第四一話 長女の憂鬱

 説明会に向けて準備することは、何も日和沢の歌唱力向上訓練だけじゃない。

 説明会当日のパフォーマンスで披露する曲――つまるところ、歌と演奏の双方を練習する必要があった。今日軽く日和沢と打ち合わせたところによると、曲目は以前に作ったオリジナル曲を使いたいとのことで、その練習になる。……ホント、歌唱力以外はそれなりにデキる人間らしい、日和沢は。

 まぁ、そのオリジナル曲がどれほどのクオリティなのかは知る由もないが、明日早速音源を持ってきてもらうとして、自分で作った曲だというのならギター演奏の練習にはそれほどリソースを割く必要はないだろう。説明会で使う音源も、ギターのパートだけを消したものに微調整するだけだというので、二、三日もあれば用意できる、という話になった。

 そうなると意外とタスクは少なかったが、そもそも演者当人の歌唱力向上が未知過ぎた。さすがに今のアレを学校中に晒すには二の足を踏みたくなるというもの。一応、説明会までの一週間足らず、高校生という身分を考慮して、あまり遅くならない時間までカラオケで特訓。以降は日和沢は自宅でギター以外の音源製作、というスケジュールになった。

 焚き付けた手前、おれももう少し何か貢献するべきだと思うのだが、これでは消化不良感が否めない。

 ま、おれは日和沢の歌唱力改善に注力するか。

 そうした諸々の打ち合わせを最後におこなって解散、帰宅すると、一体いつからそうしていたのか、玄関の三和土たたきを上がったところで我が家の長女が待ち構えていた。


「遅い。とっくに夕飯できてる」


 開口一番、怒っているのかいないのか、いまいち抑揚の感じられない声音と無表情で弟の素行を咎めてきた。

 星名家では、おれ限定で夕飯時までという、大雑把な門限が設定されている。理由はもちろん身体のことに起因する。星名家の夕飯は一般的な家庭よりはやや遅めに設定されているので、時間は大体八時くらいまでといったところ。

 ケータイで時間を確認すると、八時を七分ほど回った頃合いだった。こんなの過去を振り返ればいくらでも見られる帰宅時間で、特別遅いというわけでもない。


「ちゃんとメシ時には帰って来ただろ」

「寄り道せずに帰って来ればこんな時間にはならない。生徒会の後、どこに寄り道してたの?」


 靴を脱ぎながら返すと、まるで説教をするかのようにいつになく食い下がってきて、違和感が脳裏を掠めた。

 おれはこの朴念人ぼくねんじんがこんな粘着的な態度に出てきた数少ない前例を記憶から漁りながら、慎重に返答を考えた。


「ゲーセンだよ、別に何の問題もねーだろ」


 素直にカラオケって答えると同行者の有無を訊ねられそーだからな。

 その点、ゲーセンならおひとりさまで行ってもそれほどおかしくはないだろう。身体的にも、特にあの担当医に禁止されているわけでもない。

 が、そこはやっぱり過保護ブラコンの二つ名をほしいままにする星名家の長女。専門家であるはずの担当医の基準なんてあってないようなものだった。


「ミコト、聞いて。ああいうところには数えきれないくらいの魑魅魍魎が跋扈してる。そういうものに目をつけられるととても良くない。二度と行かないって約束して」


 注意が雑……。

 何がどう『良くない』んだ……。

 何となく言いたいことは伝わるけどよ……。 


「わかったわかった。約束する」


 口約束以外のなにものでもない語調に美夜は顔をしかめていたが、結局はそれ以降の追及はなく、おれは自室で着替えてから食卓についた。

 その場にいる人間から思い思いに食事を始めるというスタイルの星名家の食卓では、既に母親が夕飯を終えそうな頃合いだったが、遅れてテーブルについたおれにも小言一つ向けることなく、穏やかに「おかえり」と一言だけ。おれも「ただいま」と返す。

 美夜はおれが帰ってくるまで待っていたようで、一緒のタイミングで夕飯にありついた。

 相変わらず横からおれの口におかずを放り込もうとしてくるのをやり過ごしながら、先ほどの違和感の正体に考えを巡らせた。

 普段なら、ちょっと遅い弟の帰宅にも一言二言小言を吐き出すだけで、それほど食い下がってきたりはしない。重ねて言うが、この程度の帰宅時間は過去にいくらでもあった。それがどうして、今日に限ってあそこまで粘着的に仔細を訊ねて釘を刺そうとしてきたのか。

 その上でどうしてここまで過剰に、おれの行動を縛ろうとするのか。

 ……一体いつぶりだっけな、このほどの過干渉は。

 前回は確か、中学に上がったばかりの頃だったような気がするけど。

 今回のことと照らし合わせて考えると、おれの身の回りの環境が変わり、周りを取り囲む人間の顔ぶれがガラッと変わったタイミング、か?

 ふむ、なるほどな。

 人の行動は人間関係によって大きく左右される。

 要するに美夜は、外的要因で少しでもおれの身体が――健康が脅かされるのをいとうということか。いや、外的要因だけじゃなく、おれ自身の行動が原因でも同じことだけど、それが他人なんかの要因だと特にコントロールが効かなくなるから。

 中学の時はどうなったんだっけ?

 確か当時は、今よりもちょっとしたことで体調を崩したり定期検診だったりで通院の頻度が多く、放課後に遊び歩く余裕なんかなくて、否応なしに美夜の望む通りになった。

 けれど今は違う。だいぶ身体は出来てきたし、それに応じて通院の頻度も減った。そろそろ徐々に高校生らしいことを初めてもいい頃合いだと思うし、逆にいつまでもこのまま、ということのほうが問題のような気がする。そろそろ病弱な深窓の子息という立場からも脱するべきだ。

 はぁ、と、深い溜め息が口をついて出る。

 いつまでも根に持ちすぎなんだよな、十年も前のことを。

 幼少時代の些細な過ちをいつまで大事に抱えてんだよこいつは。


「なぁ美夜……むぐ」


 一言二言もの申してやろうと横を振り向いた瞬間、おれの口に芋の煮っ転がしが詰め込まれ、それと一緒におれの言葉も喉の奥へと押しやられてしまった。

 喋らせろよおい……。


 

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