鈴木くんの家

第1話

 同じクラスの鈴木くんとお付き合いすることになりました。私が鈴木くんの部活風景を見て惚れたことが最初のきっかけでした。私は鈴木くんがかっこよくて大好きで、告白のお返事をもらった時は本当に嬉しかったんです。

 昨日の放課後、二人で駅まで帰った時に鈴木くんが「明日俺の部屋に来ない?」と言ってくれました。それで今日の放課後は鈴木くんの家に誘われていて、私は鈴木くんの部屋とか漫画のラインナップとか壁に貼ってあるポスターとかを想像したり、二段ベッドの下が机になっているタイプが部屋にあって、足元と枕元の網目状になっている側に制服や私服のジャケットを掛けていたらいいなと思っていました。鈴木くんは絶対にそういう部屋に住んでいると私は思います。カーテンは青だと思います。そんな部屋を想像して、授業中は一時間目からウキウキしていました。

 お昼を友達の天ちゃんと食べて、「今日鈴木くんちに行くんだ」と言いました。天ちゃんは彼氏はいたことがなくて、私はそれは眼鏡をかけているからだと思います。天ちゃんは私にいろいろなことを教えてくれます。この間は「海苔を食べて消化できるのは日本人特有の体質で、アフリカ系の民族は海苔を食べると消化しきれずにお腹を下す」ということを喋ってくれました。私はそれは冗談だと思っています。天ちゃんは真面目な顔で嘘か本当か分からないことを言うのです。それがおかしくて、私は二年に上がった頃からずっと仲がいいです。

 天ちゃんは、私が鈴木くんちに行くことにあまり関心がないみたいで「これストロー全然開かない。ビニールが柔らかすぎる。溶けてるんじゃないかこれビニール」と言って苺オレのパックに張り付いた細長いビニールからストローを出すことに夢中でした。

「パックからビニールごと剥がしたほうが楽じゃないかな」

 私は天ちゃんに助言しました。パックに張り付いたストロー入りビニールを先端から押し出すようにしている天ちゃんに、ビニールごともぎ取って開けた方が楽なんじゃないかと言いたかったんです。「このまま行ける」と天ちゃんは言って、意地になっていました。私は十徳ナイフをポケットから出して天ちゃんに渡しました。

「鈴木くんちに行くの、天ちゃん」

私はもう一度同じことを言いました。天ちゃんには聞こえていなかったかもしれなかったので、もう一度言ったのです。

「鈴木くんちって綱島でしょ」

天ちゃんは苺オレのストロービニールを十徳ナイフのカッターでピッピッと刻んでいました。

「そうだよ」

「あそこ駅前に本屋あったの潰れたよね」

「そうなんだ」

天ちゃんとは駅まで一緒に帰るけど、そのあと天ちゃんの放課後の過ごし方って実はあんまり知らないなと思いました。本屋とかにいそうだなとは思いました。謎めく女の子だなと思いました。そして私は綱島に行ったことがありませんでした。

「天ちゃん綱島行ったことあるの?」

「あるよ全然」

「なんで?」

「なんでってなんで?」

「綱島ってどんなとこ?」

「まあまあ」

「そうなんだ」

私は綱島を想像しました。私たちの通う高校からは、徒歩かバスで行けます。川沿いをずっと歩いても、三十分ほどですので、近いと思います。

「鈴木くんち楽しみだな」

私はそれで頭がいっぱいです。

 お昼が終わって五限目になって、さっきよりも鈴木くんちに行く実感が強くなってきました。あと二時間で帰れる!浮き足たった私に目敏く気づいたボーモント先生にチョークを投げられて「ほらU野さんが宙から五センチ浮いてるよ」と言ってチョークの風圧で私の上空を斬り、椅子ごと私を地面に引きずり下ろしました。

「U野さん、帰ろう」

 放課後、鈴木くんが私の教室まで迎えに来てくれてました。ヒューヒューとはやし立てるクラスメイトの野次たちはモーゼの十戒みたいに通路を作り、床の木板を破りました。破れた大地と群衆たち、ブラスバンド部総出によるファンファーレを纏い、私は鈴木くんまでの道を誇らしげに歩いて行きました。空から赤い薔薇、青い薔薇、黄色のチューリップ、白いマーガレット、オレンジのガーベラの花びらが舞っていました。校門を出るまで、群衆たちは窓から手を振り続けていました。

 私たちは川沿いを歩きました。

「鈴木くん今日は部活ないの?」

「部活?」

鈴木くんは不思議そうにしました。

「俺部活やってないよ」

「バッケ部じゃん。練習してんのみたことあるよ」

「それ弟俺双子」

バッケ部は弟らしく、私は鈴木くんに弟がいることを初めて知りました。

「へー双子で同じ高校行ってんだ珍しいね。名前なんていうの弟」

「××」

「へー名前全然違うんだね」

 私は浮かれていました。

 川べりは生暖かく、空は厚い雲がどこまでも覆っていました。十月の第二週の秋は、金木犀が香る濃いグレーの色でした。ジャグリングをするおじさんが川下にいました。ピエロのおじさんは黄色のペンキで塗った木箱の上に乗って、赤と緑とピンクのカラーボールを観覧車のように回していました。おじさんはジャグリングをしていました。おじさんは今日出番なのですが、ジャグリングをこの川原で百回成功させないと出番はなく、その上失敗すればサーカスの虎に食べられてしまう運命なのです。とても気の毒だと思いますが、決められたことなので仕方がないのでした。高架線の下では、檻に入れられた虎がよだれを垂らしながらグルグルと喉を鳴らし、おじさんが回すカラーボールの回転を見つめ、おじさんがいつボールを落として回転が止まるのかの機会をただひたすら待っていました。おじさんは泣きながら、自分が喰われるまでの時間をやり過ごしているのでした。


 鈴木くんの家の前につきました。そこは同じ形をした大きな庭付きの家が立ち並ぶ住宅街でした。住宅街に一歩入れば、直線でできた家と芝生たちが、ケーキを切り分けたみたいに等間隔に並んでしました。私は川べりからここまで、どうやって来たのかよく覚えていません。道がとても複雑でした。住宅地の空はすみれ色でした。

 鈴木くんちは白い二階建てで、ザラザラした外壁は#40の紙やすりくらいザラザラで、鈴木くんちと道路の境界線にあるレモンの木からもげて落ちて腐ったレモンが壁にぶつけられたり、猫が壁にぶつけられて死んでいました。鈴木くんちの外壁ですり潰された跡が残って、黄色い汁や赤い血が壁から垂れ流されて、白い壁の一部が汚れていました。

「言っておかなきゃいけないことがあって」

汚れた外壁を見つめているところ、鈴木くんが神妙な面持ちで私に言いました。

「実は俺の両親は離婚してるんだ」

「そうなんだ」

私はなんと答えていいのかわかりませんでした。

「俺は母親に、弟は父親にそれぞれ引き取られた。父親と弟の××の家は右隣にある」

私は右隣の家を見ました。鈴木くんの家と同じく、芝生のある大きな家でした。ほぼ同じ大きさ同じ作りの色違い(オフホワイト)みたいな感じで、表札はありませんでした。

「表札がない」

「U野さん」

鈴木くんが改めた感じでこちらに向き直りました。

「な、なんですか」

キスされるのかと思いました。

「俺の家は間違いなくこの白い色のザラザラの鈴木家で俺はそこで日々ご飯を食べ風呂に入ってる、鈴木家が日々の俺を育てていると言っても過言ではない。ただ俺の部屋は、(息継ぎ)、俺の部屋に限っては、隣の××の家にあるんだ」

よく考えたらこのタイミングでキスされるはずがありませんでした。

「××くんの家に鈴木くんの部屋が?」

「そう。逆に同じように、弟の××は隣の家で朝食を食べ部活のユニフォームを洗いテレビを見ている」

「うん」

私は勝手に進めました。

「鈴木くんちに××くんの部屋があるのね」

鈴木くんは頷きました。

「今日は迷ったんだけど、仕方がないので鈴木家にある××の部屋に帰ろうと思うんだけど、いいかな」

「鈴木くんちの××くんの部屋」

私は少し考えました。

「そうだね。そうしよう」

私たちは××くんの部屋がある鈴木くんちに入りました。


 鈴木くんちの一階は普通に玄関入ってリビングがあってソファとテレビがある感じで、まあ普通の家だなって感じでお母さんはいませんでした。一階の面通しが秒で終了して、私たちは二階に上がりました。私は階段を爪先立ちでのぼる癖があります。将来ハイヒールを履くための訓練として、幼少期からママにそう言われているためです。

「ここが××の部屋」

××くんの部屋に通されて、私はあたりを見渡しました。そこは私の想像した通り、二段ベッドの下が机になっているタイプが部屋にあって、足元と枕元の網目状になっている側にフード付きパーカーやジャージが掛かっていましたので、大変喜びました。「すごいすごい!」××くんの部屋は鈴木くんみたいな匂いがしました。

「へー綺麗だね××くんの部屋。見て、ワンピ全巻揃ってるっぽいこの巻数からして。私スリラーバークまでしか読んでないよ」

「俺ワンピ読んだことないけど」

「そうなんだ。読んでいいかな?」

「いいと思うよ」

鈴木くんに許可をもらったので私は荷物を置き、適当に六十一巻を手に取りました。

「なんかわかんない。シャボンティ島は名前だけ知ってる」

適当にパラパラめくって棚に戻しました。

「なんか恥ずかしいな××の部屋をU野さんに見られるって」

鈴木くんが照れました。

「そんなことないよ。とてもいい部屋だよ」

私は××くんの部屋を褒めました。実際居心地がとても良いです。

「鈴木くんはさ、どんな漫画読むの?」

「俺漫画読まんのだよな。でも先週スラダンのBlu-ray買ってさ、まだ全部見てないんだけど」

「見たい見ようよ」

 私はスラダンを知らなくて、ただ主人公とか出てくる男の子がみんなかっこいいことだけは認知していました。

「おっけ、部屋から持ってくるわ。ちょっと待ってて」

 鈴木くんは××くんの部屋から出て行き、××くんちの鈴木くんの部屋までスラダンのBlu-rayを取りに行きました。

 待ってる間、ワンピの一巻を棚から取って読んでみました。初期ルフィの目が今の作画よりもっと黒く感じ、そのディープなルフィの目を見ていると何かとても不吉な予感がするのでした。

 突然部屋のドアが開きました。振返ると鈴木くんかと思いきやそれはフェイントで、

「えっ何」

私のこととこの状況をを知らない風な口をきくのは、弟の××くんでした。

「あっ」

 私は突然の××くんに予想外さを感じ、挨拶しなきゃとか説明しなきゃとか部活終わるの早いなとかワンピ勝手に読んじゃったとか色々なことを頭で考えて、立ち上がるか立ち上がらないかの中間みたいな膝のカクカクした動作を数回繰り返しました。

「あの私U野っていって鈴木くんとお付き合いしてます。今日は遊びに来ました」

「そうですか、はじめまして兄がお世話になっています」

「こちらこそ」

××くんはよく見てもどう見ても鈴木くんにそっくりで、私はこれが本当に××くんなのかがわかりませんでしたし、これが本当に鈴木くんじゃないのかも分かりませんでした。

「兄はどこに?」

「部屋にスラダンのBlu-ray取りに行っています」

「スラダンならうちアマプラで見れるよ」

「ほんとに?」

 私はにわかに色めき立ち、なんだわざわざ鈴木くんの部屋まで取りに行かなくて良かったんじゃんと思いました。

「見ますか?」

「みるみる」

××くんはテレビのスイッチを点けて、Amazonプライム・ビデオのホーム画面から“スラムダ”と入力しました。第一話の再生を押し「これでいいね」とテレビの前から退けてくれました。

「ありがとう」

テレビから君が好きだと叫びたいが流れている横で××くんはジャージを脱いで着替えはじめました。

「ごめんねちょっと。部活終わりだからさ」

「ああうん」

私は生返事をしました。

「それより鈴木くん遅いな。どこ探してんだろ」

「すぐ来るだろ」

 待てど暮らせど鈴木くんは戻らず、テレビは大黒摩季っぽい感じのエンディング曲に突入していて、大黒摩季かもしれないし渡辺美里っぽくもあり、あとおんなじ声の歌手が他にもいたなと思いました。

「U野さんてさ、部活中の俺の姿に惚れたんでしょ?」

着替え終わってテレビ画面を見ていた××くんが話しかけてきました。

「そうだよ。××くんなんで知ってるの?」

「最初自分で言ってたじゃん」

××くんは笑いました。

「スラダン面白かった?」

「うん。次も見たい」

「でももう遅いから帰らないと」

時計を見ると結構な遅い時間でした。

「大変怒られちゃう。ごめん帰るね。今日はありがとう」

私はお礼を言って急いで帰り支度をしました。

「またね」

××くんが言いました。

 

 部屋を出て階段を降りると一階は真っ暗で、玄関までの距離がわかりませんでした。階段の壁と天井は岩が覆っており、通路まで飛び出した岩が歩く道を邪魔していました。岩の表面はしっとりと濡れ、時に水滴がゆっくりと滴っていました。スポットライトが点在していて、そのスポットライトがピンクや青、緑にくるくると色が変わり岩を照らしていました。道が狭く屈みながらまっすぐに歩き続けると遠くが昼間のように明るくなっており、やっと出口かと安心しました。そこをめがけて進むとリビングに到達し、リビングでは鈴木くんが夕飯を食べていました。

「鈴木くん!」

「あれU野さんもう帰るの?」

「うんもう遅いから。今日はありがとう」

「また遊びに来てね」

鈴木くんはキョロキョロし、そして私を抱きしめました。

「またね」

 私はドキドキしたまま靴を履いて外に出て、スキップしながら鈴木くんちと××くんちから遠ざかっていきました。

 住宅街をスキップしているあいだ、そういえば鈴木くんの下の名前全然知らないなということに気がつきました。

 知らないのか思い出せないだけなのかも分からずに、ただ××くんとは違う名前で、鈴木くんは××くんとは別人だったということだけははっきりとわかりました。

 すみれ色と群青色と濃紺のグラデーションの空の下、煌めく星の下、どこを見渡しても同じ家が建ち並ぶ、入口もわからず出口もわからない住宅街を、私は永遠にスキップし続けるのでした。

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鈴木くんの家 @McDsUSSR1st

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