第三一話 それでも(4)
仕方なく、チッと舌打ち一つ。
苦渋の決断だった。
ここでやり返してしまっては開戦の火蓋を切ることになる。
だからといって何もせず、おれがこのままやられるのはヤバい。たとえここでボコられるのに耐えることができたとしても、しかしこの身体は欠陥品のそれ。そのダメージで体力が衰弱し、心臓の負担が増し、半日後くらいに臨終する可能性は多いに有り得る。
だったらあのまま口出しせず、日和沢を犠牲にしていれば良かったなんて、当然思えない。
ここらが限界だろう。
おれにしてはよく足掻いたほうだ。
後のことは後で考える!
おれは眼前にまで迫っていた金髪男の右手に、左手を絡ませて防いだ。
「おっ?」
その口から感嘆したような声が漏れるが、しかしそれも、次の瞬間にはひどく単純な驚愕へと取って変わる。
「お、お? うおわっ!」
金髪男の手に絡めた自分の手首に、そのまま左から下方向へと力を加える。相手はこの段階で体勢を崩す。
さらに途中で手首を返し、相手の手首を掴んだおれは、そのまま左へと引っ張った。
たったそれだけで。
「おおぉぉああぁぁぁぁぁ!」
金髪男は酔って千鳥足になったかのようにたたらを踏み、最終的には完全に重心を失って、おれの左側を旋回するように転がった。
「ひゃっ!」
その先に日和沢がいることはすっかり失念していたが、他の男たちへの牽制も兼ねることはできた。
とはいえ、こんなものは多少地面を転がしたに過ぎない。
ダメージはせいぜい擦り傷が良いところ。
すぐに態勢を立て直すことは容易に想像できる。
おれは地を蹴った。
向かう先は、おれが開戦の火蓋を切ったせいで今にも殴り飛ばされそうになっている篠崎のところ。
同時、傍らにいるこの場唯一の女子に指示を飛ばす。
「おまえもついてこい! 離れられると守れねー!」
おれと
「え? あ……うん」
などと、日和沢はどこか呆けたような間の抜けたような了承を返しながらも、慌てたようにおれの後に続く。
なぜか、若干その頬が紅潮していたような気がするが、今はそんなことに意識のリソースを割いている場合じゃない。
一応ベストは尽くすが、周囲への迷惑を省みない愚かな真っ直ぐさを貫く覚悟があるのなら、一発二発は覚悟してもらわないとな。
どの道、犠牲になろーとしてたわけだし。
ホンットーーーーーーーに、クッソバカみてーな話だ。
日和沢への指示の後、今度はすかさず篠崎に声を張り上げる。
「おまえはそろそろマジで遊ぶのやめろ! 入学二日目におれにやられたことをそのままそいつにやってやればその状況は抜けさせるだろーが! んでそいつが手ぇ放したらすぐ下がれ!」
篠崎は思い出したように目を見開いたのも一瞬、すぐにそれを実行した。
何も難しいことじゃない。
あんなものは知識として取り入れればすぐに出来るレベルのもので、人によっては訓練も練習も必要ないほどのものだ。ぶっつけ本番でも十分できる。篠崎の記憶力が残念じゃなければ、だが。
しかしそれも杞憂だったらしい。
篠崎が胸ぐらを捕まれているその手をやんわりと自分の手で包んだかと思うと、次の瞬間には茶髪男はひきつるように顔を歪ませ、反射的に篠崎を解放してしまった。
おれの指示通りにこちらに向けて茶髪男から後退を始める篠崎。
逆に茶髪男へと向かうおれ。
自然と茶髪男の視線はこちらへとスライドし、狙い通りにタゲを取ることに成功、男もおれに向かって駆け始める。
途中で後退する篠崎とすれ違いながらも努めて冷静に、慎重におれはその歩幅とタイミングを見極める。
あと四歩。
あと三歩――。
あと二歩――――。
最後の一歩は少し大きめに踏み込んで、勢い良く茶髪男の懐へと潜り込み、体を沈ませる。
相手が最後の一歩を踏み込んだのとほぼ同時に、いや一瞬早く。
おれはその巨体を前方やや上方向へと押し上げるように、背中寄りの肩で跳ね上げるように体当たりを見舞った。
茶髪男の顔が驚愕と少しの恐怖に染まったのを視界の端で捉える。
「!?」
これは正確には護身術でも合気道の分野でもない。
おれの知る限りでは、こんなのはただの物理学だ。
歩法というのは、前足を地に着いたほんの僅かな一瞬だけ、前に進む力が限りなく弱くなっている。一歩踏み出しただけで前へ進む力が永遠に失われることがないのなら二歩目三歩目と地を蹴り直す必要なんてないのだから当然だ。重力というものがある以上、すぐに失速して止まる。
おれが狙ったのはその瞬間。
死にきっていない前方向へのベクトルも反動として利用して押し返すように体当たりをかます。
するとどういう結果を引き起こすか。
小学校の時、体育のマット運動の授業で教師が本筋からやや脱線してそんなことを教えていたのがいたく印象に残り、合気道の先生を実験台にして何度か練習したことがある。
これはさすがに一朝一夕にはできなかったが、まぁ集中して練習したので三日くらいでできるようになった。
合気道を教えてくれていた師をぶっ飛ばしたわけだ。
そしてこの茶髪男も同じ末路を辿った。
男は二メートルほど宙を舞った後、
「ぶへっ!」
という奇声を上げて背中から着地し、勢いそのままに三メートルほど無様に地面を後転した。
そうしたことでおれたちを包囲していた壁に隙間が出来たので、すかさず三人揃って包囲網を抜け出す。
これでようやく、周囲を取り囲まれていた圧倒的不利な状況から脱することに成功し、男たち五人を正面に見据えて相対することができるようになった。
……とはいえ、という感じだが。
おれの胸の辺りにあるアラートは戦闘開始時から既に鳴っている状態だ。ウルなんとかマンが最初からピコンピコンと可愛らしくも耳障りな音を振り撒いて戦っているような状況。
篠崎はおれと日和沢を背後に隠すように立っていた。
相変わらず矢面に立って壁や囮になる気満々のようだ。
油断している気配は一切ない。
しかし、相手方のほうはと見てみると。
五人の内、三人ほどは既に戦る気を喪失しているように見えた。
先ほどのこちらのやり取りのせいか、そもそも最初から乗り気ではなかったのか。
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