フラグメント

竜の雫

 御子みこの目には、輝く森が広がっていた。

 一本一本の木には、金属光沢を放つ涙滴型の大きな実がぶら下がっている。ここは竜人族ドラゴニュートが支配する、三百二十五階層フロア――母たる鎮守の森だ。フロアいっぱいに機械の森が広がっている。御子たち竜人族にとって、とても重要な階層だ。ただ、かつての人類が言うような神聖さは、ここにはない。竜人族にとって実際的に重要な機能を担う場所なのだ。

 きれいな黒髪をおかっぱにして、上下一体のクリーム色をしたつなぎのなかで、まだ幼い身体を活発に動かし、木々のあいだを跳ねるように駆けていく。

 御子を追いかけるように木々の隙間をせわしなく機械マシンたちが往復している。

 配管木の根にスタックしている機械を見かけ、あーあ、と御子は思う。しょうがないなあ、と竜髪から指令を飛ばす。

 竜髪とは御子の額と髪の生え際から伸びている、黒く短い角だ。髪が太く硬質化した光沢を放つ二本の角型の端末で、真空でも痛まず、節があり昆虫の触覚のようにも見える。

 竜人族は、この竜髪と呼ばれる触覚端末によって、機械に命令を飛ばすことができる。旧人類のディアスポラ以後、残された旧人類は多くの犠牲を出しながらも過酷な地球環境に適応するために身体改造を余儀なくされた。のちに竜人族と呼ばれるようになる一派は、竜髪を選んだ。軌道エレベーターの外壁作業などの宇宙空間で、両手を使わずに機械に指示を飛ばしたり人間同士で思考を伝えるために、外科手術的に取りつけられたのが竜髪の始まりと言われている。

 御子の指示に対して、機械はがたがたと震えながら、進路を確保し通常業務に戻っていく。この階層の機械はほとんど遺産レガシーシステムに近く、現在の竜人族には最優先事項ファーストプライオリティを変更することができない。そのためいまのように御子の指示に対してどうしても強制的な、一時的なものになってしまう。

 そんな機械の姿を見て、そういえば、と御子は父が昨夜話していたことを思い出す。

 機械知性体との交渉が失敗に終わった、と確か言っていた。御子が知っている限りでも、何度目かわからない。

 知性を持つ機械たちであり、虎目の機械群タイカーズアイ・マシーナリーズと名乗っている彼らは、竜人族ドラゴニュートとこの塔――旧人類が遺した軌道エレベーターを、大きく二分する勢力だ。虎目の機械群は、我らこそが旧人類のあとにこの軌道エレベーターを運営していく存在であると宣言し、竜人族と覇を競っている。

 そのため階層の配分と電力供給のバランスといった旧人類が争っていたようなことで、結局いまこのときも争い続けていることを、父は嘆いていたし、竜人族全体もそういう考えが強かった。

 竜髪によるゆるやかな脳内ネットワークは個の意識を限りなく薄くし、壁の向こう側が過酷な宇宙環境である軌道エレベーター内で、日々の生活を営むために必要な、群れの統一性を生み出していた。

 同様に、虎目の機械群がもまた、機械知性体独自のネットワークを持ち、虎目の公主の意思をその根底に強く共有している。しかし彼らもまた機械たちがもともと持っている最優先事項そのものを変えることはできず、古くからある機械や狂ってしまった機械ルナリアンをコントロールすることはできていない。

 ただ竜人族は、遺産を解析し、あるていどまでは利用することができた。

 この森も、そうだ。

 機械たちが木の根元に集まっている。メンテナスの機械だけではなく、広めの湯舟を抱えた機械もいた。

 もうすぐ産まれるのだ。御子はその木に近づく。

 ちょうど産気づいた果実だった。涙滴型の膨らんだ下側が開くと、そこから羊水に包まれた、竜人族の子どもが生まれ落ちる。御子とほとんど変わらない体格で、すでに額には黒々とした竜髪が生えている。湯舟のなかにすべり込み、粛々と機械は保育器のある階層へと運び出す。

 じっと見入っていると、機械たちは果実を元通りにして、なにごともなかったのように日常業務へと戻っていった。

 御子は走り出す。生まれる瞬間を目の当たりにして、自分のことのようにうれしくなって、木々のあいだを駆けていく。妹もきっとこうやって生まれてくるのだ。

 目的の、自分の木はここを曲がって、もうすぐだ。

 その木は、金属光沢を放つ木々のなかで、ひときわ輝いて見えた。

 ある日、御子は父に「妹がほしい」とねだった。ふだんは聞き分けのいい御子には、とてもめずらしいわがままだった。

「では、おまえがつくればいい」

 そう父は言った。三百二十五階層――果樹園フロアのコンソール室へと御子を招き入れた。

 だから、御子は待っている。いまかいまかと、妹が生まれるのを。自分の遺伝子情報をもとにデザインした妹が、生まれてくるのを待っているのだ。

 果実に手を伸ばし、ささやく。

「はやく、出ておいで」

 その時だった。

 大きく地面が揺れた。

「地震?」

 そんなはずはなかった。仮に地震が起きたとしても軌道エレベーターのこのフロアまでは大きな影響はないはずだった。

 さらに大きな衝撃が御子の身体を揺らす。立っていられず、木に倒れ込む。

 竜髪を通して、悲鳴と絶叫が流れ込んでくる。

 頭が割れそうに痛い。

 狂機ルナリアンの暴走、虎目の機械群による攻撃、遺産の爆発、誰かの悲鳴と助けを求める声――緊急時の強制伝達と、要領を得ない情報が錯綜している。

 ただ、御子の印象に残った情報があって、それは竜人族が知らない階層間通路が残っていて、急にそこから狂機があふれ出してきたこと、その奔流がどうやら鎮守の森に、つまりいま御子のいる階層へと向かっているということ。

 父から所在を問いただす通信が来ている。

 返事をしている猶予はなかった。

 フロアを揺らす振動がどんどん大きくなり――天井が砕けて落ちた。

 黒い機械の奔流が、轟音とともに降り注ぐ。

 御子は自分の木のまえに両手を広げ、立ち上がる。

 そして竜髪から指示を飛ばす。いままでやったことがないほどに強く、そして無理矢理に――フロアにいる機械たちに、木を守るように。

 竜髪が熱い。意識が遠のく。

 狂機と機械たちの奔流がぶつかりあい、炸裂した。

 衝撃と、金属の破片が御子の身体を切り刻み、竜髪が燃えるように熱く、ぶつりと何かが、切れる感触があって――御子の意識はそこで途切れた。



 数日後、御子は崩壊した三百二十五階層フロア――母たる鎮守の森に立っていた。

 御子の竜髪は、節が増え、長くなっている。

 そして、もっと大きな変化があった。

 目覚めると外見的な性別が変わっていた。

 御子の身体は、機械の奔流によってめちゃくちゃになってしまい、治療は不可能だった。そのため果実のなかで育っていた御子の妹に、御子の竜髪を増設移殖することで、御子はいまここに立っている。

 御子はいま御子の妹であり御子でもある。新しい身体にはまだ慣れない。走り回ることはできない。そしてなにより――自分が少し希薄になったような気がする。

 だが、父は言う。竜人族は、こうやって竜髪を繋いで継いでいく。そうして薄く広く冗長性を持って、この塔で生きていくのだ、と。

 父の言葉には、御子の成長を祝福する響きがあった。

 ただ御子には、よくわからなかった。いずれ理解できるときがくるのだろうか――。

 いまはただ、崩れた果実を前に、守れなかった妹を思って静かに泣いた。

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