第四七話 最後の一日

 既に春も遥か後方に過ぎ去ったこの時節でも、登校の時間帯の外気はまだまだサラリと心地良かった。照り付ける陽射しが肌を焦がそうと仕事を始めるには今少し時間を必要とするような、そんな季節の変わり目。

 とはいえ、登校風景からはもうすっかり入学ムードは消え去り、おれと進行方向を同じくする生徒の流れからは、既に新しいクラスにも慣れただらだらとした倦怠感が色濃く漂っている。

 それと同時に街路樹や遠くに見える山々に視線を遣れば、その緑も次第に濃さを増してきていて、おれが吸血鬼のごとく太陽の下を満足に出歩けなくなる季節が近づいてきている事も否応なしに突きつけてきていた。

 嫌だなー、夏来てほしくねーなー。……っつっても、真冬でもそんなに待遇変わらねーんだけど。

 ただ、冬は防寒着を重ね着したりカイロを複数身体に張り付けたりといった対策に際限はないが、夏となると脱ぐのにも限界があるからな……。

 そんな陰鬱な気持ちを携えながらも珍しく姉弟で足並みを揃えて登校すると、校門には部員募集のプラカードを手に入学ムードを引きる日和沢の姿があった。こんな朝早くから溌剌はつらつとした声を張り上げながら朝日かと見紛みまがうかのような笑顔を振り撒くその様は、はっきり言って清々しいほどの鬱陶しさだ。実際、眠たげ且つ恨めしげな視線を日和沢に向けてくる登校生も時折散見された。


「よう、周りの反応はどーだ?」


 そんな鬱陶しいヤツに話しかけるのは非常に気が進まなかったが、自分が首を突っ込んだ案件の成果は確認しなければならない。

 日和沢の勧誘活動も空しく、いつもと変わらず校門を素通りしていく生徒たちばかりの中、おれと美夜だけがそこで足を止めた。

 おれに気付いた日和沢が、頭の横に結った一房ひとふさをぐるんと回しておれに視線をフォーカスした。


「あ、ミコトくんとお姉さん」


 と、途端にまばゆいばかりだった笑顔にかげりが差す。

 それはすぐにぎこちない笑みに変わっておれに向けられた。


「おはよう! うん、応援してくれる人が増えたよ! これも説明会ライブのおかげだよ!」


 いまいち煮えきらない成果報告。

 実のところ、おれが入院していた数日の進捗状況も時折メールで問い質してはいた。今みたいにおれに気を遣った微妙な返信ばかりだったが、部員が集まっていないのは明白だった。


「求めてんのは応援してくれる人じゃねーんだけどなー」


 精一杯ポジティブを装って向けられた日和沢の返答に、おれは渋面を返す。

 詰まるところ、あれだけ身を粉にして成し得た部活説明会も、ほとんど功を奏していないのだった。

 おれの意識が消え去った後に説明会で何か大ポカをやらかしたわけではないことは、高上とメールで確認している。「すごく盛り上がってたと思うけど。前日の練習とは見違えるような歌唱力だったし。一体どんな魔法を使ったのか教えて欲しいな」などと、そんな絶賛の文面を頂戴したくらいだ。あのステージが失敗だったとは思わない。

 それでも、未だに結果には結び付いていない。

 発起人の日和沢当人を抜いて同志を三人集めなければならないにも関わらず、まだ一人も。

 故に、このサイドテールは今もこうして勧誘活動に勤しんでいるというわけだ。

 この手の活動も今さら感を拭い去ることは叶わず、既に効果は薄いと思われがちだが、説明会の前と後じゃ条件が違う。

 あのライブの目的は認知度を高めることと、日和沢の本気度を見せつけること。その結果は前言通り、日和沢に友好的な声を掛けてくれる生徒が現れ始めたらしいことからも察せられる。

 そんなことを考えている今まさに、そんな声が視界の外から飛んでくる。


「がんばれー、一人軽音部ー!」

「ありがとー!」


 ……いや、こいつ嬉しそーに手ぇ振り返してるけど、これ半分バカにされてんな。

 とはいえ、それでも、声を掛けてもらえるだけ良い傾向なのは確かだった。この縮まった距離からさらに数歩詰め寄ることができれば、こちらに気持ちを傾けてくれる生徒も現れてくるはず。

 だというのに、日和沢の溌剌とした笑顔は弱々しく儚いものへと転じた。

 まるで夢から醒めて現実に戻ったかのような――。

 今日は四月の最終日。

 つまり、これから何の部活に所属して放課後を過ごしていくか、それを決定付ける入部届けの、提出期限だった。

 かく言うおれも、カバンの中には未だ未記入の入部届けを詰めて来ているが、ほとんどの生徒は既に提出し終えているだろう。


「ミコトくん、ありがとね」


 ポツリと、日和沢が言った。


「メンバーは集まらなかったけど、ライブできて良かったよ。楽しかった! もう入部届け出さなきゃいけないけど、だからって再建を諦めちゃいけないわけじゃないし、他の部活入ることになってもコツコツがんばっていくよ」


 率直に言って、らしくない、というのがおれの感想だった。

 日和沢なら制限時間ギリギリまで諦めずに粘りそうなものだ。

 とはいえ、そこはもちろん、所詮しょせん知り合って一ヶ月足らずの関係。おれの知らない日和沢の姿なんていくらでもあるんだろう。

 しかし、それでもおれは、


「何言ってんだ。まだ今日一日あんだろーが」


 気休めと大差ないそんな言葉をかける。

 日和沢は最初こそ目を丸くしていたが、やがて我に返ると、


「そうだね。今日一日がんばろう!」


 と、虚勢も見え見えの笑顔でそう言った。

 予鈴が鳴り響く。

 四月最後の一日が始まる。

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