第三章 神器争奪編

45 珍妙な訪問客

 一ノ瀬ビルでの一件が片付き、世間ではサムギョプサル絋雨ブームが巻き起こっている最中、盛況であった闘技場内部は相反して静まり返っている。


 足音一つ鳴らず人の気配が全くないかに思われた某所であったが、大会中に幹部会が開かれていた一室からは、錆を帯びた太い男声と鈴のように涼しげな女声による密談が漏れ出てきた。


「それで、足取りは掴めたか」

「他愛ないわ。堂々と自宅へ帰宅するのが街中の監視カメラに映りこんでいたもの」

「ということは、絋雨本人の特定まで済んでいるということか」

「その認識で間違いないわ」

「なら、儂が来訪しよう」

「……まって」


 男が腰を上げる素振りを見せるが、女が制止することで動作は中断された。


「あなたが赴いては悪戯に世間を賑わせるだけだわ。冒険者団体の団長なのだから、そろそろ自覚を持ったらどうなの?」

「……そうであったな、すまない」

「いいわ、私が行くから。本気ではないにしろ、あなたと対等に渡り合ったんだもの。危険人物だった場合を考えると他には任せられない」

「では、そうしてくれるか」

「ええ、言われなくとも。あなたはドッシリとふんぞり返って、高級なワインでも傾けとけばいいのよ」

「あぁ」


 若い女はそれだけを言い残すと、音も立てずに部屋から立ち去って行った。一人残された藤堂は座っていたソファへ体を沈み込ませると、深い溜息を吐き強張っていた肩を和らげる。既に高齢ながら未だ壮健さを誇る肉体であったが、気が抜けた現在に限ってはその健在さも鳴りを潜めていた。


「桜庭、いるか」

「はッ、ここに」


 藤堂の声掛けにより、部屋を支えている柱の影から全身黒一色の男が歩み出てきた。桜庭と呼ばれた男は、手に持っていた水入りの500mlペットボトルを藤堂に手渡すと、女が出て行ったであろう、部屋にある唯一の出口に向かって視線を送る。


「常に鋭く重たい殺気を浴びせられて、後数秒で気絶するところでした。……彼女は、本当に人間なのでしょうか」

「……いや、間違いなく人間だよ」


 藤堂は受け取った水を呷り、中身を一口で飲み干して口の渇きを潤す。


「やはり、儂に団長は荷が重い」

「何を仰いますか、私はあなた以外に考えられません。団長とは強さだけで決まるものではないのです」

「世事はよせ。奴が台頭しようと思えば、儂よりも民衆の支持を得たことだろうよ。単に、奴にその気がなかっただけの話だ」

「しかし……」

「安心しろ、団長職を降りるつもりはない。……目的を達成するまではな」


 猶も食い下がろうとする桜庭に対し、藤堂は自分に言い聞かせるように決意を語る。その瞳は闘技大会当時に宿していた人民の心を惹きつける情熱の炎すら忘れてしまう程に暗く淀み、寒々しく冷え切っていた。


「……あれの準備は済んでいるな」

「はい、抜かりなく」

「……もしもの時は、後を頼むぞ」

「……はッ」


 話が終わると、藤堂も桜庭と同じ方向へ目を向けた。


「永く待ったが、決戦は近い」


 500年の歳月、その重みを言霊に乗せ、発する。自然と握る拳には力が籠り、プラスチックの潰れる音が室内に響いた。ソファに預けていた体は既に起き上がり、背筋は歳不相応に真直ぐと伸びている。


 先ほどまで老け込んでいた老人は其処には居らず、今では冒険者団体団長の矍鑠とした姿だけが残っていた。


「もうすぐだ……。なぁ、美咲よ」


 語りかけるが、返事はない。

藤堂も、同意を求めたわけではなかった。


 深夜、闘技大会会場某所で繰り広げられた密談は、誰に知られるでもなく終わりを迎える。それぞれの目的を胸に、先へ進んだ者たちは振り返らず、戻る影もない。人の気配は完全に消え失せ、会場は虫達の住みかとなった。









 ドンドンドン


 地面にハンマーで杭を打ち込む際に発生する、大きな殴打音が響く。自身にとっては何ともないが、周囲に焦点を合わせると非常に迷惑がられる環境音だ。


 ドンドンドンドンドン


 音は次第に拡大され、耳の奥深くに位置する鼓膜を破らんとする。しかし、意識の覚醒までは程遠く、暖かい布を頭から覆い被さることで防音効果を高めた。


 ドンドンドンドンドンドンドン


 時間経過により遠のくと思われた不快音であったが、一向にその様子を見せない。だが、関係なかった。一定のリズムを刻む殴打音は寧ろ、自らを微睡みの中へ誘う。宛ら睡眠用メトロノームの様で、心地よくすら思えてきた。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン


 再び意識は闇の中に埋没し、雲の上にいる様な浮遊感を味わう。あぁ、またぐっすり眠れそうだ。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン


 ドガアァァアアアン


「いつまで寝とんじゃこのクソ兄貴ぃッ!!!!」

「……ご近所迷惑だぞ」

「てめぇのせいだろうが!!!」


 部屋の扉を蹴破り、特殊部隊と見紛う登場をしたのは我が妹、山田清香だ。いつも通り元気溌剌な様子で大変結構だが、寝起きの俺からすれば煩わしいことこの上ない。


「朝はもう少し優しく起こして欲しいのだが」

「それで起きたことあったかよ!?」

「ドアを蹴り破らなくても」

「鍵がかかってたんだよ! ……チッ。お袋の野郎、クソ兄貴の部屋なんて入りたくもねぇのによぉ……」

「ツンデレか?」

「大腸引きずり出すぞ?」


 ツンデレだな。


 キヨが部屋から退出していくのを横目に、自身もベッドから起き上がる。頭の真上に設置してあった目覚まし時計を見ると、アラーム機能がストップされていた。操作した記憶がないので、眠気眼で停止させてしまったのだと推測する。


 寝間着姿のまま一階まで下り、朝ご飯の良い匂いがするリビングに入る。食卓では早くも妹と牛鬼が食事を繰り広げていた。


「モォー!! 旨すぎるぞォ!!」

「ちょ、汚ねぇ!? 食いながら喋るんじゃねぇよ!」

「ウモォー!!」

「食べカスが飛ぶんだよ!!」


 キヨは迷惑そうにしながらも、傍にあるお手拭きで牛鬼の汚れた口元を拭う。昔からであるが、我が妹は非常に面倒見が良い。


 未だ中学校に通うキヨは、普段であれば俺と朝ご飯の時間が被ることはない。しかし、一ノ瀬ビルでの一件があってからのここ数週間、事件現場が近かった事実もあり、学校側の意向によって登校時間が遅らされていた。安全面を考えての行動であるのは容易に想像がつく。


 その間、俺を起こす目覚まし時計役は毎朝キヨが務めている。目覚まし時計を無意識化で無効化してしまうのだから仕方ない。


「母さん、シュテンとイバラキは?」

「今日も見ないわねぇ」

「そうか」


 シュテンとイバラキはここ数日帰ってきていない。闘技大会前から野暮用で帰省する機会も多かったが、基本的に直ぐ帰ってきていた。そのことを思うと少し心配でもあるが、魂に目を向ければ確りとした繋がりが感じられる。よって問題はないだろう。


 そんな考えが頭の中で繰り広げられている最中の事態。

 玄関に設置してあるチャイムから、来訪者の報せが届いた。


「母さんが出てくるわね」

「……いや、俺が行こう」


 何故か知らないが、不思議な圧迫感がある。念の為、自身で応対するのが得策だろう。


「牛鬼、後ろを」

「了解した」

「兄貴……?」


 夢中になっていた食事をすぐさま切り上げ、俺の後ろに着く。警戒心が滲み出ていたのか、キヨは傍に立てかけてあった鉄の棒を掴み、構えたままの姿でリビングの影から様子を見るに留める。母さんはその更に後ろで不安げに俺達へ視線を送っていた。


「……」


 玄関へ辿り着き、ロックを解除してから把手を掴んで奥へと押し込む。扉は易々と開き、外には何時もと変わらぬ光景が広がっていた。


「主、下だ」

「下?」


 牛鬼に促されるままに視線を足元に落とす。


そこには、全身包帯姿の坊主が見事な土下座を披露する光景が広がっていた。先程とは違い、全くの非日常だ。なんだこれ。


「どうか! 拙僧の」


 俺は無言で扉を閉めた。


「見なかったことにしよう」





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連載再開します。

皆様、改めてよろしくお願い致します。

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