第十話 入院患者同士のデートとは一体

 翌日の春空はるぞら生憎あいにくの雨模様だったが、外の天気なんて入院患者には関係がない。

 せいぜい気分の良し悪しが多少上下したり、よほど天気に思い入れのある人間が何か思ったりする程度だ。……あぁ、気圧や湿気の変化で体調や容態に微々たる変調をきたす患者もいるな、そーいえば。それもほとんどの場合において大事には至らないが。


 学校ではグラウンドで行う予定だった体育の授業が体育館に移動になったり、保健体育に変更になったりしているだろうが、そんなことはもちろん、おれには無関係だ。


 大半が外出禁止の入院患者勢も、外の天気なんて関係なくいつも通りの入院生活を過ごしていた。

 おれもその一人で、適当に院内をぶらついたり、いつもの場所に足を運んで読書や勉強、あるいはゲームに勤しんだりしていた。まったく、忙しくてしょーがねーな。


 そんな中で、天気以外にも昨日までとは違うことがいくつか。

 一つは、院内をぶらついたときに仕入れた噂。

 半数以上の入院患者には関係がないだろうが、春休み当初以前からの患者、あるいは昔からおれを知っている病院関係者などの間では既に昨日の話がそれとなく出回っているようだった。

 つまり、あの星名ミコトがついに交際を始めた、と。


「そうか、ついにミコト君にも春が来たか」

「早すぎない? まだ小学生でしょ?」

「え? 相手は茅野さん? マキナちゃんじゃないの? 大丈夫? あの子、癇癪かんしゃく起こしたりしない?」

「ミコト? マキナ? 誰それ」

「いやぁ、良かった良かった。これであの子も少しは丸くなるかなぁ」

「くれぐれも注意を怠るなよ。当該入院患者の動向には常に眼を光らせておいて、何か怪しい動きがあったらすぐに情報共有をするんだ」

「いいですか皆さん、くれぐれも警戒を怠らないように。いつでも有事に備えて対応できるようにしておきましょう。医療器具の予備は……あと指又さすまたの用意を……」


 ……後半は病院関係者だな。

 普段、平時であればこんなことがおれの耳に届くことはないのだが、桜崎がおれに知らせてくれた。

 つまり、おれが交際を始めたということは、病院関係者にとっては軽い緊急事態だと思われているわけだ。……いや祝福しろよ、偽装だけどよ。


 そして昨日までとは違うこと、二つ目。

 茅野の様子だ。

 いつもの場所、この病院で人が寄り付かない穴場の休憩スペースにて、今日もおれたちは銘々めいめい好きなことをして過ごしていた。

 おれはさっきも言ったよう、読書勉強ゲームなどなど。

 茅野は主にノートPCとにらめっこ。時折キーボードの上を指が動くが、あまり走る様子はなく、すぐに止まる。

 交わす言葉も少なく、とてもじゃないが交際を始めたばかりとは思えない不干渉ぶり。


 いや、まぁ偽装なんだけど。

 ここは人気ひとけがない故に人目もなく、そういった関係を装う必要もない。

 まぁこんなもんだろう。偽装交際なんて。

 色々と警戒している病院側には悪いが、きっと諸々の備えは徒労に終わるだろう。まぁ何事もなく事が済んで何よりというべきか。……気がはぇーな、我ながら。


 ただ、な。

 おれは隣から聞こえてきた盛大な溜め息に、連立方程式を解いていた手を止めてそちらに流し目を送る。

 そこには物憂げな顔でノートPCに視線を突き刺している茅野の姿があある。

 物憂げとは言うが、それはラヴノベルの執筆に頭を悩ませているというよりも、心ここにあらずの気もそぞろといった雰囲気のほうが強いように見えた。

 どこか悩ましげで、時おり苦虫でも噛み潰したかのように歪むその面持ち、意識は、どう見ても執筆には向いていない。

 昨日のことが引っ掛かって集中できていないのは明白だった。


 ったく、そんな顔するくれーなら追い返すなよ。

 いや、追い返したのはおれだけど。

 少なくとも、大前提として茅野のほうにあの幼馴染み君を突き放す意思があったのは確かだ。


 しかしあの幼馴染み君と別れるのもこいつが持ち掛けてきた偽装関係も、どう見ても本心だとは思えない。

 けれど、努力ではどうにもならない壁を眼前に突きつけられてしまったから仕方なく、止むを得ず、茅野はあの幼馴染み君を突き放す選択をした……ってトコだろーな。

 難儀だねー。いや、ただの憶測だが。


 マキナがばっさり切ったよう、こーいうのはあまり気にし過ぎてもしょーがねーと思うんだけど、他人がとやかく言っても意味がねーからな。

 自分の中で何かしらの落としどころを見つけねーと。

 まぁ、見つけた結果がこの選択なのかもしれないが。

 たった一つの正解なんてあるわけがない。

 そんなものは当人を取り巻く環境なんかでいくらでも変わる。

 おれやマキナが楽観視し過ぎているのかもしれない。

 どの道、当人から何か求められでもしない限り、おれから何か手出し口出しを出すつもりはなかった。

 このままあの幼馴染み君と離れていったところで、別に死ぬわけじゃねーしな。


「ダメだ! 全然集中できない!」


 と、そんなことを考えながら数学から理科に教科を変えようとしていると、隣からそんな声が上がった。

 何事かとそちらに目を向ける。


「今日は調子が悪いみたい。全然進まない。……ね、ここは恋人関係らしく見せるためにも、気分転換を兼ねてちょっとデ、デートにでも、行きませんか……?」


 いやいや、何を気恥ずかしそうに言ってんだ。最後、敬語になってるしよ。

 偽装関係なのにそんな恥ずかしがるなんてウブにも程があるし、それをさておいてもこの提案は妄言だとしか思えなかった。

 思わずおれの目も怪訝けげんにひそめられる。


「あんた、外出許可降りてるのか」

「ミコトクンは許可なんて関係なしによく無断外出してるって聞いたけど」


 情報源がどこかなんて追及する必要はあるまい。


「見習っちゃいけねーとも言われなかったか?」

「言われた」

「なのに何で外出しよーとしてんだ!」


 おれだけならまだしも、他人の容態にまで責任は持てない。

 ゆえにダメ、ゼッタイ、だ。

 しかし茅野はふるふると首を振った。

 どうやらデート=外に出るということではないらしい。


「この病院、案内してよ。私より長く入院してるんだから、詳しいでしょ? なんか六階に食堂があるって聞いたんだけど」

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