第三五話 ネゴシエーション(1)

 昼休みになって手早く昼食を取り終えると、おれは単身で生徒会室へと向かった。

 軽音部再建の発起人である日和沢を連れてこなかったのは、生徒会長が否定的な態度を強めてくるような気がして、こじれる可能性があると判断したからだ。

 相手はあのブラコンだからな……。

 そんなことを想像して微かに憂鬱になっているのを感じ始めた頃に、目的の生徒会室へと辿り着く。

 ノックするべく一呼吸置いて手の甲を扉にかざした瞬間、ひとりでに扉が開いて自動ドアかと勘違いしそうになった。

 が、前回ここを訪れてからそれほど日は経っておらず、まさかこんな短期間でここだけハイテクに改装したというはずもない。

 開いた扉の向こうには、この部屋の主である生徒会長が屹立してこちらを見下ろしていた。

 おれはノックのために構えていた手もそのままに訊ねる。


「どこか行くつもりだったのか?」


 だとしたら間が悪い上に非常に困る。

 これを逃したら交渉の機会は放課後になってしまう。

 こっちは時間がないのだからとはやる気持ちでいると、返ってきたのはやっぱり美夜の答えだった。


「ミコトの匂いと足音がしたから出迎えに来ただけ」

「おれそんなに体臭ある!? あとそんなにイキって歩いてたつもりもねーけど!」


 体格が小柄なこともあって、足音の忍び具合には自信があるんだけどな。誰かの背後に立っても気づかれないこととかよくある。「うわ、びっくりした!」とか驚かれたりして。決して影が薄いことが原因じゃないはずだ。

 美夜はそんなこちらの疑問にも聞く耳など持たず、おれの手を引いて室内へと招き入れた。

 長机で並べられた一席へと通され、お茶まで出される。

 美夜は隣にパイプ椅子を持ってきて腰掛けると、おれと肩をくっつけた。

 なんでだよ、普通向かいに座るもんだろ。


「高校に入ってからミコトがよくおねえちゃんに会いに来てくれるようになって嬉しい」

「まぁ、ちょっと相談があってな」


 相変わらず自分本位な捉え方をされていることは意識から追いやって、おれは本題を切り出す。

 室内には数人の生徒会役員がいて、中には先代軽音部の悪行を教えてくれたあの女子役員の姿もあった。何やら頭痛をこらえるようにこめかみを揉みほぐしたりしているが、部外者を勝手に室内に招き入れた生徒会長の自由奔放さとの関係はないだろう。そう思い込むことにする。


「相談?」

「あぁ、日和沢を軽音部として部活説明会に参加させてやっ」

「ダメ」


 予想されていた返答ではあったので驚きはしないけれど、若干食い気味とさえ言える即答具合は予想以上だった。


「理由を聞こう」

「どうしてミコトがそんなこと頼みに来るの?」


 おれは女子役員に倣って自分のこめかみを揉みほぐした。

 ……まったく、しょうがねーからしばらくこいつのペースに付き合ってやるとしよう。


「部活説明会は新入生の部活選択の参考のためと、各部が部員募集を呼び掛けるために催される会だろ。だったら新設を希望する部が参加してもいーんじゃねーのか」

「軽音部はこの学校に存在しない。前の軽音部が暴力事件を起こしたから廃部になった。あの女がそれを再建しようとしてるのは知ってる。……もしかしてミコト、それを手伝ってる?」


 ごく私的な理由を伏せてボカしたっつーのに、いとも容易く看破されてしまった。さすがは腐っても姉か、付き合いの長さは伊達じゃない。


「まぁ、そう言って差し支えはねーかな」


 そう返した途端、美夜の顔が目に見えて曇った。ほんの少しだけ、おれの胸中にズキンという罪悪感が生まれるものの、大して労することなく飲み下す。


「出来るだけ面倒事には首を突っ込まないでほしい。身体に障る」

「何でもかんでも障るわけじゃねーだろ。大体、身体動かすよーなことじゃねーんだし」


 おれがそう主張しても美夜の顔が晴れることはない。

 澄んでいるとも淀んでいるとも取れない不思議な双眸そうぼうを受け止めること数秒、美夜は生徒会長の顔付きで小さくかぶりを振った。


「参加は許可できない。例外は認められない」


 有無を言わせない確固としたその返答に、おれは浅く溜め息を漏らす。

 そして淡々と吐き出されたその結論を、脳裏で反芻した。

 例外、ね。


「だったら軽音部だけじゃなくて、設立を希望してるすべての部の参加を容認することにしたらどーだ?」

「ミコト」


 おれの名を呼ぶその声に諫めるような含みが込められているのは明白だった。 

 さらにはおれたちのやり取りを見かねたのか、あの女子役員が近寄ってきて向かいに腰を下ろした。

 眼光鋭く厳しい声をその口から吐き出す。


「さっきから聞いていれば弟くん、だいぶ身勝手なこと口にしてるってわかってる?」

「わかってる」

 

 おれは即答した。

 そんなことは重々承知だ。

 それでも譲れないものがあるからここにいる。


「でも私的な理由しかない提案でもないだろ。この学校は生徒の自主性と多様性を重んじる校風のはずで、その証拠に生徒が新しく部活を設立しようっつー動きには寛容だからな。だったら、日和沢と同じように新設を望む生徒にはメリットがあるはずだし、校風に沿う提案でもあるはずだ」

「デメリットもあるのよ」


 言いながらも女子役員は頭を抱えた。


「各部活のアピールのための持ち時間や終了時間等、スケジュールは決まってるし、既に告知も済まされてる。それを遅らせることはできないわ」

「別にいーじゃねーか。どーせケツはねーんだろ」

「言い方……」

「れっきとした業界用語だ」


 ケツ――その後の予定を意味する用語。主に芸能界で用いられる。それがないということは、その後の予定がないという意味になる。

 部活説明会は来週の月曜、七限目の授業を犠牲にして実施される催しだ。つまりは一日の最後の日程ということで、その後に授業はなく、スケジュールが押しても問題はないはず。

 しかし、それでも女子役員の返答は色良くはない。


「それぞれ部活もあるし、三年生は受験勉強もあるから、終了時間が遅れるのは望ましくないわね。少しくらいは……いいかもしれないけれど」


 が、女子役員は渋々といった様子ながらも最後にはささやかな譲歩を見せてくれた。

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