第20話 休日

 連続で仕事をこなすと、流石に疲労するものだ。

 王宮であれば、頭脳労働や肉体労働が交互にやって来たりもした。

 だが、冒険者というものは基本的に肉体労働なのだ。


 時には、丸一日何もせずに体を休めることが必要になる。

 デビルプラント騒ぎから帰ってきてすぐ、俺は部屋にこもってゆっくりとすることにした。


 ガルフスがやって来ていようが、構ったことではない。

 マールイ王国が困った事態になっているのだろうが、それはあちらで片付けるべきことだ。

 俺は寝る……。


「いや、その前に体を拭くくらいはしておくか。湯を買えるだけの金は十分にあるしな」


 俺とイングリドが泊まる宿は、金を払えばたっぷりと沸かした湯を運んできてくれる。

 これで旅の垢を落とすのはなかなか気持ちがいい。

 湯を使うなど、マールイ王国では王侯貴族にしか許されない贅沢だ。


 俺が階下に、湯を買いに行こうとした時である。


「うーん」


 隣室から唸り声が聞こえてきた。

 イングリドのものだ。


「どうしたんだい、イングリド」


「オーギュスト! 実はな、湯が足りない。髪を洗うにはもう少し欲しい」


「なんと贅沢な使い方をするんだ」


 俺は驚いた。

 湯で洗うということは、体を洗う以上の量が必要ではないか。

 なかなかの金額になる。


「もしやイングリド、君はいつもこうして湯を買っている?」


「当然だ。可能ならば、湯を張った浴槽に入りたいが……」


 この言葉で確信した。

 彼女は、どこかの貴族の家の出であろう。

 湯を張った浴槽など、それほどの贅沢品なのだ。


 まず、火をおこすための燃料が高い。

 発火の魔法や炎の魔法を使える者はいても、火を使い続ける燃料となるとそうはいかない。

 湯を沸かすとは、その燃料を使い、相当量の水を熱する必要があるのだ。


「では俺が頼んでこよう。代金は建て替えておくが……」


「あ、いや、私が払う。ちょっと待っていてくれ」


 がさごそと音がして、扉が開いた。

 そこには、胸元を布で隠したイングリドの姿がある。


 真っ白な肌に、金色の濡れ髪。

 布で隠されてても、それを押し上げる豊かな膨らみが分かる。


「うーむ」


 俺は思わず呻いた。

 長い間生きてきたが、見とれてしまうほどの美女というものは滅多にお目にかかれない。

 それが今、目の前にいた。


「どうしたのだ、オーギュスト」


「いや、平気で肌を晒すんだなあと思ったのだが」


「? 誰かに体を洗ってもらう時は普通、見られるものだろう。何も恥ずかしくはない」


 彼女は間違いなく貴族、それも、体を洗う専門の召使いがいるような、上位の家の生まれだ。


「イングリド、君がその考え方で、これまで無事で来れたのはまさに、幸運スキルの賜物だな……! よし、俺が湯を頼んでこよう。君は外に出るなよ。待っているんだ」


「わ、分かった」


 彼女が扉の奥に引っ込んだのを確認し、俺はホッと息をついた。

 年甲斐もなく平常心を失いそうだった。

 まさか今まで、隣にあんな美女がいたとはな……。


「だが、美女とともに冒険しているとなると、これはまた張り合いがでるというものだ」


 俺はうんうん、と頷く。

 階下で、たっぷりの湯を買う。

 湯が沸くまでの間、酒などを頼んで時間をつぶすことにした。


 湯の量が多いため、これを運ぶには人数が必要だからだ。

 特に、イングリドの部屋に運ぶのは俺がやっておくべきだ。

 ……今まで、どうやってやり過ごしていたのだろうか。


 しばらくすると、湯が沸いたので、宿の使用人と一緒に運んでいくことにする。


「お客さん、凄い力ですねえ……。細く見えるのに」


「重いものを運ぶコツがあるのさ。まあ、俺の場合は荷重スキルがあるから重いものを運ぶのが楽なんだがね」


 そんな無駄話をしつつ、イングリドの部屋へ。


「待っていたぞ!」


「うひょー!」


 飛び出してきたイングリドに、宿の使用人がとんでもない声を上げた。

 肌もあらわな美女が現れたら、驚き半分、嬉しさ半分で叫んでしまう気持ちも分かる。


「本当に他人に肌を見せる事が気にならないんだな。だがイングリド、外の世界はご婦人がタオル一枚で出てきていい場所ではない。俺が中に持っていくから引っ込んでいたまえ」


「そうなのか……?」


 きょとんとするイングリドを、部屋の中に押し込む。

 あちこちに、部屋の片隅には、よく手入れされた鎧と魔剣、魔槍。

 そして脱ぎ散らかされた衣服。


 装備の手入れはしっかりしているのに、衣服を畳んでいないのはどういうことなんだ……。


 宿の使用人を帰し、あまり人に肌を見せないように、と伝えてから、俺は隣の部屋に……。


「オーギュスト! ちょうどいい、手伝ってもらえないか! 私はどうも、一人で髪を洗ったりするのが下手で……」


「おいおい」


 間違いない!

 彼女は貴族のお嬢様だ。

 それも、常に使用人が何もかもやってくれていたお嬢様だろう。


 よくぞこれまで、貞操を守りながら冒険者をやってこれたものだ。

 ああ、幸運スキルがあったな!

 あのユニークスキルは、イングリドの身を守ると同時に、彼女が社会性を身につけるための邪魔をしてしまったらしい。


「これは……。俺が彼女に、カッチリと外の世界の常識を教え込まねばならないな!!」


「オーギュスト? な、何を鼻息を荒くしているんだ? わ、分かった、一人で髪を洗うので……」


「いや、俺が手伝おう。そして、ついでに社会の常識というものについて、世間知らずな君にレクチャーせねばなるまい! 心して聞くように!」


「なんだかオーギュストが怖いんだが!? 道化師が常識を教えるとか、な、なんでそんなにやる気に満ちているんだーっ!?」


「笑いとは常識を崩すことで生まれる! つまり、常識を知らねば笑いの道は歩めないということだ! すなわち、一流の道化師たる俺は誰よりも常識に詳しい! 全く、君はこれだけ美しいと言うのに、それを意識もせぬような扱い方をするのが実に惜しい!」


「う、美しい!? 私が? な、何を言っているんだオーギュスト!」


 かくして、男と女が一室にいるというのに、何の色気もない一時が過ぎていくのだった。

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