山の手のひらの上でワルツ、ときたまサンバ、総じて東京音頭
saiou
第1話 渋谷
渋谷はいつも工事していて、あれね。
改札を出てから、サエコさんはそっと言った。
「しかたないじゃない。あと少しできれいになるよ」
駅舎の外の陽の明かりに目を細めながら、私は答える。
「あと少しか。でも」
サエコさんはその後を続けない。
私も聞かない。
少し後の渋谷を、きっとサエコさんは見ることはない。
いつ来るかはわからない。でも、いつか必ず来るその日に向かって、サエコさんと私はひたひたと歩いている。
いくらもしないうちにサエコさんが足が疲れたと言うので、近くのカフェに入り、アイスコーヒーとカフェラテを頼んだ。
店内はすいていて、私はグラスが二つ乗ったトレンチを窓際のテーブルに置いた。足が疲れたと言っていたサエコさんは先に席に行くこともなく、飲み物を受け取った私の後ろをとことこ付いて歩き、グラスの置かれた席にちょこんと座った。
窓の外には若葉を揺らす桜の木が見える。サエコさんと私は汗が引くまでしばらく、黙ってそれぞれの前にあるストローを口へと運んだ。
ソファー席と、椅子の席、どっちが好き?
しばらく置かれたままになっていたグラスの中の氷が二回ほどかたんと音を立てたころ、サエコさんがぽつりと聞いた。
「椅子、かな」
少し考えてから言うと、私の目をまっすぐ見ながらサエコさんは、なんでと聞いてくる。店の奥の壁際には長いソファーが据えられていて、その前に小さなテーブルがいくつか並んでいた。
「ソファー席の方が、よかった?」
「景色がいいから、こっちのほうがいいわよ。この店の話じゃなくて、もっと根元的なソファー席と椅子の席の話」
根元的……。根元、ものごとの生じたそもそものはじまり。
「ソファーと椅子の根元的な好き嫌い」
「ソファーと椅子じゃなくて、ソファーの席と、椅子の席ね」と、サエコさんは訂正する。
「やっぱり、椅子かな」
サエコさんは沈黙で先を促す。私は店の奥のソファーを目線で示してから、「椅子の席は一人で一つをぜんぶ使える」と答えた。
「そう。でも、自分の席に用意された小さなテーブルから左右それぞれ隣のテーブルまで、百メートル離れていたら、どう?」
「……それなら、別にソファーの席でもいいよ」
どこかの席にあるグラスの中で、氷がかたんと音を立てるのが聞こえる。目の前にある二つのグラスの中の氷はもう小さく、溶けた水の上にそっと浮いていた。
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