47 詐欺、ダメ絶対

「粗茶ですが」

「お構いなく」


 母さんは客人にお茶を出すと、室内から退出していった。普段であれば席を共にする筈なので、相手側から外すよう事前に説明があったのだと推測できる。


 目の前には昔付き合っていた――詰まる所、前世で添い遂げようと誓った彼女――美咲が、リビングに居座っている。理由は未だ不明だが、これから説明はされるだろう。当然ながら、前世と全くの別人に生まれ変わった自分に、美咲が勘付くわけもない。


「あなたが、サムギョプサル絋雨ね」

「そうですが」

「あっさり認めるのね」

「別段、隠し立てするほどでもないので。あ、広めないでくださいよ」

「そんなつもりはないわ」


 声の調子はそのままだが、何というか刺々しい。俺が暮らしていた世界の美咲ではないということだろうか。そうなると、複数ある同じような世界、所謂パラレルワールドに飛ばされたことになるか。摩訶不思議な三大力がある時点でその可能性が最も高いと見える。


 そんなことが分かっても、行動が変わりはしない。俺は現状に満足していて、将来さえ楽に過ごせれば元の世界に戻りたいとも思わなかった。心残りは、優しかった祖父くらいか。育ててもらったのに、先に逝ってしまい申し訳ない気持ちだ。


「私は神威美咲、冒険者団体の遣いで今日は来たの」

「ご足労頂き、ありがとうございます」


 名前は前世と変化していない。

 変わっていたからと言って、気にする面は何もないが。


「それにしても、あのサムギョプサル絋雨が未だ高校生とは驚きね」

「はぁ」

「身分を偽るぐらいだから、冴えないリーマンか無職なのかと思っていたわ」

「高校生ですが」

「学生でも、大企業に勤めていたとしても、本質は何も変わらないわ。所詮男なんて、金と女の躰にしか興味のないクズばかり。あなただってそうでしょ。強さを嵩に懸けている分、そこら辺よりもなお悪いわね。結局、外側をどう取り繕おうとも心の中では……」

「それで、ご用件は何でしょうか」

「……そうね、早速本題に入りましょう」


 話が脱線しそうだったので割って入ると、軽く睨まれた気がする。

いや、気のせいだろう。


「はぁ……まずはこれね」


 本題突入前、彼女は懐を探ると一枚の紙きれを取り出した。


 なんだ、この女も闘技大会で生まれたファンというやつか。恐らく、有名人のサインが欲しくて態々訪れたのだろう。冒険者団体の遣いというのは建前で、こっちが本命だな。散々悪態をついたのも、所謂「ツンデレ」というやつか。妹が同じだからハッキリわかるぞ。


 最近、巷ではサムギョプサル絋雨が流行の最先端を進んでいるらしいからな。この世界の美咲は、存外に新しい物好きということだ。ファンから強請られて、断れる訳もない。仕方ないからサインを刻んでやろう。あ、オークションには出さないでくれよ。


「ここに、好きな金額を書きなさい」

「よろこんで……ぇ?」

「いくらでもいいわ。あなたが望む金額を要求できるの」

「えぇ?」

「高校生でも、お金は欲しいわよね。いいのよ、強がらなくても。誰だって蓄えは欲するから」

「あぇ」

「まぁ、話を聞いてからでも遅くはないわね」


 美咲が取り出したのはサインに使われる用紙ではなく、記入した分の現金と銀行で交換できる一枚の紙きれだ。紙切れ――通称、小切手――を目の前でチラつかせた後、美咲は改めて本題を切り出す。……転生したら、元カノがお金で人を殴る成金になっていた件。最悪なタイトルだな。


「さて、私がこれからする提案は、冒険者団体総意の発言と解釈してもらって構わないわ。空っぽの脳みそでよく考えることね」

「なるほど」

「実は、紹介したい仕事があるの」

「はぁ」


 美咲は冒険者団体の営業職を任されているらしい。それにしては、交渉が上から目線で高圧的だ。こんな態度では顧客獲得が遠ざかるだけだと思うのだが。営業職は特に、腰を低く保って相手より下の立場に位置すると正確に表現しなければ、好印象を抱かれ辛い。このままでは退職勧告一直線だな。


「場所は壁外で、そこに鎮座しているダンジョンになるわ」

「ダンジョンですか」


 ダンジョンは冒険者団体と密な関係にあり、切っても切れない。そも、冒険者が壁外を調査する最大の目的とは、人類の生活領域拡張にある。そこで重要になってくるのがダンジョン攻略で、そのための冒険者団体による壁外遠征だ。


 俗にいう魔獣の生息域である県の中心地域には、必ずダンジョンが存在している。その理由は、魔獣がダンジョンから生まれ出でるからだ。魔獣を生成する永久機関であるダンジョンは、攻略するまでその動きを止めない。動作の停止には、最深部に鎮座する核と見做された魔獣(呼称、核魔獣)を討伐するしか手段はなかった。


「免許、持ってないですよ」

「それは冒険者団体の特権で何とかなるわ」

「職権乱用ですね」

「冒険者団体総意の意見よ」

「はぁ」

「元々、免許とは冒険者団体が認めた人物に授けるもの。団体の責任者が認めれば、試験なんて下らないもの別になくてもいいの。そんなこともわからないのね。……本当に、男って」


 最後の方は消え入る声で耳まで届かなかったが、つまりは免許がなくても壁外遠征への参加は問題なく施行できるらしい。


 冒険者団体とは、想像以上に薄暗い商売のようだ。金に物を言わせれば人は遜ると考えている時点で、あまり好ましい組織とは言い難い。その分、協力すれば個人に対する利益や見返りは大きそうだ。この小切手は口止め料でもある訳だしな。


 ダンジョンを踏破したい理由は上記で述べた通りか、或いは栄光への執着だろう。どちらにしろ、あまり俺が興味を示せる分野ではない。確かに免許取得のため放課後に講義を受けてはいるが、それも卒業のために必要な過程に過ぎず、自ら進んでの選択ではなかった。


 人類の進展とか、魔獣の討伐とか、英雄への憧憬とか。何一つ、関心を持てない。俺は自身と周囲の人間が幸せであれば、それで万事解決する。


 故に、返答は決まっていた。


「だが断……」

「言い忘れていたけれど、この遠征に参加すれば免許取得ということになるわ」

「え?」

「放課後、面倒な授業を毎週のように受けなくて済むということよ。取得試験が壁外遠征の実習なのだから、当然の配慮ね」

「……な、るほど」


 取得試験!?

 なんだ、その厄介そうな響きは。

 ひょっとして、実技試験以外にも筆記試験があったりするのか。


「因みに、筆記試験も免除になるわ」

「ダニィ!?」


 まずい。思考が先読みされている。

 まさか、俺は押されているのか。

 奴の卓越した営業テクニックに、翻弄されているというのか。


 いや待て、よく考えるのだ。


 たかが試験、早乙女や小鳥に勉強を見てもらえば乗り越えられないこともない。確かに時間は割かれるが、学生にとっては必要な浪費と割り切ればそこまでの労力でもないだろう。


 寧ろ、試験では攻略済みのダンジョンに安全を保障された状況で挑戦するのだ。危険度全開である未知のダンジョンを攻めるより、断然楽なはず。巧い言葉に惑わされず、正気を保て俺。奴は生粋の詐欺師だ。騙されてはいけない。


「今ならあの有名なラーメン店の割引券も付いてくるわ」

「やりますぅ!」


 意外!

 それは拉麺ッ!


 ……ハッ。

 ラーメンの割引券につられてしまった。

 無料券ではなく、割引券。


 損だ。大損だぁ……。


「じゃあ、日付は追って連絡を入れるわ。小切手は好きに使ってくれて構わないから」

「あ、はい」


 美咲はペンを重りにして小切手を卓上に置く。その流れで母さんの淹れたお茶を飲み干すと、用は済んだと言う様に颯爽と部屋から立ち去った。入れ違いに母さんがリビングに入室すると、浮かない表情で俺を眺める。


「お母さん、ヒロちゃんが詐欺に巻き込まれないか心配だわ……」

「無念なり」


 勝負は惨敗に終わったなり。

 後で詐欺被害に遭わないためのビデオ講座でも見ておこう。


 美咲、恐ろしい女だ。

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