その事実次第ではおれもそれなりにダメージを受ける……かもしれないし、茅野の意識改善……じゃねーや、あの小説擬きの先の展開ももう望み薄になる。

 けど、普段の永久の振る舞いを思い返すと、おそらく間違いないだろう。あいつは確信犯だ。滝川があいつのことを食えないと評していた理由は、そこにあるんだろうから。

 

「…………」


 ったく、本当に、今頃になってこんなことに気付くなんてな。

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