第四二話 残された時間(1)
慌ただしく毎日が過ぎていく。
放課後はそれなりの時間まで生徒会の業務に精を出し、その後はカラオケ店で日和沢たちと合流、時間の許す限り歌唱力の改善に頭を悩ませる。帰宅した後も、持ち帰った生徒会の仕事に時間を費やす日もあった。
当事者である日和沢も帰宅した後は音源の用意などに追われ、普段よりは余裕のない数日だったが、それも週末には何とか用意し終えたという。
そして最もネックである歌唱力はといえば。
「ねぇミコトくん! 大丈夫なの!? あたし歌巧くなってる!? 全然そんな気しないんだけど! 大丈夫なの? ねぇ大丈夫なの!? 説明会明日だよ!?」
日和沢は思いの丈をマイクに乗せて部屋中に響かせた。
微かにハウリングが混じる。
その大音量と黒板を爪で引っ掻いたような不快音に誰もが顔をしかめて耳を塞いだ。
どーせマイクに乗せるならもう少しマシな思いの丈を乗せてくんねーかな。
と、説明会を週明け――というか翌日に控えた日曜日。
ここ数日、おれたちが常連客と化しているカラオケ店の個室だった。
せっかくの休日を日和沢個人の歌唱力改善に消化する暇人は、篠崎と日和沢の女友達が二人。加えて暇だったかどうかは知らないが、おれの呼び出しに応じてくれた高上という、奇しくも男三人、女三人の三対三という、連日続いたカラオケである意味、最も落ち着かない人数構成だった。
合コンってこんな気分なのかな。
そんなふうに僅かに気持ちが浮き足立つも、クラスメイトしかいない空間で合コンも何もない、良くてただの親睦会だが。
――いや、失礼。日和沢個人の歌唱力改善の会だ。説明会が翌日に迫ったこの場に、親睦会なんて呼べるほどの楽しげな雰囲気は微塵もない。
張り詰める室内の空気。
そんな中でおれに突き刺さる
……あれ、カラオケってこんな鬼気迫る空気の中で行われるものだっけ?
と、おれは身じろぎして視線を受け流した。
問題の歌唱力改善に関して言及すると、今日までいくつかの方法を並行して試してきたものの、その成果は一進一退だった。ほんの時折、いくらか音程が合って聴こえるのが偶然の産物なのだとすれば、現状は一ミリも進展していないと言える。
必死に平静を装うが、おれの内心にも焦燥感が募ってきているのは否定できなかった。
「全然大丈夫じゃねーな。まさかおまえの音痴がここまで酷いとは……」
軽く想定を越えていた。
当初のおれの予定では、前日のこの時点でちょっと巧い素人の二割くらいのレベルに乗っていてくれればいいと思っていただけなのに、ここまで手応えがないなんて……。
時間が足りなかったのか、そもそもおれの選出した改善方法が見当違いだったのか。
「だから言ったじゃん! あたしの音痴すごいよって!」
「だから何でおまえはちょっと誇らしげなんだよ……」
「おいどうすんだよ。このまま那由を人前に立たせるのか?」
そう問いかけてきた篠崎の声もいつにも増して低い。
その詰問に逡巡し頭を悩ませかけるも、しかしそれを決めるのはおれじゃない。
日和沢に視線を向ける。
「おまえはどーしたい? あと一日、多少は歌唱力がマシになったとしても
それでも、おれが思い描いている水準に届きうるには十分な時間だと思うんだが。……たぶん、何か一つ、ほんのちょっとの何かを掴むだけでいけるよーな気はしてるんだよな。別にそんなに高い水準を目指してるわけじゃねーんだから。
「おまえがやめたいなら無理強いはしねーけど……」
沈黙。
今度は日和沢に視線が集まり、日和沢は顔を伏せて逡巡する。
無理もない。
どう考えても状況は
おれの胸中にも不安と後ろめたさが渦巻いていた。
さすがに分の悪い賭けに出過ぎたと思う。
おれの自己満足に日和沢を巻き込み、理想と希望を押し付け、矢面に立たせようとした。
とても誉められた行いじゃない。
しかし、もしも。
それでも――。
「え? やめないよ?」
日和沢がそう言うのなら。
おれは全力でサポートしたい。
篠崎に向き直って、毅然と返す。
「だったら立たせる。……もちろん、このままってわけにはいかねーけど」
悔しげに、それでいてどこか寂しげに見開かれたその眼を流して、おれは思索を巡らせる。
再開された特訓をBGMに、あの時のことを鮮明に脳裏に思い起こす。
あの時――先代軽音部の悪行が明らかになり、部員集めが暗礁に乗り上げたあの日の放課後。
篠崎に声を掛けられて繰り出した、日和沢の憂さ晴らしのためのカラオケ。
どうしてあの時の日和沢の歌声は、今よりも数段マシに聴こえたのか。
……くそ、すぐそこにあるような気がするんだけどな、その答えが。
しかし悶々と悩むだけで一向にそれにたどり着くことはできず、頭を悩ませている内に昼時になって、おれたちは一度退店した。
別にカラオケ店で何か注文しても良かったのだが、気分転換は必要だ。一度、外の空気を吸いたい気持ちが大きい。
「そこの店でいい?」
日和沢が呟くようにそう提案してきたのは、この辺りに昔からある、夫婦で営んでいるバーガーショップだった。
ここがなかなか不思議な店で、近くには同じくハンバーガーの某有名チェーン店がいくつもあるにも関わらず、十年以上も潰れずにずっと生き残り続けているという、何ともミステリアスなバーガーショップだ。利用者の間では七不思議に数える人間もいるというが、残りの六不思議を耳にした記憶はない。
特に反対の声もなかったので、昼食はそこで取る運びになった。淡々と歩を進める日和沢たちに対し、おれはといえば、今にも小躍りしたくなる気持ちを抑えるので精一杯だった。
ハンバーガー! ジャンクフード!
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